ウクライナで殺害された監督の遺志を継いで。ロシア侵攻直後の現地入りに「無事を祈るしかなかった」
全世界に衝撃が走ったロシアによるウクライナへの軍事侵攻が始まったのは2022年2月24日のこと。
あれから1年、いまもウクライナの人々は危機の中におり、その情勢は予断を許さない。
そして残念ながら解決の糸口はいまだにみえない状況が続く。
ドキュメンタリー映画「マリウポリ 7日間の記録」は、日本でもその地名を知られることになったウクライナ東部のドンバス地方、マリウポリのロシア侵攻後の日々が記録されている。
本作の監督、リトアニア出身のマンタス・クヴェダラヴィチウスは、2016年にマリウポリを訪問し現地の人々を取材。
その経験もあって彼は、ロシアの侵攻から間もない3月に現地に入り、軍事攻撃から辛うじて逃れた教会に避難した人々とともに生活をしながらカメラを回し続けた。
しかし、取材開始から間もなくして親ロシア派によって拘束され、時を置かずして残念ながら帰らぬ人となってしまった。
いまはもうこの世にはいない彼の遺志を継ぎ、本作を完成へと導いた製作チームのプロデューサー、ナディア・トリンチェフ氏に話を訊く。(全四回)
物語の作り手としても独自の視点をもっている監督だと思いました
前回(第一回はこちら)は、マンタス・クヴェダラヴィチウス監督との出会いから映画を一緒に作るまでの経緯について訊いた。
その中で、クヴェダラヴィチウス監督の人間性について触れたが、彼の作家性にもオリジナルなものを感じたという。
「前回、クヴェダラヴィチウス監督について『ある町を描こうと思ったら、それについて書かれたものや資料を鵜呑みにしない。
自分が実際に現地にまずはいってみる。そして、そこでいろいろな人と話をして、自らその地を歩いて、街の空気を実際に体感して語る、といった感じで、彼の取材というのはそのコミュニティーに住むことからはじまる』と話しました。
そういったフィールドワークをすごく大切にしている。
つまり物事に対するアプローチというのがひじょうに人類学者的なんです。
もともと社会文化人類学者なので、当然といえば当然です。
ただ、彼のアプローチというのは人類学者的ではあるんですけどちょっと違うんです。
確かにアプローチは人類学者的なんですけど、語り口に関してはひじょうに映画的というか。学術報告やリポートのようにはならない。
ともするとアカデミックになりすぎてお硬い話になってしまって、専門家でないとわからないようなことになってしまうことも、そうはならない。
フィールドワークの中から、出会った人の言葉やその町の現実をきちんと把握して、ひとつのストーリーを紡ぎ出すことができる。
だから、たとえば、彼の作品をみると、受け手としては登場人物のいずれかに自身を投影させて、運命共同体のようになってストーリーを追っていくことができる。
その物語が説得力のあるものとしてこちらに伝わってくる。
そういう物語の作り手としても独自の視点をもっている監督だと思いました。
ですから監督がいったいこの題材からどのような物語を見出すのか、プロデューサーとして興味が尽きないところがありました」
監督がマリウポリと接点をもつことになった原点は『PARTHENONAS』
このような形で、クヴェダラヴィチウス監督とともに映画作りをスタートさせたとのこと。
最初の作品は、本作「マウリポリ 7日間の記録」の前段になるといっていい、2016年の「MARIUPOLIS」になる。
この作品についてこう明かす。
「マンタス・クヴェダラヴィチウス監督とは、2011年にリトアニアで開催されている映画祭で出会ったとお話ししました。
その時点から、監督の中で温めていた企画があったんです。
そちらの企画というのが、3カ国の違うところで撮るというもので。
今回の『マウリポリ 7日間の記録』にも参加しているプロデューサーのウジャナ・キムさんらとともに、その企画の実現に向けて動き出すことになって、わたしも関わることになりました。
そして、そもそも、その企画の準備段階に、リサーチのために監督はマリウポリに行ったんです。つまり作品を実際に撮ることは考えていなくて、実現させようという企画の下調べとしてまずマリウポリを訪れた。
ただ、いろいろな複雑な要素が絡み合って、具体的には資金を獲得しなければならなかったり、しっかりしたクルーのメンバーを揃えないといけなかったりと、その企画の実現のためには少し時間が必要となった。
そこでまず『MARIUPOLIS』を発表することになりました。そして、もともとの企画は2019年『PARTHENONAS』という作品になりました。
ですから、監督がマリウポリと接点をもつことになった原点は『PARTHENONAS』にあったといっていいかもしれません」
わたしできることはひたすら無事を祈ることだけでした
こうしてマリウポリと接点をもったマンタス・クヴェダラヴィチウス監督。
ただ、ロシア侵攻後、マリウポリ現地に向かったことはまったく知らなかったという。
「マリウポリでその後、映画を撮るといった話はまったく出ていませんでした。マリウポリに行くということも計画されていませんでした。
実は、ウクライナに向かう直前、クヴェダラヴィチウス監督はウガンダにいたんです。
というのも、すでに2つのプロジェクトが決定していた。
その1つであるフィクションの映画を2022年の4月から撮ることが決まっていた。
だから、わたしはてっきりアフリカにいるものだと思っていました。マリウポリに行くことは伝えられていなかった。
わたしが、彼がウクライナにいることを知ったのは3月18日のこと。
ワッツアップのアプリに写真が届いたんです。マリウポリに向かっている監督とガールフレンドで共同監督のハンナ・ビロブロワさんが映ったものが。
ウクライナのドンバス地方がどのような状況になっているのか、すでにニュースなどで聞いていたので、ひじょうに心配で冷静ではいられませんでした。
ただ、監督に『いますぐ帰ってきて』とは言えませんでした。
なぜなら、彼は自分が『こう』と一度決めたら、梃子でも動かない性格で。わたしがそう言ったところで帰ってくるような人ではないことは、わたし自身がなによりわかっていましたから。
なので、『とにかく気をつけて慎重に行動して』とメッセージを送ることしかできませんでした。
あと、わたしにできることはひたすら無事を祈ることだけでした」
(※第三回に続く)
【ナディア・トリンチェフ プロデューサー第一回インタビューはこちら】
「マリウポリ 7日間の記録」
監督:マンタス・クヴェダラヴィチウス
製作:マンタス・クヴェダラヴィチウス、ウジャナ・キム、
ナディア・トリンチェフ、オマール・エルカディ、タナシス・カラタノス、
マーティン・ハンペル
撮影監督:マンタス・クヴェダラヴィチウス
編集:ドゥニア・シチョフ
助監督:ハンナ・ビロブロワ
音響編集:ラマ・エイド、ラナ・サワヤ、シェリフ・アラム
整音:ロブ・ウォーカー (AMPS)
公式サイト http://www.odessa-e.co.jp/mariupoli7days/
シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開中
写真はすべて(C) 2022 EXTIMACY FILMS, STUDIO ULJANA KIM, EASY RIDERS FILMS, TWENTY TWENTY VISION