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【体操】鉄棒ニッポン オリンピック超えの高難度競演 圧巻だった全日本種目別選手権  #体操競技

矢内由美子サッカーとオリンピックを中心に取材するスポーツライター
全日本種目別選手権で優勝した橋本大輝(写真:西村尚己/アフロスポーツ)

いずれ伝説となっていくに違いない。11月24日に三重県四日市市で開催された全日本体操種目別選手権の鉄棒決勝は、演技構成の難度や出来映え、選手の顔ぶれを含めて世界最高レベルと言える試合だった。SNSで“神回”とも称された圧巻の競演を振り返る。

■出場した8人中4人がオリンピック金メダリスト

全日本種目別選手権の数日後に35歳の誕生日を迎えた田中佑典はロンドン五輪で団体銀、リオデジャネイロ五輪で団体金メダルを獲得している。美しい体操の体現者として絶大な存在感をキープしている
全日本種目別選手権の数日後に35歳の誕生日を迎えた田中佑典はロンドン五輪で団体銀、リオデジャネイロ五輪で団体金メダルを獲得している。美しい体操の体現者として絶大な存在感をキープしている写真:長田洋平/アフロスポーツ

まず最初にワクワクさせられたのは出場選手の顔ぶれだ。決勝に進出した8人のうち、半数の4人がオリンピック団体金メダリストで、さらにそのうちの2人がオリンピックの種目別鉄棒金メダリスト。

暗転した会場にパリ五輪団体金メダルの橋本大輝(セントラルスポーツ)、岡慎之助(徳洲会体操クラブ)、杉野正尭(同)、リオデジャネイロ五輪金メダルの田中佑典(田中体操クラブ)が登場すると、大会の最終種目ということもあってスタンドのボルテージは一気に上がった。橋本は東京五輪の種目別鉄棒金メダリストでもあり、岡はパリ五輪の同金メダリストでもある。

■キス&クライで並んだ18歳の角皆(つのがい)友晴と34歳の田中佑典

高校3年生の角皆友晴。若さの中にも堂々とした雰囲気をまとっている
高校3年生の角皆友晴。若さの中にも堂々とした雰囲気をまとっている写真:西村尚己/アフロスポーツ


圧巻の大技が会場のどよめきを誘ったのは直前アップのことだった。出場8選手で最も若い高校3年生の角皆友晴(市立船橋高校)がF難度の「リューキン」を披露したのだ。


2番目の演技者として出た角皆は本番でも「リューキン」を見事に成功させたほか、「アドラーハーフ+コールマン」やG難度の「カッシーナ」などを危なげなく成功させ、着地も右足一歩の動きにとどめた。Dスコア6.8は高校生とは思えないどころか世界でも数本の指に入る高難度。合計14.866点でこの時点のトップとなった。


沸き上がるスタンド。しかし、次の選手も負けていない。3番目の選手は田中。リオ五輪団体金メダルメンバーの中でただ1人、今も現役を続けるベテランは、持ち前の正確な技さばきで会場の目を釘付けにしていった。「カッシーナ」でバーと少し近くなってしまったが、倒立一つで見る人をうならせる美しさは健在。Dスコア6.4、合計14.500点で最終順位は6位だった。


今大会はフィギュアスケートでお馴染みの「キス&クライ」がフロアの中央に初めて用意され、採点を待つ選手は最高点の選手とともにソファに座った。田中が演技後に向かったソファには角皆がおり、18歳と34歳が並ぶ姿もファンを喜ばせた。
なお、角皆の最終順位は表彰台まであと一歩の4位。Dスコア6.8は全体の2番目に高かった。

■覚醒した21歳、川上翔平「パリ五輪出場を逃していちから見直した」

鉄棒は川上翔平が最初に頭角を現した得意種目
鉄棒は川上翔平が最初に頭角を現した得意種目写真:松尾/アフロスポーツ


4番目に登場したのは川上翔平(徳洲会体操クラブ)だ。倒立姿勢の美しさに定評のある21歳は清風高校時代から種目別選手権決勝に出場しており、2年前に優勝している実力者でもある。

この日は、鉄棒の前に行われた平行棒で別次元に突入したように見える素晴らしい演技を実施して初優勝。中国の鄒敬園を脅かせるのではないかと期待させるクオリティーを披露した直後の鉄棒だっただけに、演技に向かう表情にもどこか自信を深めている様子があった。


演技構成は「アドラーハーフ+コールマン」や「カッシーナ」といった日本選手が多く採り入れている技に加えて、E難度の「ウィンクラー」を交えることで個性をアピール。着地まで完璧に決めてDスコア6.6、Eスコアは最高点の8.633で合計15.233点をマークした。優勝争いの目安と言える15点超えで角皆を抜いて首位に立つと同時に、後続の選手たちにプレッシャーを与えた。

〈川上の平行棒表彰式後のコメント〉「今年はパリオリンピックの代表を逃してしまって、そこから自分の練習をもう一度、いちから見直し、Dスコアを底上げすることに取り組みました。その結果、『車輪マクーツ』というF難度の技を覚えることができて、それをこの場で披露できたことが勝てた要因だと思います」

■優勝した橋本大輝「このレベルは日本だけ」

11月30日にあったパリオリンピック・パラリンピック選手の銀座パレードで笑顔を見せる橋本大輝
11月30日にあったパリオリンピック・パラリンピック選手の銀座パレードで笑顔を見せる橋本大輝写真:松尾/アフロスポーツ



高難度の構成にチャレンジする選手が次々と出てくる中、5番手で登場したのは橋本だ。東京五輪の種目別金メダリストであり、昨年の世界選手権でも金メダルを獲得している鉄棒の第一人者。パリ五輪では予選で落下したことで種目別決勝の進出を逃したが、手札として持つ離れ技の難度や種類、再現性の高い実施を含め、総合力ではやはり世界一だろう。


その橋本が選んだ演技構成は圧巻だった。冒頭でいきなり「アドラーハーフ+リューキン」を成功。「カッシーナ+コールマン」を力尽くでねじ込んで連続技のボーナスポイントを上乗せし、得意の「伸身トカチェフ+トカチェフ」は難なく成功。着地をピタリと止めると、会心の演技の時だけ見せる会場をあおるパフォーマンスで拍手を求めた。パリ五輪で話題になった人差し指を口元に当てて会場を静めるパフォーマンスも見せた。

結果、Dスコアは現行ルールにおける最高点の6.9。Eスコアも川上に次ぐ2番目の8.566、合計15.466点で首位に躍り出た。橋本にとってはパリ五輪以来の試合。苦しいことも多かったシーズンを最高の演技で締めくくった。


〈橋本大輝のコメント〉「『カッシーナ+コールマン』はきょうのカギだと思っていたし、絶対に決めたいと思っていました。なおかつ高校生の角皆くんがDスコア6.8の構成をやっているのに6.7で勝って嬉しいわけないじゃないか、というところがありました。
(鉄棒全体を見ると)15点台を出した選手でも優勝できないというのはどういう戦いなんだと思うくらいでした。これほどのレベルになるのは世界を見ても日本だけです。その中で勝てたことはすごくいい経験になったと思います。

■エレガントな技さばきで魅せた前田楓丞(ふうすけ)

宙にふわりと舞い上がるコバチの高さ。カッシーナの空中姿勢やバーをキャッチする余裕は芸術的ともいえる前田楓丞
宙にふわりと舞い上がるコバチの高さ。カッシーナの空中姿勢やバーをキャッチする余裕は芸術的ともいえる前田楓丞写真:松尾/アフロスポーツ


しかし、これで終わってしまわないのが日本の鉄棒のレベルの高さ、層の厚さだ。

6番目に登場した前田楓丞(ナカノ体操クラブ)は、橋本のすさまじい演技を見て興奮に包まれていた会場の雰囲気に飲まれることなく、自分の演技に集中していた。


まずは冒頭の片手車輪技「ツォルミン」で観衆の視線を引き込み、「カッシーナ+コールマン」を雄大につなげる。会場が思わず息をのんだのはこの後の「コバチ」。優雅に高く舞い上がって最高のポジションでバーをつかみ、「アドラーハーフ+デフ」ではひねりの妙味で会場を沸かせた。


着地こそ両足で弾んでしまったが、高得点が期待できる出来映え。ところがEスコアは思ったほど伸びず、8.333。Dスコア6.5、合計14.833点で5位という結果だった。


とはいえ、10点満点からの減点方式であるEスコアの採点に“ボーナス点”が加わるシステムがあればどうなっていただろうと想像させるほどエレガントな演技であったのは疑いない。これほどの演技で優勝どころか表彰台に上がれないのかというところも、日本のレベルの高さを感じさせるものだった。



■来年からH難度に格上げされる「マラス」を決めた杉野正尭(たかあき)

パリ五輪でも鉄棒の種目別決勝に出場した杉野正尭
パリ五輪でも鉄棒の種目別決勝に出場した杉野正尭写真:西村尚己/アフロスポーツ

個性を打ち出した演技はまだ続く。7番目に出た杉野は、あん馬も含めてつねに独創的な技の組み合わせで見る者を楽しませてくれる選手。そして、つねにチャレンジを忘れない選手だ。


そして、この日もやはり魅せてくれた。

逆手の車輪から入り、一発目の技は「マラス」。パリ五輪の団体決勝でも見せて日本の金メダルに大きく貢献したF難度「ペガン」を屈身姿勢で行う離れ技で、現在の難度はGだが、来年からの新ルールではH難度に格上げされる超大技だ。
(※橋本や角皆がやったF難度「リューキン」や前田がやったF難度「デフ」は来年からG難度に格上げされる)


体操選手としては大柄な身長170センチの体格で力強く技をこなしながら、「コバチ+コールマン」や「ツォルミン」を次々と成功。Dスコア6.7、合計15.133点で3位になった。

■初めて「カッシーナ」を組み込んだ岡慎之助 藤巻竣平も奮闘

パリ五輪の種目別鉄棒金メダリストである岡慎之助でさえ、少しでもミスをすれば全日本の表彰台に上がれないという厳しい戦い
パリ五輪の種目別鉄棒金メダリストである岡慎之助でさえ、少しでもミスをすれば全日本の表彰台に上がれないという厳しい戦い写真:西村尚己/アフロスポーツ


最終演技者の岡も果敢な姿勢を見せた。種目別金メダルに輝いたパリ五輪では、当時すでに習得していながらもリスク回避のために構成に組み込まなかった「カッシーナ」を入れて見事に成功。その後の「トカチェフ」でバーに近づいて顔が当たり、鼻血が出るアクシデントがあったが、最後まで演技を遂行した。結果は7位だったが、観衆から大きな拍手を浴びた。また、岡と同じ22年4月24日の全日本個人総合選手権で右膝前十字靱帯を断裂するという数奇な運命をともに乗り越えた藤巻竣平(徳洲会体操クラブ)は8位。悔しい結果となったが、岡ともども、また来年は強くなって戻ってくるだろう。

鉄棒を得意とする藤巻竣平。来年こそは上位を狙う
鉄棒を得意とする藤巻竣平。来年こそは上位を狙う写真:松尾/アフロスポーツ


■橋本大輝「日本の体操がもっと強くなると思わせる大会だった」

終わってみれば鉄棒は表彰台に上がった3人(橋本、川上、杉野)が15点台。演技構成の難度を見ても、超高難度の目安と言えるDスコア6.5以上が5人もいる空前レベルの競演だった。

橋本はこのように言う。

「パリ五輪を終えて、日本の体操はもっともっと強くなるのではと思わせるような大会だったと思う。このまま波に乗ってロサンゼルスに向かっていきたい」

進化を続ける男子体操から目を離してはいけない。

▼試合の映像はコチラ▼

第78回全日本体操種目別選手権 【決勝男子鉄棒】CBCスポーツ公式チャンネル
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サッカーとオリンピックを中心に取材するスポーツライター

北海道大学卒業後、スポーツ新聞記者を経て、06年からフリーのスポーツライターとして取材活動を始める。サッカー日本代表、Jリーグのほか、体操、スピードスケートなど五輪種目を取材。AJPS(日本スポーツプレス協会)会員。スポーツグラフィックナンバー「Olympic Road」コラム連載中。

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