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【体操】引退の山室光史 ラストコメントは「体操って、いいもんだな」

矢内由美子サッカーとオリンピックを中心に取材するスポーツライター
リオデジャネイロ五輪男子団体総合決勝でつり輪の演技をする山室光史さん(写真:アフロスポーツ)

体操でオリンピック2大会に出場し、2016年リオデジャネイロ五輪で男子団体総合金メダルに輝いた山室光史さんが、6月に現役を退いた。日本体育大学4年だった2010年世界選手権から日本代表入りし、コナミスポーツクラブ時代には2012年ロンドン五輪と2016年リオデジャネイロ五輪に出場。日本の弱点とされるつり輪を得意とし、リオ五輪では12年ぶりの男子団体金メダル獲得に貢献した。

2017年以降はケガに苦しんだが、もがきながら34歳まで長く体操を続けた。

6月、引退に寄せて設けられた取材の場で山室さんが語った思いとは――。

2017年全日本個人総合選手権の時の山室さん
2017年全日本個人総合選手権の時の山室さん写真:長田洋平/アフロスポーツ

■「世界で戦うような6種目をつくれなくなった」

「年齢的に30を過ぎてから、少しずつ感覚と体のずれが出てきて、思い通りに動かせなくなってきました」

引退の決め手となった理由について聞かれると、山室さんはそう言った。

リオ五輪後は東京五輪を目指して現役を続行したが、ケガが増えた。とりわけ厳しかったのは、2018年の全日本シニア選手権で試合前のアップ中に右上腕二頭筋断裂の重傷を負ったこと。

「つり輪を武器として生きてきたので、右腕の二頭筋を断裂してから武器を武器として扱えなくなってしまったことで、代表に入るのが難しくなりました」

ならば、と、「ヤマムロ」の名のついた技を持っている平行棒に絞って体操を続けることも考えたが、6月の全日本種目別選手権の出場権を得ることができず、「ここが潮時かなと思った」という。

全6種目をやってこそ、という思いもあった。

「6種目をやることに僕自身は意味を見出してきました。だから、世界で戦うような6種目を作れなくなったことで、これ以上競技を続けても意味がないのかな、と思ったのも正直なところです。競技を続けている姿から、いろいろなものを感じ取っていただければいいかな、という思いでやっていたのですが、やはり、やるならば世界を目指すような体操をできなければ、という気持ちが根底にはあります」

2016年リオデジャネイロ五輪団体金メダルの表彰式で歓びを爆発させ、ジャンプする日本チーム。右から山室さん、内村航平さん、田中佑典、白井健三さん、加藤凌平
2016年リオデジャネイロ五輪団体金メダルの表彰式で歓びを爆発させ、ジャンプする日本チーム。右から山室さん、内村航平さん、田中佑典、白井健三さん、加藤凌平写真:ロイター/アフロ

■ハイライトはいくつものストーリーが詰まっている「リオ五輪の金メダル」

競技生活の思い出は尽きない。中でも、2011年に東京で開催された世界選手権、ロンドン五輪、リオ五輪は、心のど真ん中に深く刻まれている記憶だ。

「2011年の東京の世界選手権は、団体は銀メダルで悔しかったのですが、その分、個人総合とつり輪で銅メダルを獲得することができたのはうれしかったです」

悔いが残るという意味で深く刻まれているのは自身初の五輪だったロンドン大会だ。まさかのアクシデントが起きたのは団体決勝の跳馬。山室さんは大技の「ロペス」に挑み、着地に失敗して左足甲を骨折し、競技を続行できなかった。日本はライバルの中国に敗れて銀メダル。

「試合でケガをしたのは体操人生で初めて。夢の舞台に立ったのにこういう結末なのかと思って、どん底でした」

この時、山室さんは「体操を続けてきた意味が分からなくなった」という。

それならば、自分で答えを見つけよう――。

「体操をやってきた意味を証明するためには、4年後のオリンピックに出るしかない」と誓ってからは何があってもくじけることはなかった。

2015年世界選手権。補欠として帯同していた山室さん。試合中は出場選手のサポートに徹した
2015年世界選手権。補欠として帯同していた山室さん。試合中は出場選手のサポートに徹した写真:YUTAKA/アフロスポーツ

■「航平や佑典、凌平がいる。そこに僕も戻らなければいけない」

同級生の内村さんの存在も大きかった。

「ロンドンではチームメートに申し訳ないという気持ちが強かったうえに、航平が『4年後に一緒にリベンジをするために頑張ろう』と言ってくれたりもしました」

再び踏み出した道のりは険しかった。リオを目指すと決意した後もロンドン五輪で骨折した影響が残り、2013年から2015年までは代表に届かなかった。

ただ、2015年は世界選手権直前に選手が負傷し、急遽、補欠として英国グラスゴーに飛んだ。代表入りまであと一歩の位置までは来ていたということでもある。

そして現地では内村さん、加藤凌平、田中佑典といった、ロンドン五輪でともに戦った盟友たちを後方で支えた。日本は世界選手権の団体で37年ぶりの金メダルを獲得。歓喜に沸く盟友たちを見ながら、山室さんは翌年のリオ五輪へ思いをはせた。

「航平や(田中)佑典、(加藤)凌平がいる。そこに僕も戻らなければいけないなという気持ちになりました」

得意のつり輪の演技
得意のつり輪の演技写真:アフロ

すべてを懸けて挑んだ2016年のリオ五輪代表選考会。山室さんは見事に代表に返り咲いた。待っていたのは内村たち。

「みんなが『お帰り』という感じで受け入れてくれたので、すごくありがたかった」

リオ五輪本番では、内村さん、田中、加藤に、日体大の後輩にあたる白井健三さんを含めた5人が最高の結束力で互いをカバーし合い、金メダルに輝いた。

「2016年のメンバーは本当によく知っている仲間でした。楽しく、そして信頼ができるメンバーで支え合いながら、助け合いながら団体優勝することができました。体のピークは少し過ぎていたのですが、心から良かったなと思える舞台はあそこだったと思います」

2011年世界選手権の男子個人総合で銅メダルに輝いた山室さん(右)は金メダルの内村航平さんとともにガッツポーズ
2011年世界選手権の男子個人総合で銅メダルに輝いた山室さん(右)は金メダルの内村航平さんとともにガッツポーズ写真:アフロスポーツ

■内村航平さん「プライベートでも体操生活でもたくさんの思い出があります」

6月11日、全日本種目別選手権(東京・代々木体育館)で行われた引退セレモニー。司会からスピーチを促されると、山室さんは感慨深げにこう語った。

「本当に困難やけがが多く、大変だったというのが正直な感想ですが、オリンピックに2度出場し、悔しい1回目の銀メダル、そして2回目のうれしい金メダル。本当に山あり谷ありの人生だったと想います」

セレモニーの冒頭では、日体大時代と社会人のコナミスポーツクラブでチームメートだった内村さんからのビデオメッセージが大型スクリーンに映し出された。

「光史とは出会ってから今年で18年目になります。プライベートでも体操生活でもたくさんの思い出がありますが、中でもロンドン五輪からリオ五輪で団体金メダルを勝ち取った4年間、光史がケガから復帰し、リオでリベンジをしようと誓って、本当にその夢を実現させたことは一生の思い出です」

内村さんは「ここでは語れない高校3年生の時の珍事件もあります」とユーモアを織り交ぜながら、「今後もお互いより良い体操界を作っていきましょう」と、ともに切磋琢磨した盟友にメッセージを送った。

2022年に開催されたKOHEI UCHIMURAカップで笑顔でマイクを持つ
2022年に開催されたKOHEI UCHIMURAカップで笑顔でマイクを持つ写真:松尾/アフロスポーツ

■「体操って、いいもんだな」

引退後の7月から、ロンドン五輪団体銀メダル仲間の田中和仁さんが代表を務める「田中体操クラブ」茅ヶ崎校のメインコーチとして働いている。指導する対象は子どもたち。山室さんのモットーは「楽しく、正しく」という心がけだ。

また、コーチ業のほかに大会の解説なども手がける中で、「体操には堅いイメージがあるので、楽しいんだという部分をできるだけ出していきたい。演技を見るのが難しいスポーツでもあるので、できるだけ分かりやすく体操をお伝えしていければいいと思っている」という思いがある。

山室さんは引退セレモニーの後、こんなふうに話していた。

「正直、まだ引退したなという実感はそこまでないんですけど、これから日々を重ねるうちに実感していくのかな。本当はこの大会(全日本種目別選手権)に出場して引退したいという気持ちだったのですが、ここまで届きませんでした。試合を見ていると、それをあらためて感じるとともに、体操っていいもんだな、と感じています」

自身が歩んできた道に続こうとする多くの選手たちが、ありったけの思いを演技に込めて戦う姿を見つめ、フランクな、そして柔らかな口調で、目を細めるようにそう言った。

サッカーとオリンピックを中心に取材するスポーツライター

北海道大学卒業後、スポーツ新聞記者を経て、06年からフリーのスポーツライターとして取材活動を始める。サッカー日本代表、Jリーグのほか、体操、スピードスケートなど五輪種目を取材。AJPS(日本スポーツプレス協会)会員。スポーツグラフィックナンバー「Olympic Road」コラム連載中。

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