好発を決めたマーフィー騎手を見つめる男が、昔、彼にプレゼントしたモノとは
父からのプレゼント
例年通り1月5日、6日、JRAの競馬が開幕した。
初日に2勝、2日目には6勝の計8勝を挙げ、開幕週のリーディングジョッキーとなったのがオイシン・マーフィー騎手だ。
開幕週から大活躍した彼を誇らしげに見つめる大きな男がいた。
ありがたいことに海外を飛び回る仕事をさせていただいているため、来日前から取材させていただく外国人ジョッキーも数多い。オイシン・マーフィーもその1人。彼と話すようになって、初期の頃に印象に残っているのは彼が初めてG1を制した時の事だ。フランスでアクレイムを駆ってフォレ賞を勝った彼は「やっとG1を勝つ事が出来た」と言った。当時22歳。それでも彼にとっては「やっと」だったのだ。
マーフィーは1995年、アイルランドのキラーニーで生まれた。
「ダブリンからは車で約4時間半。実家の近くにはキラーニー、コーク、リストウェルという3カ所の競馬場がありました」
そう語るのは父のジョン・マーフィー。現在63歳ながら110キログラム以上の巨漢。牛の牧場を家族で経営しているという彼は、開幕週の中山競馬場で息子の躍動ぶりに目を細めていた。ジョンは続ける。
「オイシンが4歳になる前にポニーをプレゼントしました」
それがジョッキーへの第一歩となった事は疑いようがない。オイシンも当時を述懐する。
「父のジョンは白と黒のポニーを持っていました。彼自身、6歳から馬に乗っていたんです。僕が最初にポニーを与えてもらったのは4歳の時。ラスティという名前をつけて可愛がりました」
馬と親しめる環境を整えてもらった事から「ジョッキーになりたい」と考えるのに、時間は要さなかった。アマチュア時代はショージャンピングの大会に参加した。16歳でアイルランドの伯楽エイダン・オブライエンの下で修行。2012年にはアンドリュー・ボールディング調教師の下で見習いとなり、18歳となった翌13年、イギリスで騎手デビューを果たした。
「ボス(A・ボールディング)にはとても助けられました。見習いとしては同期と比べても決して成績優秀ではなかった僕を、サポートしてくれました」
こうしてジョッキーとしてやっていく事が出来た。だから、続けて言う。
「22歳で何とかG1を勝てたけど、小さい頃から目指していた頂だから、決して早いとは思わなかったんです。僕にとっては“やっと”だったんです」
イギリスのリーディングジョッキーへと成長
1つG1を制した彼は、その後、ボールディング厩舎のブロンドミーでもG1を優勝。更にベンバトル、ライトニングスペアーらとのコンビで面白いように世界中のビッグレースを勝利する。中でも17年の秋からコンビを組むようになったロアリングライオンとの活躍は彼を一躍トップジョッキーへと昇華させた。鞍上にマーフィーを配したロアリングライオンは17年のロイヤルロッジS(G2)で初重賞制覇を飾ると、翌18年もダンテS(G2)勝ち。更に距離を2000メートル前後に絞るとエクリプスS(G1)を皮切りに、英インターナショナルS(G1)、愛チャンピオンS(G1)、英クイーンエリザベス2世S(G1)とG1を4連勝。鞍下は同年のカルティエ賞年度代表馬の座を射止め、鞍上はワールドベストジョッキーシリーズの2位となってみせた。
そんな手土産を持ってその年の暮れ、初めて短期免許で来日した。来日前にも彼に会ってインタビューをしたのだが、その時の会話からも彼の勉強熱心さが伝わった。
「日本の競馬に関してはJRAのウェブサイトでチェックしています。世界中で乗っているユタカ・タケが上手い事は以前から分かっていますが、ケイタ・トサキやユウイチ・フクナガら日本には上手なジョッキーが沢山いますね」
そして勝ちたいレースは「イギリスのダービーやアメリカのケンタッキーダービー、オーストラリアのメルボルンCにフランスの凱旋門賞」らと並び「ジャパンCと有馬記念」の名も挙げていた。
こうして18年12月15日から日本での騎乗を開始した彼は約2カ月弱の滞在で25勝をマーク。イギリスに帰国後の19年は日本馬ディアドラでのナッソーS(G1)やボールディング厩舎のカメコによるフューチュリティトロフィーS(G1)などを含む200勝オーバー。自身初のリーディングジョッキーに輝いた。
父と息子の関係
19年11月、再び日本で短期免許を取得したマーフィーは「勝ちたい」と語っていたジャパンC(G1)をスワーヴリチャードとのコンビで制した。更に日本で年を越すと、先述した通り今年の開幕日に2勝、2日目には6勝の計8勝を挙げてみせた。
ちなみに8勝のうち半分にあたる4勝でコンビを組んだのがマーフィーの身元引受調教師でもある美浦・国枝栄調教師。アーモンドアイでも有名な同師はこの4勝で開幕週のリーディングトレーナー。絶好の開幕ダッシュを見せたわけだが、彼は若い時にイギリスで修行をした経験があり、その時、面倒を見てくれたのがイアン・ボールディング調教師。マーフィーが師事したアンドリュー・ボールディングの父親だったのだ。
さて、同じ父でも、話をマーフィーの方に戻そう。開幕週の中山競馬場に訪れた父・ジョンの事を、マーフィーは次のように言った。
「イギリスではリングフィールドとどこかの競馬場の2カ所で1日に6勝した日はあったはずです。でも、1カ所で6勝したのは記憶にありません。父の前でこれだけ勝てたのももちろん初めての事です」
一方、ジョンは自慢の息子の幼少時を次のように語る。
「オイシンは小さい頃から競馬に対して真面目に考える子で、血統についてもよく勉強していました」
そんな父に対し、もう一度オイシンの弁。
「最初に与えてもらったポニーに乗った時、僕は何度も何度も落とされました。でも、そのたびに父が僕を抱えて乗せ直してくれました」
マーフィーがジョンからもらったのはただの一頭のポニーではなかった。ポニーという姿の“ジョッキーの原点”をプレゼントしてもらったのだ。そんな礎を築いてくれた父の前で、恩返しとも言える活躍を見せ、彼は表情をほころばせた。オイシンは2月の頭まで日本での騎乗を続ける予定だが、ジョンはひと足早く、今日8日、日本を発つ。
(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)