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【戦国こぼれ話】天下の名城で国宝・世界遺産の姫路城は、もともと黒田官兵衛が城主だったという話

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
春の姫路城と赤い橋。桜が実に美しく、ぜひ訪ねてみたい。(写真:GYRO_PHOTOGRAPHY/イメージマート)

 姫路城(兵庫県姫路市)の天守周辺に広がる「原生林」を調べてみると、実はそうでなかったことが話題になっている。国宝そして世界遺産として知られる姫路城は、別名「白鷺城」と称され、もともとは黒田官兵衛の居城だった。

 しかし、その築城年代などについては、今も疑問点が多い。今回は、姫路城について考えてみよう。

■姫路城の築城経過

 最初に姫路城を築城したのは、いったい誰なのであろうか。南北朝期以降、播磨国では赤松円心が守護に就任して支配した。一説によると、もともとの姫路城は、円心が築いた陣だったといわれている。

 その後、貞和2年(1346)に赤松氏庶流の赤松貞範が姫路城を築城した、という説が登場した。貞範は円心の次男で、赤松春日部家の祖となり、のちに美作国守護を務めた人物である。

 赤松貞範築城説は、橋本政次『姫路城史(上)』や石田善人『姫路市史 別編・姫路城』などでも紹介されており、通説の地位を占めるようになった。この説は、史実として認めてよいのであろうか。

 正直なところ、赤松貞範築城説は良質な史料に基づいたといえず、史実として認め難い。率直に言うと、貞範が姫路城を築城したことを証明するたしかな史料はない。あくまで、後世に成った二次史料に拠るものにすぎない。

■黒田官兵衛と姫路城

 黒田官兵衛孝高が姫路城主であったという説は『黒田家譜』に書かれているが、これまで良質な史料で裏付けることは難しかった。しかし、『伊勢参宮海陸之記』という史料によって、それが間違いないことが判明した。

 同史料の天正4年(1576)6月の記事には、「姫路の用(要)害、小寺官兵衛尉城主なり」と書かれている。「用(要)害」とは城のことで、「小寺官兵衛尉」とは黒田官兵衛のことである。当時、官兵衛は小寺氏の配下にあり、小寺姓を名乗っていた。

 なお、『伊勢参宮海陸之記』は、伊予西園寺氏の家臣・西園寺宣久の手になる紀行文で、和歌や俳諧などが織り交ぜられている。史料としての信頼度は高い。

 少なくとも、これ以前から姫路城は黒田氏の居城であった可能性が高いといえる。ただ、今のような立派な姫路城ではなく、規模の小さいものだった。「原姫路城」と称することができよう。

■羽柴(豊臣)秀吉に提供された姫路城

 天正5年(1575)、官兵衛は中国計略を控えた羽柴(豊臣)秀吉に対し、攻撃の拠点とすべく姫路城の提供を申し出た。そして、姫路城は秀吉によって補強され、3層の天守や石垣だけに止まらず、城下町も整備したといわれている。

 天正8年(1580)1月に秀吉が三木城(兵庫県三木市)の別所氏を滅ぼすと、三木城を本拠にしようと考えた。しかし、秀吉は熟慮したすえ、最終的に姫路城を本拠に定めた。

 その理由は、姫路城の近くには瀬戸内海が広がり、山陽道が通るなど、陸海の交通の要衝地だったからだ。今後、毛利氏との対決を考慮するならば、絶好のロケーションにあったといえる。姫路城を拠点にするよう進言したのは、ほかならぬ官兵衛だった。

 天守を解体修理した際、一回り小さい石垣が現在の大天守の石垣の中から発見された。これが、秀吉時代の遺構であると考えられている。残念ながら、秀吉時代の遺構は多く残っていない。

■その後の姫路城

 慶長5年(1600)の関ヶ原合戦後、池田輝政が姫路に入ると、姫路城の本格的な大改修が行われた。工事は翌年から開始され、9年の歳月をかけて完成した。

 現在の姫路城の建築物は、この時代のものが数多く残っている。何よりも国宝や重要文化財に指定された建築物が多い。次に挙げておこう。

(1)国宝 ― 大小天守4棟、渡櫓四棟。

(2)重要文化財 ― 櫓16棟、渡櫓11棟、門15棟、塀32棟。

 このほか国宝・重要文化財に指定されたものは、折廻櫓、井郭櫓、帯の櫓、帯郭櫓、太鼓櫓、化粧櫓などがある。姫路城はほかの城に比べて、国宝や重要文化財に指定されたものが図抜けて多いのである。世界遺産に登録されたのは、平成5年(1993)のことである。

 天守の特徴は、連立式の大天守、西小天守、乾小天守、東小天守の大小4つで構成されている点だ。中でも大天守は33メートルの高さを誇り、外観5層、内部7階という非常に規模の大きいもので、現存の天守としては最大である。

 このように姫路城については、実に謎が多い。しかし、官兵衛が姫路城を居城にしていたのは事実であり、そのことはたしかな史料により裏付けられたのである。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『播磨・但馬・丹波・摂津・淡路の戦国史』法律文化社、『戦国大名の家中抗争』星海社新書、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書など多数。

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