【河内長野市】絶景とスリル!滝畑ダムにある「侍」の吊り橋を渡り、ダム水没前の雰囲気残る西之村を歩いた
滝畑ダムは、いろんな観光スポットがあることは間違いないのですが、せっかくなのであまり知られていないようなスポットがないか調べてみました。すると世界的に見て日本をイメージするキーワード「侍(サムライ)」と名の付く場所を見つけました。
湖畔観光農林組合(外部リンク)をみると、バスの終点、滝畑ダムバス停の横に新侍(サムライ)橋の吊り橋というスポットの存在があることを見つけました。
位置関係を確認するとこうなります。ちなみにサムライ(武士)の橋なので全国にけっこうあるのかなと思って調べましたが、意外に見つかりません。(横浜市の早渕川に侍橋という表現はありましたが、待橋の間違いの可能性あり)そのようなことから実は貴重なネーミングの橋のようです。
バス停のすぐ横に細い道があり、そのまま吊り橋(新侍橋)に続いています。
山深い滝畑は平家の落人伝説があります。さらに秀吉の小田原城攻めで破れた北条氏の残党・北条氏規が高野山での幽閉から許されたのち、狭山藩主になるまでの間、一時期滝畑にいたという記録があります。武士とのつながりもあるエリアなので、橋の名前に「侍」がついても不思議ではないのかもしれません。
新侍橋は吊り橋なので、渡る途中で多少の揺れがあり、ちょっとしたスリルは味わえます。とはいえ頑丈なワイヤーでできているので、怖いほどではないです。
石川下流・滝畑ダムのダム湖方向です。滝畑湖畔キャンプ場と遠くに見えるのは滝畑大橋、さらにその先にはうっすらと夕月橋が見えました。
吊り橋を先に渡りましょう。橋の長さは73メートルあり、橋の幅は1.6メートルとのこと。歩道部分は縞鋼板を使用しています。
石川本流上流方向を眺めてみます。夏場なので緑がきれいですね。
対岸に見えてきたのは西之村です。滝畑にあったいくつかの集落のうち、上流部分にあったのでダムの底に沈まなかったとのこと。昔の滝畑の様子がわかる貴重な場所ですね。
ゆっくり風景を眺めながらでも、5分もかからないうちに対岸まで渡れます。
渡り終えたところで再度撮影しました。
新侍橋は1982(昭和57)年10月に竣工し、2007(平成19)年3月に塗装の塗替を行ったとあります。
「しんさむらいばし」と書いてあります。新侍という事は旧侍橋があったのでしょうか?明確な情報はありません。可能性として滝畑ダムが新侍橋のできる1年前の1981(昭和56)年に竣工しているので、ダムができて従来の石川水面や道路の高さなど変わったことで、新しく橋を付け替えたのかもしれません。
新侍橋のひとつ上流にかかっている橋で、同じ「新」がつく新関屋橋も滝畑ダムができた同じ年の1981年6月に竣工しています。
さて、新侍橋のすぐ左のたもとに祠があります。
樫谷不動明王と書いてあるので、中に不動明王が祀られていると考えられます。樫谷の意味ですが、新侍橋を「樫谷の吊り橋」と呼んでいる情報を見つけたので、吊り橋の下の谷を樫谷と読んでいたのかもしれません。
西之村に入りました。背後に見えるのは和泉市方面、市の境にあるボテ峠のあたりでしょうか?
西之村から槇尾山に上る登山口があるため、集落の中にダイトレ(ダイヤモンドトレール)が通っています。トイレのある岩湧山登山口から新関屋橋を渡り、西之村を通って槇尾山に向かうルートです。
槇尾山方面に向かって歩いている人がいました。
西之山集落の途中に急な登り坂があります。大梵天社とも呼ばれる天神社に行く道とのこと。
すぐそばに道しるべがありました。
これは滝畑大橋付近で見つけた標識です。左は河内長野市内方面で、右は滝谷大橋を渡り、滝畑のさらに奥にある光滝寺方面に行けるようです。
というわけで、滝畑ダムバス停にすぐそばにかかる新侍橋とその対岸にある滝畑の古くから残る西之村集落を歩いてみました。
新侍橋(しんさむらいばし)
住所:大阪府河内長野市滝畑
アクセス:南海・近鉄河内長野駅からバス 滝畑ダムバス停から徒歩1分
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