元2階級制覇王者、ティモシー・ブラッドリーが達成した“ボクサーとしての最終目標”
意外だった目的地
「(目標は)大きなダメージを引きずることなく、ボクシング界を去ることです。私はそれほど長く現役生活を続けようとは思っていません。やるべきことが終わったと思ったら、すぐにリングを去るつもりでいます。これからもずっと娘たちの話を聴いて、優しい言葉をかけてあげられる父親でいたいんです」
2012年6月9日に開催されたマニー・パッキャオ(フィリピン)対ティモシー・ブラッドリー(アメリカ)戦のキックオフ会見でのことーーー。
挑戦者だったブラッドリーに“ボクサーとしての最終目標”を訊くと、そんな答えが返ってきた。インタヴューでは時に忘れられないコメントが聞けることがあるが、この時のブラッドリーの言葉も実に印象的だった。
同様の質問をすると、“複数階級制覇を達成したい”“自分のポテンシャルを最大限に発揮したい”といったように返答するボクサーが圧倒的に多い。そんな中で、ブラッドリーの言葉は実にユニークで、同時にこの聡明な黒人ボクサーの本質を物語っているように思えたのだ。
8月6日、プロで2階級を制覇したブラッドリーは正式に引退を表明した。生涯戦績は33勝(13KO)2敗1分。足かけ12年に渡る立派なキャリアである。
2012年のパッキャオ戦での勝利は“不当判定”と言われたが、敗れたのはそのパッキャオとの第2、3戦での2敗だけ。ファン・マヌエル・マルケス(メキシコ)、デボン・アレクサンダー(アメリカ)、ブランドン・リオス(アメリカ)、ジェシー・バルガス(アメリカ)、ジョエル・カサマヨール(キューバ)、ルスラン・プロボドニコフ(ロシア)、レイモン・ピーターソン(アメリカ)、ケンドール・ホルト(アメリカ)、ジュニア・ウィッター(イギリス)ミゲル・バスケス(メキシコ)・・・・・・直接対決で勝利を挙げた新旧タイトルホルダーは枚挙に暇がない。
リング内外で地味な印象は最後まで付きまとい、インパクトの薄いファイトも少なくなかった。それでもダウン応酬の激闘となった2013年のプロボドニコフ戦はリング誌が選ぶファイト・オブ・ジ・イヤーに選ばれている。総合的に見て、現代の中量級では屈指の実力派ファイターであり、5年後の名誉の殿堂入りも濃厚だろう。
余力を残したままの幕引き
「素晴らしいキャリアでした。ただ、以前のようにやる気をかきたてられなくなってしまいました。お金も貯めたし、もう十分ですよ」
引退正式発表のあと、ブラッドリーは一部の米メディアにそう語っている。その言葉通り、8月29日には34歳になるブラッドリーにとって適切な引き際なのだろう。
昨年4月にパッキャオとのラバーマッチに敗れて以降はリングから離れていたが、20戦全勝(15KO)で売り出し中のトッププロスペクト、ホゼ・ラミレス(アメリカ)との新旧ファイトの噂も出ていた。実現すればESPNで生中継されていたであろうこの試合を受けていれば、少なくとも50万ドル程度の報酬は手にできていた。他にもオファーはあったはずで、近未来に再びタイトルホルダーとなることも十分可能だったに違いない。
しかし、これ以上のファイトマネー、タイトルを追い求めることはなく、ブラッドリーは余力を残したままキャリアに幕を引いた。商品価値が残る限りはリングに立ち続ける選手がほとんどの米ボクシング界において、その決断は新鮮に映る。
黒人らしいバネは秘めていても、特筆すべきパワー、サイズを持たなかった。そんなブラッドリーが長く第一線で活躍できたのは、自身の信念を貫く意志の強さがあったからに他ならない。引退の瞬間まで、自分らしさは変わらなかった。今回の引退発表を聴いて、筆者は5年以上前のインタヴューを鮮明に思い出すことにもなったのである。
2階級制覇王者の第2の人生での幸運を願いたい。業界では有名な好漢で、マネージャーを務める夫人もやり手の人物だけに、今後に身を滅ぼしていくことはないだろう。喋りの上手さを買われて最近ではESPNの解説にも起用されており、今後もボクシング界の中で存在感を発揮していくのではないか。
どんな業界でも、“最終目標”として挙げたことを達成できるアスリートはそれほど多くない。それを成し遂げたブラッドリーは紛れもない成功者。そんな彼なら、リングを離れても、これから先も、様々な形で活躍できるように思えてくるのだ。