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別れたいけど別れられない?別れても好き?ハリウッドの「どうなってるの」カップル

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
ベン・アフレックとジェニファー・ガーナーは離婚するとの声明を1年半前に発表(写真:Splash/アフロ)

ベン・アフレックとジェニファー・ガーナーが世界に向けて破局を発表したのは、1年半前のこと。結婚10周年記念日の翌日である昨年6月30日にふたりが出した共同声明には、「注意深く、かつ長い時間をかけて考えた結果、私たちは、離婚をするという辛い決定を下しました。今後も、私たちは友情を保ち続け、子供たちを一緒に育てていきます。この厳しい時期、子供たちのプライバシーを尊重してくださいますよう、お願いします」とある。

しかし、その後、アフレックも、ガーナーも、離婚申請に踏み切っていない。子供たちの生活をできるだけ変えないようにするためという理由で、アフレックは、今も同じ敷地内の離れの家に住んでおり、家族で一緒に出かける姿も時々パパラッチされている。ヒラリー・クリントン支持を表明していたふたりは、先月の大統領選にも一緒に出かけた。今月、筆者がアフレックをインタビューした時、彼は「あの選挙の日は、ジェニファーと共に、友人たちを集めて開票テレビ中継を見るパーティを開いたんだよ」と語ってもいる。ジャーナリストに向かって「ジェニファーと」とわざわざ伝えたことに何か意図があったのか、それともただなんとなく出ただけなのかは、わからない。

離婚申請をしたのに取り下げたり、離婚をしたのにまた寄りを戻したりするハリウッドカップルは、いくつも例がある。最近ならば、たとえばこの人たちだ。

ミーガン・フォックスとブライアン・オースティン・グリーン

フォックスとグリーンの出会いは、まだフォックスが無名の18歳だった2004年のこと。2006年に婚約するが、2009年に破棄。まもなく復活して、2010年に結婚した。

ふたりの男の子をもうけ、母親業と女優業の両立を楽しんでいた様子のフォックスだったが、2015年8月、離婚を申請。その手続きが先に進められる気配がないうちに、フォックスがまたもや妊娠していることが発覚した。当初こそ、「父親は誰?」と騒がれたりもしたが、すぐにそれは明らかに。今年8月に生まれた3人目も男の子で、この5人家族は、今のところ、また仲良くやっているようだ。

ハル・ベリーとオリヴィエ・マルティネス

フランス人俳優マルティネスは、ベリーの3番目の夫。ふたりは、北米ではVOD公開となった「ダーク・タイド」(2011)に共演して知り合っている。2013年7月に結婚し、同年10月に長男が誕生した。

それから2年後、ふたりは、「私たちは、離婚をするという辛い決断に達しました。これからもお互いに対して愛と敬意を持って接し、息子のことを一番に考えていきます」との共同声明を発表。すぐに正式な離婚申請もしたが、その後、必要な手続きをまったく取らなかったため、裁判所から、「何もしないなら、この申請を破棄します」という手紙を受け取ることになっている。ふたりはまだ、書類上は結婚したままだ。

マルティネスの問題は、怒りをコントロールできないこと。彼は、ベリーの前のパートナーで、長女ナーラの父親であるガブリエル・オーブリーと殴り合いの喧嘩をしたこともあれば、最近もL.A.の空港で暴力事件を起こしてもいる。彼がこの部分を直さないかぎり、ベリーに復縁するつもりはないらしいが、すでに2回やっている離婚のプロセスをまたもや経験することに躊躇を感じているようである。

ショーン・ペンとロビン・ライト

このふたりは、今やすっかり終わってしまっている。しかし、ここに至るまでに、何度ものくっついたり離れたりがあった。ペンとライトがつきあい始めたのは、ペンがマドンナと離婚をした直後の1989年。91年には長女ディラン、93年には長男ホッパー・ジャックを授かる。一時、別れたりしたものの、96年ついに結婚。これを受けて、ライトは芸名もロビン・ライト・ペンに改名している。

だが、結婚してからの道のりも険しかった。最初の離婚申請は2007年12月。その4ヶ月後、ふたりは揃って申請を却下する。2009年4月、ペンはあらためて離婚を申請。彼は翌月、申請を取り下げるが、同年8月に、今度はライトが離婚申請をした。この時のライトの決意は本物だったようで、彼女は苗字をライトに戻している。2010年7月、離婚は成立した。

ライトはこの後、14歳年下のベン・フォースターと交際を始め、2014年1月に婚約を発表。同年末、婚約を破棄、翌年再び婚約者同士として復活するが、最終的に破局している。

マドンナとショーン・ペン

マドンナとペンの出会いは1985年2月。半年後のマドンナの誕生日に結婚式を挙げた。マドンナは87年12月に離婚を申請。それは取り下げたものの、89年1月に再び申請し、離婚が成立した。結婚中、ペンによるマドンナへのDVがあったとの報道も出ている。

その後、マドンナはガイ・リッチーと結婚し、離婚。ペンも、ロビン・ライトとの離婚後、スカーレット・ヨハンソンやシャーリーズ・セロンとつきあっては別れた。

2015年、リー・ダニエル監督が彼と親しいテレンス・ハワードを弁護すべく、ペンだってマドンナにDVをやっていたじゃないかとの発言をした時、マドンナは、ペンを支持するべく、彼によるDVはなかったとコメントしている。マドンナはまた、ペンが主催するハイチ支援のチャリティイベントにも出席し、レッドカーペットで並んで写真撮影に応じた。そして今月、マイアミで行われたマラウイのためのチャリティイベントで、彼女はペンと共に舞台に上がり、「私はまだあなたのことを愛しています」と言い、彼が15万ドルの貢献してくれたら彼とまた結婚をすると宣言したのである。15万ドルには至らなかったようだが、実際、彼は、そのチャリティイベントで、いくつかの高価なオークション品を競り落としたようだ。

ジェニファー・ロペスとマーク・アンソニー

ロペスとアンソニーが結婚したのは、ロペスとベン・アフレックの婚約が解消された直後の2004年。だが、そのずっと前の90年代に、ふたりは短い交際をしており、アフレックがロペスとの結婚式をどたきゃんした直後の2003年秋ごろにも、ロペスとアンソニーが会うところが目撃されたりしている。

ロペスの最初の2回の結婚はいずれも1年も持たずに終わったが、3度目の相手であるアンソニーとは、8年続いた(結婚したのは2004年、アンソニーが離婚申請をしたのは2012年、離婚成立は2014年)。

破局後まもなく、ロペスは18歳年下のバックアップダンサー、キャスパー・スマートと交際し、2014年に一度別れ、復活したものの、今年また別れた。一方、アンソニーは、2014年、モデルのシャノン・デ・リマと結婚している。

先月のラテン・グラミー賞授賞式で、ロペスとアンソニーは一緒に舞台に上がった。そこでロペスは彼に対する絶賛コメントをし、ふたりはキスを交わす。それからまもなく、デ・リマとアンソニーは破局を発表している。

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「シュプール」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

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