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「備蓄は身近な薬箱」防災から共災へ 9月1日防災の日

井出留美食品ロス問題ジャーナリスト・博士(栄養学)
(ペイレスイメージズ/アフロ)

9月1日は防災の日。

ここ最近、毎年のように、日本のどこかで災害が起きている。災害は、いつ、どこで、誰が遭遇してもおかしくない。

よく、「一病息災」と言う。病気にまったくかからない人より、一つくらい持病がある方が、かえって健康に気を使うので長生きする、といった意味である。いわば「病気と共に生きる」といった感じだろうか。

災害も、「たまに来ることがあるから防ぐ(防災)」というより、むしろ「共に生きる」くらいな感覚になっているのではないか。

そう思って「共災」という言葉を探してみた。

すでに考えて使っている人がいた。熊本大学大学院の高橋隆雄教授だ。そこで、高橋隆雄教授の「共災」の考え方を追ってみたい。

2011年12月、熊本大学大学院の高橋隆雄教授らが「共災」の概念を解説

2011年12月5日付の熊本日日新聞朝刊に、熊本大学大学院の高橋隆雄教授と安川文朗教授が、「共災」の概念を解説するセミナーを開催する、とある。

熊本大大学院特別セミナー「震災復興の時代学 共災の思想、再生の技法」10日午前9時半から(中略)高橋隆雄教授と安川文朗教授らが、災害を前提に市民生活や政策を考える「共災」の概念や、被災者の社会的ケアの在り方などについて解説する。

出典:2011年12月5日付 熊本日日新聞 朝刊

2012年3月、熊本大学政策研究に「共災」のまち作りの論文掲載

翌年2012年の3月2日には、熊本大学政策研究に『地域のお宝をみがけ:「防災」から「共災」のまちづくり』という論文が掲載されていた。共著者の一人が熊本大学所属になっている。

著者らは、2011年3月に発生した東日本大震災を受け、熊本県天草市で地域に暮らす住民や市役所の職員にインタビューやアンケート調査を行っている。その結果、天草市では1792年(寛政4年)5月21日の島原普賢岳の噴火による津波以降、大規模水害がなく、住民にとって、災害が身近な問題だと感じられていないということが判明した。そこで、これまでの「防災」という概念から「共災」という考え方へ変わるべきではないか、と、具体的な提言に結びつけている。

「共災」とは、誰でも嫌なことは考えたくないものであるが、「自分たちは災害に遭うことはないだろう」、「まさか自分たちが」といった考え方を改め、災害はいつでも自分たちに降りかかる可能性があるものだという認識の促しを意図して私たちが新しく提案する言葉である。まさに、「災害は常に生活の一部として存在する」と考える。

出典:「地域のお宝をみがけ 〜「防災」から「共災」のまちづくり〜」有明シーサイド 天川竜治(宇城市役所)坂上和司(天草市役所)下田竜一(宇土市役所)王テイ(熊本大学)、熊本大学政策研究, 3: 71-80、2012年3月23日発行

2012年4月に高橋隆雄教授が『将来世代学の構想』で「これからは共災の時代」

2012年4月22日付の熊本日日新聞には、高橋隆雄教授が編集した書籍『将来世代学の構想』の書評が掲載されている。ここにも「共災」について書かれている。

取りまとめに当たった熊本大学大学院の高橋隆雄教授(哲学・倫理学)は「3・11」を踏まえた「大震災への思想的応答の試み」との副題を持つ論文で、「共災」の概念を示す。1923(大正12)年の関東大震災とも比較、日本人は災害とともにあることを自覚して生きていくしかなく、これからの時代は「共災の時代」と呼ぶべきだとする。

出典:2012年4月22日付 熊本日日新聞朝刊

2012年9月に高橋隆雄教授が「東日本大震災以降の時代を共災の時代と規定」

2012年9月6日付の高橋隆雄教授の論文「死者についての語りと生命倫理」(『人間と医療』No.2、p25-33、2012年9月6日発行)の抄録には次のように書かれている。

震災犠牲者は希望ある生を突然に断ち切られた絶望、悲しみ、苦しみに対し、どのような語る言葉があるのだろうか。震災から半年後になってようやく「死を無駄にしない」ということを自分なりに理解することで、少しだけ心の重荷を下ろすことができた。大震災は、当初こそ天譴(てんけん:天罰)思想が唱えられたりしたが、それを徹底的に追求することもなく元の日常生活が復活していった。同じような轍を踏まないために、「共災」という造語を提示すると共に、この震災以後の時代を「共災の時代」と規定し、その時代にふさわしい生き方を提案してみた。

出典:『人間と医療』No.2、p25-33(2012年9月6日発行)高橋隆雄著「死者についての語りと生命倫理」

2013年5月の西日本新聞に高橋隆雄教授の『「共災」の論理』書評

2013年5月19日付の西日本新聞朝刊には、高橋隆雄教授の著書『「共災」の論理』(九州大学出版会)の書評が掲載されている。

1990年以降、北海道南西沖地震、阪神大震災、新潟県中越沖地震、福岡沖地震、そして東日本大震災が発生した。地震の活動期に入ったともいわれる現状を踏まえ、筆者は「災害が常態となった時代の生き方、社会や政治のあり方」を考えるために、「共災」という新たな概念を提案する。

出典:2013年5月19日付 西日本新聞朝刊11面

筆者は熊本大大学院の教授で、著書に『自己決定の時代の倫理学』『生命・環境・ケア』がある。本書では「共災」というユニークな概念を使い、社会、政治、ライフスタイルの総合的な見直しを呼びかけている。

出典:2013年5月19日付 西日本新聞朝刊 11面

2016年4月14日に熊本と大分で相次ぐ地震・・・

2016年4月14日に、熊本と大分で相次いで震度7の地震が起きた。高橋隆雄教授が「共災」の概念を考えている時にはまだわからなかったことだが、こうして時系列で振り返ってみると、なんとも言えない気持ちになる。

「共災」は「共病」と似ている

高橋隆雄教授の著書を取り寄せて読んでみた。九州大学出版会が発行。大衆向けというよりは専門書のような立ち位置。

『「共災」の論理』(九州大学出版会、高橋隆雄著)(筆者撮影)
『「共災」の論理』(九州大学出版会、高橋隆雄著)(筆者撮影)

冒頭に、随筆家・小説家の幸田文(こうだ・あや)のことが登場する。

その後も、読み進めていくと、哲学的でもある。

「巨大なエネルギーは弱さから発している」

出典:『「共災」の論理』(九州大学出版会、高橋隆雄著)

「災害」という言葉で人々が思い浮かべるイメージに明るさはないが、高橋教授は、ネガティブ一辺倒といった短絡的なとらえ方をしていない。

崩壊や災害をたんなる悲惨としてではなく、そこに人間のたくましさがあり、美もあり神との出会いもあるものとして伝えたいと思う。

出典:『「共災」の論理』(九州大学出版会、高橋隆雄著)p17

共災の時代とは、災害とともにある時代、災害と共存する時代である。それは現在世代や将来世代をみすえて、災害に対する防災や減災を自覚する時代というだけではない。自然のもたらす恵みに感謝し、自然の美を愛でること、自然への畏敬の念を持つことも含んでいる。

出典:『「共災」の論理』(九州大学出版界、高橋隆雄著)p29

中でも腑に落ちたのは、筆者が最初に頭に浮かんだ「病気」との共通性を語っている箇所だった。

共災の具体的なあり方は、「共病」つまり病気と共にある姿勢と似ている。人間には病気がつきものである。共病については次のように言える。無理をしない。病気を忘れずにいる。(中略)それと同様に「共災」については次のようになる。つねに災害を意識する。(後略)

出典:『「共災」の論理』(九州大学出版会、高橋隆雄著)p116-117

「天譴(てんけん)とは点検」

この本には「天譴(てんけん)」という言葉が登場する。「天罰」という意味だ。

今からほぼ100年前、1923年の9月1日に発生した関東大震災では、人々が震災を「天譴」として受け止めた。

それは自然災害を人間にとって意味ある出来事とみなすことであった

出典:『「共災」の論理』(九州大学出版会、高橋隆雄著)p39

高橋教授は、「天譴は点検の機会ととらえる思想」だと述べている。

天譴とは大災害をポジティブに受け止め点検の機会ととらえる思想であると述べた。なぜ点検をするのか。

出典:『「共災」の論理』(九州大学出版会、高橋隆雄著)p55

生きることは災害とともにある

生きることは、すなわち、災害と共に生きていくこと。

生きることが災害とともにあることは、日本の歴史を顧みれば明らかである。

出典:『「共災」の論理』(九州大学出版会、高橋隆雄著)p72

この本には「諦念(ていねん)」という言葉も頻繁に出てくる。人間の力では抗うことのできない自然。その、自然に対する畏敬の念をあらわしている。

備蓄は身近な薬箱

災害は、病気のように、いつ、誰に訪れてもおかしくないもの。

常にそれを意識する。

そうなれば、誰の家にもあるような、薬箱の存在が、備蓄、つまり非常食ということになるのではないだろうか。

備えるのは、もちろん、食料だけではない。いざという時に必要になるものは全てだろう。

だが、非常袋を手の届かないところにしまっている人も多いのではないだろうか。だって、災害は「日常」ではなく、「非日常」だから。でも、これからは「日常」と捉えた方がいいのかもしれない。

「薬箱」は、おそらく、手の届くところ、日常生活の中にあるだろう。いつ、誰が具合が悪くなるかもしれないので、身近なところに置いておく。

本当は、備蓄や非常袋もそうあるべきなのだろう。

家庭の備蓄は「ローリングストック法」で、使っては買い足し、使っては買い足していく方法がおすすめだ。非常食を「日常」ととらえる考え方である。賞味期限は、必ずしも、何年もの長いものである必要はない。

9月1日の防災の日に、家の防災用品や備蓄食を点検し、考え方を見直してみたい。

食品ロス問題ジャーナリスト・博士(栄養学)

奈良女子大学食物学科卒、博士(栄養学/女子栄養大学大学院)、修士(農学/東京大学大学院農学生命科学研究科)。ライオン、青年海外協力隊を経て日本ケロッグ広報室長等歴任。3.11食料支援で廃棄に衝撃を受け、誕生日を冠した(株)office3.11設立。食品ロス削減推進法成立に協力した。著書に『食料危機』『あるものでまかなう生活』『賞味期限のウソ』『捨てないパン屋の挑戦』他。食品ロスを全国的に注目させたとして食生活ジャーナリスト大賞食文化部門/Yahoo!ニュース個人オーサーアワード2018/食品ロス削減推進大賞消費者庁長官賞受賞。https://iderumi.theletter.jp/about

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