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なぜiTunesは救世主とならなかったか〜スティーブ・ジョブズが世界の音楽産業にもたらしたもの(7)

榎本幹朗作家・音楽業界誌Musicman編集長・コンサルタント
若き友人ジョン・メイヤーとともにiPodシャッフルを発表するジョブズ(写真:ロイター/アフロ)

[前回までのあらすじ]ジョブズみずからの説得でiTunes Music Storeに賛同する大物アーティストが集うと音楽配信のブームが始まった。ネットの普及で停滞するCDの時代が終わり、iTunesの時代になる…。世界は希望を持って、音楽の復活を期待するのだった。

■iTunes Music Storeの成功がもたらしたもの

 歴史は希望と失望が織りなすタペストリーだ。

 iTunes Music Storeの成功は音楽産業のみならず、インターネットに失望していたエンタメ産業全体に勇気を与えた。そして今われわれは、映画、テレビ番組、ゲーム、本、すべてが配信される時代に生きている。

 iTunes Music Storeがアメリカでブレイクした2004年。世界のレコード産業売上が例年通り軒並み下がる中、デジタル売上の急騰したアメリカのみが2.6%のプラスを記録した(※1)。

 Napsterの席巻が始まった1999年以来、初めて見えた希望であり、ジョブズが提案する音楽のダウンロード販売は世界の音楽産業が選ぶべき方向に見えた。iTunesストアの上陸を待望するアーティスト、音楽ファンの声が各国で上がるようになった。

 アメリカではデジタルのみならず、物理売上も回復したのだった。理由はCDではない。ミュージックビデオを収めた音楽DVDが+45%の急成長を遂げたのだ。日本も音楽DVDは+25%(※2)、欧州も+21%となった(※3)。

 これには日本のゲーム産業が貢献していた。

 2000年に発売されたSonyのPlayStation 2は、iPodを超える勢いで世界を席巻した。その販売台数は累計1億5000万台となり、当時、家電史上最も売れた同一機種となった。そしてPS2では、DVDが再生できた。世界の若年層にインストールベースを得たDVDは急成長したのだった。

 iTunes Music Storeを立ち上げる際、米メジャーレーベルが最も懸念したのはCDそのものではなく、アルバムビジネスだったことを書いた。アルバムが完全消滅すれば産業規模は4分の1にまで縮小しうるからだ。

 だがこのままデジタルが伸び、音楽DVDも伸びてくれるならその心配はなくなるかもしれない。CDが死んだとしても、シングルはデジタルで買って、アルバムの代わりにDVDをコレクションする商習慣ができあがればよい。

 だが、すぐにそのシナリオは崩れることになった。mp3が共有されるようになったように、音楽ビデオも共有される時代が来たのだ。

 2005年、YouTubeが誕生した。

「いずれテレビの時代が終わり、YouTubeの時代となる」と世界は興奮した。ファイル共有に続き、音楽が動画共有の時代を牽引していた。

 MTVや音楽DVDから取ったコンテンツが数多くアップされ、ストリーミングでシェアされた。結果、YouTubeの検索クエリーは、6割が音楽関連となり、それにともない、CDに変わって好調となった音楽DVDの売上は下降に入っていったのだった(※4)。

 iTunes Music Storeは世界で次々とオープンしていった。

■アルバムの崩壊

ファイル共有、音楽配信、動画共有。

この3つが揃った時、LPの70年代、CDの90年代、二度に渡りレコード産業の黄金時代を演出したアルバムビジネスの崩壊は決定的となった。

米レコード協会の図。iTunes Music Storeの誕生した2003年からデジタルシングル売上が爆発的に増加。一方、アルバムのユニット売上はNapster以降1/3に。売上額も1/3になった
米レコード協会の図。iTunes Music Storeの誕生した2003年からデジタルシングル売上が爆発的に増加。一方、アルバムのユニット売上はNapster以降1/3に。売上額も1/3になった

 90年代。アメリカ国民は1人あたり3.5枚超のアルバムを購入していた。だがiTunesミュージックストアの黄金時代、2009年にはアルバムの売上は1枚/人にまで下降した。

 かわりに伸びたのがシングル売上だ。

 それは爆発的に伸び、同2009年、1人あたりの売上は3.5曲超となった。ちょうど購入数がアルバムからシングルに入れ替わった状態だ。

 結果、アメリカのレコード産業売上は、ピーク時の76ドル/人から2009年には26ドル/人に。総売上は往時の3分の1にまで落ちこんだ。ほぼメジャーレーベルが懸念した通りの結果となったわけだ。

「まさか生きている間にこうなるとはね。タワーレコードも消えたよ」

 サイアー・レコードの創業者シーモア・スタインが語るように(※5)、CDストアはアメリカで壊滅した。

 Napsterから始まったファイル共有の席巻以降、売上がほとんどゼロになったシングル売上を救ったのはiTunesだ。iTunesは1950年代を超えるシングルの黄金時代をもたらした。だが、iTunesではデジタルアルバムはいっこうに売れなかった。

 業を煮やしたメジャーレーベルは、シングルの値段を上げるようAppleに求めたが、強気の交渉は不可能だった。ジョブズが値上げを拒否することは容易だった。交渉が決裂してiTunesで売れなくなったら、デジタル売上の4分の3を失うのだ。

それだけでない。もっと大きな誤算があった。

■なぜiTunesは救世主とならなかったのか

 2008年、IFPI(国際レコード産業連盟)は衝撃的なレポートを公表した。世界の音楽ダウンロードのうち、合法ダウンロードはたった5%だったのだ(※6)。

 確かにiTunes Music Storeはデジタル音楽売上の7割を占める牽引役だった。だがそれは、たった5%しかない合法ダウンロードのうちのシェア7割、すなわち3.5%しかiTunesは改善できなかったことになるのだった。それはiTunes Music Storeが違法ダウンロード対策にほとんどなっていなかった、ということを意味していた。

 インターネットが普及すれば、音源のコピーを販売するビジネスモデルは崩壊する…。

 90年代後半、アメリカの音楽産業で思想的リーダーを務めていたジム・グリフィンは、そう予言した。デジタルデータが無数の端末に複写されていくのがネットの本質だからだ。

 CDもiTunes Music Storeも、音源のデジタルコピーを販売するビジネスモデルにかわりはない。iTunesが革命を起こしたのは流通の部分であり、エジソンが創始したビジネスモデルの根本は変わっていなかった。

 ダウンロード販売の失敗を予言し、定額制配信(音楽サブスク)の時代を提唱したグリフィン。音楽サブスクの失敗を予言し、ダウンロード販売を提唱したジョブズ。

 まずジョブズの予言が当たり、やがてグリフィンの予言が当たるという20年だった。

 iTunesミュージックストアは世界一の音楽販売会社になった。iPodのヒットでAppleの時価総額は、iPhoneの登場を待たず10倍となった。音楽ソフトの販売をフックにハードで稼ぐAppleは成功を収めたいっぽうで、レコード産業は依然苦しんでいる構図だった。

 音楽はソフトで稼げず、ハードが稼ぐ時代が来る。Sony Musicのアンディ・ラックCEOの予測したとおりとなったのだった。

アメリカでは2000年から2009年にかけてプロミュージシャンの30%が失業した。メジャーレーベルに金が回らなくなり、制作費が大幅に縮小されたのが響いた
アメリカでは2000年から2009年にかけてプロミュージシャンの30%が失業した。メジャーレーベルに金が回らなくなり、制作費が大幅に縮小されたのが響いた

 新人アーティストはもっと悲惨だった。

 世界のデビューアルバムは、2003年から2010年にかけて売上枚数がマイナス77%となった。ベテランや人気アーティストが稼いだ金を、新人のデビュー予算に回し、ビジネスを循環させるのが音楽産業の仕組だ。

 だが資金繰りが悪化し、新人に投資資金を回す余裕がなくなった。大不況で新商品を開発する余裕が無くなり、ジリ貧になる企業の構図だった。

「iTunesは音楽産業を破壊している」

 この惨状にそうした意見が世界中から出るようになったのも無理はない。だが、そう言い切れるかどうか。iTunes Music Storeが無ければ、その売上分がごっそり無い世界が到来していた可能性もあったからだ。代替は登場したろうが、それがどこまで伸びたか想像はつかない。

 のみならず、スマホとYouTubeが若年層に行き渡って以降、iTunesのデジタル・シングル売上自体も下降の一途を辿ったのだった。YouTubeの音楽ビデオは、シングルを無料で配布しているに等しかったからだ。

 iTunesの影響はプラスかマイナスか。実は、事の本質はそこには無かった。

レコード産業が依って立つ複製権ビジネスの技術的基盤は、インターネットに破壊されている。音源のコピーを売るという点で、iTunesのビジネスはレコードやCDと本質的に変わらなかった。

 これこそ、iTunesが音楽産業の救世主になりえなかった本当の理由だった。

「全く新しいもの」につながる何かが要る…。

 iTunes Music Storeのブームが落ち着いた頃、レコード産業はそう希求するようになった。そしてそれには、またしてもジョブズが強く関わることになる。

 夜明け前の闇が最も深いという。定額制配信(サブスク)へ世界が動く前の時代背景は、こうしたものだった。いまでは日本を除き、世界の音楽産業はプラス成長の光明に包まれている(続く)。

■本稿は「音楽が未来を連れてくる(DU BOOKS刊)」の一部をYahoo!ニュース 個人用に編集した記事となります。

関連記事:

iPhoneを予感していた29歳のジョブズ〜iPhone誕生物語(1)

iPod誕生の裏側~スティーブ・ジョブズが世界の音楽産業にもたらしたもの(1)

※1 IFPI Worldsales 2005 p.2

※2 http://www.riaj.or.jp/data/video/2004.html

※3 Idem., p.4

※4 Resolution Media社Bryson Meunier氏のリサーチによると、2008年のYouTubeでのクエリーのうち86%がエンターテイメント・カテゴリであり、エンターテイメントのクエリーの71%が音楽だった。つまり86%かける71%でYouTubeでのクエリーの61%が音楽であった。

http://www.brysonmeunier.com/youtube-video-keyword-research-and-characteristics-of-popular-youtube-queries/

http://www.riaj.or.jp/release/2011/pdf/20110808_2report.pdf

※5 Alex Winters (2013) "Downloaded", FilmBuff 20:00〜25:00

※6 IFPI Digital Music Report 2009, p.3

作家・音楽業界誌Musicman編集長・コンサルタント

著書「音楽が未来を連れてくる」「THE NEXT BIG THING スティーブ・ジョブズと日本の環太平洋創作戦記」(DUBOOKS)。寄稿先はNewsPicks、Wired、文藝春秋、新潮、プレジデント。取材協力は朝日新聞、ブルームバーグ、ダイヤモンド。ゲスト出演はNHK、テレビ朝日、日本テレビ等。1974年東京都生まれ。上智大学英文科中退。在学中から制作活動を続け2000年、音楽TV局のライブ配信部門に所属するディレクターに。草創期からストリーミングの専門家となる。2003年、チケット会社ぴあに移籍後独立。音楽配信・音楽ハード等の専門コンサルタントに。2024年からMusicman編集長

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