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田澤純一の指名はあるのか?「田澤ルール」を考えるのに、日米間の選手争奪の歴史をここで今一度振り返る

阿佐智ベースボールジャーナリスト
アマチュア球界から直接のメジャー入りを選択した田澤純一投手(写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ)

 今日26日、プロ野球のドラフト会議が開かれる。今年もアマチュアのプロスペクト(有望株)たちが、どの球団に指名され、プロの世界に足を踏み入れるのか、ファンにとって興味深いところだが、もうひとつ、12年前のドラフトで1位指名確実と言われながら、メジャーリーグ(MLB)球団との契約を目指し、日本のプロ野球(NPB)球団からの指名を拒否した田澤純一投手(ルートインBCリーグ・埼玉武蔵,34歳)の指名があるかどうかにも注目が集まっている。

 12年前、彼が日本のドラフトを拒否し、MLBボストン・レッドソックスと契約したため、NPBが、ドラフト候補であったにもかかわらずアマチュア球界から直接「メジャー挑戦」した選手に対して、帰国後、NPBでプレーするために必要なドラフト指名を受けるには、一定年数待たねばならないという、いわゆる「田澤ルール」を作ったのだが、今回はその「ルール」がなにゆえにできたのか、日本からMLBへの移籍の歴史を振り返りながら、考えていきたい。

物議を醸した「日本人初のメジャーリーガー」

 日本人メジャーリーガーの系譜は1964年に遡る。日本中が東京五輪を前に沸き立つ中、南海ホークスからサンフランシスコ・ジャイアンツ傘下のシングルA球団、フレズノに野球留学していた20歳の若手投手、村上雅則がコールアップされ、アジア人として初めてMLBのマウンドに上がったのだ。村上は翌年シーズンもジャイアンツの一員として開幕を迎えたが、開花した才能の流出に南海側が抗議、日米の両球団が村上の保有権を巡って争うこととなった。結局、村上はアメリカで2シーズンを送った後、1966年から南海に復帰するが、翌1967年、両国球団の選手保有権を尊重し合うことを目的に「日米間選手契約に関する協定」がNPB、MLB両リーグのコミッショナー間で調印された。これにより、両リーグの球団は、他方のリーグ所属の選手と交渉する際には、身分照会をする必要が生じた。現実には、これ以降、両国間のプレーレベルの格差もあり、日本からアメリカプロ野球に挑戦する選手は、ほとんどなかったが、1990年代に入ると、日本球界のプレーレベル向上、球団数増加や選手報酬の高騰などによるアメリカ側のスカウティング網の拡大などの要因から、日本からアメリカへの選手の移動の流れが本格的に起こってきた。

重い扉をこじ開けた「野茂フィーバー」と台頭する「保護主義」

 その流れを決定づけたのが、1995年に近鉄バファローズからロサンゼルス・ドジャースに移籍した野茂英雄であることは間違いない。球団、指導者との確執から、国内球団への移籍不可能な「任意引退」というかたちで退団した野茂は、ドジャースとのマイナー契約から、村上以来30年ぶりに日本人としてMLBの舞台に上がった。日米球界に一大旋風を巻き起こした彼は、プロアマ問わず日本の野球選手に、メジャーリーグという目指すべき頂があることを示した。野茂がこじ開けた重い扉に、若者たちは殺到。1990年代から2000年代にかけて、NPBのトップ選手から無名のアマチュアまでもが、「メジャーリーガー」を夢見て太平洋を渡るようになった。

 選手の流出を懸念したNPBは、1998年、「日米間選手契約に関する協定」をMLB側と改めて結び、トレードや「任意引退」による日米間の選手移籍にかわってポスティングシステムによる移籍という道筋をつくった。一方、アマチュア選手の獲得については、「身分照会」が必要とされるのみで、両リーグは身分照会した相手側国の選手がドラフト対象であった場合には、獲得を控えるという慣習があったにすぎなかった。これを日本側は「紳士協定」としていたが、契約社会のアメリカにおいては、明文化されないものはルールでもなんでもなく、このことが2008年、「田澤問題」として露見したのである。

MLBを目指すアマチュアとその流れを食い止めようとするNPB

 この年のドラフトの目玉、新日本石油ENEOSの田澤純一投手が、ドラフトを前にしてMLB球団との契約を希望、NPB球団からの指名を拒否する旨声明を出したのだ。結局、田澤は、ボストン・レッドソックスとメジャー契約を結んだが、これを受けて、NPBは、ドラフト指名を拒否し、国外のプロ球団と契約した選手について、国外球団退団後、大卒・社会人選手は2年間、高卒選手は3年間は、契約しないとする12球団の申し合わせ事項を設定、プロスペクトの国外流出に歯止めをかけようとした。これがいわゆる「田澤ルール」である。

 NPBの保護主義にアマチュア側も追随した。2013年、クラブチーム、エディオン愛工大OB BLITZ所属の沼田拓巳投手が、社会人野球1年目のドラフト凍結選手であるにもかかわらずドジャースとマイナー契約を結ぶと、社会人野球を統括する日本野球連盟は、沼田を再登録を認めない除名処分、つまり「永久追放」とした。そして2018年にも、アジア大会日本代表のエースと期待されていたその秋のドラフト候補、吉川峻平投手が、所属先のパナソニックに在籍のままアリゾナ・ダイヤモンドバックスとマイナー契約を結んだとして、同様の処分を受けている。

 沼田は、2014年シーズンからアメリカでプレーしたが、ルーキー級を脱することができず、2年目シーズン途中にリリースされ、帰国後、独立リーグで「田澤ルール」解除を待ち、2017年秋のドラフト8位でヤクルトに入団したが、2シーズンで戦力外通告を受けている。彼は再び独立リーグの世界に戻り、今シーズンは沖縄にできた新球団、琉球ブルーオーシャンズでプレーした。

 吉川は、昨シーズンルーキーリーグで先発投手として5勝を挙げたものの、今年はコロナ禍でマイナーリーグじたいが休止となっている。 そして、11シーズンにわたってアメリカでプレー。リリーフ投手としてメジャー通算21勝4セーブ、89ホールドを挙げるなど活躍した田澤だったが、昨シーズンはマイナー暮らしで、今年は春先に所属していたシンシナティ・レッズを解雇。7月になって独立リーグ、ルートインBCリーグの埼玉武蔵ヒートベアーズへの入団が発表された。「田澤ルール」によれば、現在34歳の田澤が、ドラフト指名を受けることができるようになるのは、36歳になる2022年秋ということになり、NPBの動向が注目されたが、8月になって「ルール」撤廃が発表された。つまり、田澤は今ドラフトの指名を受けることができるようになったのである。

 これにより、トップアマチュア選手の「メジャー挑戦」へのハードルが下がったことは間違いないが、果たして、日本球界が恐れるタレントの流出は加速化するのだろうか。

 今日のドラフトで田澤純一の名がコールされるとき、太平洋にそびえていたもうひとつの重い扉が開かれる。

ベースボールジャーナリスト

これまで、190か国を訪ね歩き、23か国で野球を取材した経験をもつ。各国リーグともパイプをもち、これまで、多数の媒体に執筆のほか、NPB侍ジャパンのウェブサイト記事も担当した。プロからメジャーリーグ、独立リーグ、社会人野球まで広くカバー。数多くの雑誌に寄稿の他、NTT東日本の20周年記念誌作成に際しては野球について担当するなどしている。2011、2012アジアシリーズ、2018アジア大会、2019侍ジャパンシリーズ、2020、24カリビアンシリーズなど国際大会取材経験も豊富。2024年春の侍ジャパンシリーズではヨーロッパ代表のリエゾンスタッフとして帯同した。

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