30年前の「すみれ」の味噌ラーメンが新横浜ラー博で復活! その味とこだわりとは?
「30年前の札幌『すみれ』の味噌ラーメンが復活する」
これだけ聞いて正直私は震え上がった。
昔から「札幌味噌ラーメン」という名前は知られていたが、首都圏で本格的な札幌味噌ラーメンが愛されるようになったこと、そしてさらに札幌味噌ラーメンが全国区になっていったのは、「すみれ」の新横浜ラーメン博物館(「ラー博」)出店がきっかけといっても過言ではないだろう。
「純連(すみれ)」とラー博との出会いは1991年のことだ。
ラー博の創業者・岩岡洋志さんが調査のため、全国を食べ歩いていた頃にさかのぼる。
岩岡さんの当時のメモを見ると、
「なんだこれはと思った。初めての味に驚いた! 今まで出会ったことのない札幌みそラーメンと出会う!」
と書いてある。衝撃を受けた岩岡さんは食べた後すぐにラー博への出店交渉をした。
当然ながら門前払いを食らった岩岡さんだが、約3年の間に100回以上も通い、最終的に店主の村中伸宜さんが家族の反対を押し切って、「純連」という屋号でなくひらがなの「すみれ」という店名で出店することが決まった。こうして1994年3月、「すみれ」はラー博に出店した。
時は流れ、それから30年。
今回ラー博の30周年を記念した「あの銘店をもう一度」企画で、「すみれ」がラー博に出店した94年当時の味噌ラーメンを28日間限定で復活させる。
30年前の味噌ラーメンは作るのに高度な技術を要するので、熟練した職人しか作ることができないという。
今回の企画は村中さんが期間中厨房に立ち、認めた弟子たちと一緒に当時の味噌ラーメンを再現するというとんでもない企画なのである。
そのお弟子さんは全部で12人。どのお店も今や業界を牽引する名店だ。そんな12人が「すみれオールスターズ」として期間中交代で厨房に立つという。
「大島」(東京・船堀)
「三ん寅」(東京・江戸川橋)
「彩未」(北海道・札幌)
「郷」(神奈川・大和)
「福龍」(東京・浅草橋)
「狼スープ」(北海道・札幌)
「千寿」(北海道・札幌)
「IORI」(北海道・千歳)
「ふしみ」(北海道・札幌)
「つくし」(富山)
「八乃木」(北海道・札幌)
「みかん」(北海道・小樽)
筆者は30年前、まだラーメンの食べ歩きを始めていない。
初めて「すみれ」のラーメンを食べたのはおそらく2001年か2002年に行った北海道旅行の時で、本店に行ったのを覚えている。
30年前の「すみれ」が食べられる日が来るとは。そして、それはどんな味なのだろう。
ワクワクとドキドキを胸にラー博に向かった。
大行列の先に、厨房で鍋を振るう村中さんと大島さんの師弟コンビ。これだけで泣けてきてしまう。
煮玉子入り 30年前の味噌ラーメン(¥1400)とライス(¥200)を注文。
味噌の香ばしい香りとビシッと効いたラード、これぞ「すみれ」手作りの味。そしてプリプリの麺は札幌・西山製麺製。
熟練の旨さは横綱オブ横綱だ。
村中さんに話を聞いた。
「生味噌から作る当時の製法は、しょっぱさを感じつつも油と混ざって良い塩梅になります。
うちのラーメンは札幌でも独自の作り方なので、ラー博出店当時、皆さんびっくりしてくれて、思った以上に反響があったんです。これがきっかけで『すみれ』が全国区になりました」(村中さん)
ラーメンはとにかく「油」がポイントで、食べた時に熱さをしっかり感じられるかが大事だという。
五感を使って作るその製法はなかなか習得できるものではなく、作り手を育てるのに苦労したが、今回の企画ではレジェンドというべきお弟子さんが12人も集まった。
「弟子たちがさらに『すみれ』の味を広げてくれています。みんながクローズアップされることで、『すみれ』にも光が当たる。まだまだ負けていられません」(村中さん)
ラー博もラーメンのテーマパークとして30年間トップを走り続けてきた。村中さんとしても、ともに時代を作ってきたラー博に敬意を表している。
「30年でみんな進化してきました。
最後に残るのは本物だけ。みんなそれを目指して進化し続けています」(村中さん)
当時を知る者も知らない者も、この「すみれ」の歴史ある一杯を味わいながら、思いを馳せる。
あの銘店をもう一度"94年組" 第5弾 札幌「すみれ1994」
出店期間:2024年1月9日(火)~2024年2月5日(月)
出店場所:横浜市港北区新横浜2-14-21
新横浜ラーメン博物館地下1階
営業時間:新横浜ラーメン博物館の営業に準じる。