Yahoo!ニュース

東日本大震災は大困難で大ピンチ。それをチャンスに換えた「RSテクノロジーズ」の経験(下)

鈴木崇弘政策研究者、PHP総研特任フェロー
RST社の三本木工場(現在) 写真:RST社提供

           …前号(上)よりつづく…

S:生活の大変さも加わり、さらに深刻な状況に直面されたわけですね。

遠藤智さん(以下、遠藤さん):そんななか、方社長が、現地の困難さや大変さを考えてくれて、カップ麺や缶詰などの食料やガソリンなどを素早くかつ短期間でかき集めて、被災地へのアクセスルートも非常に限られるなか、それらの必需品が満載のトラックを大阪から現地に送ってくれたのです。確か3月13か14日ごろでした。それで従業員や家族はまず何とか食料の確保ができたのです。またガソリンも限られた分量をできるだけ有効活用するために、ワンボックスカーに入れて、従業員がそれで一緒に出社するというような対応をとりました。

S:それは非常に心強く感じられたのではないですか。

遠藤さん:はい、希望を感じました。そして、それが、「この会社も何とかなるかもしれない」という気持ちにしてくれたのです。

インタビューに答える遠藤智さん 写真:筆者撮影
インタビューに答える遠藤智さん 写真:筆者撮影

S:ところで、この震災は大変な事態でしたが、遠藤さんからみて、震災は、ご自身、会社(株式会社RSテクノロジーズ。以下、RST社)、地域などにとってどのような意味があったとお考えですか。従業員の方々などの意見や雰囲気などは、その前後で何か変化はありましたか。

遠藤さん:そうですね。RST社が始まったときに、従業員は、給与は以前の給与から大きく下げざるを得ず、賞与もどうなるかわからない状態で、モチベーションが下がっていました。

 しかし、方社長の震災時のその対応でモチベーションが一気に高まるきっかけになりました。そして、従業員は、方社長と気持ちがつながり、信頼感が高まったわけです。

 また震災直後から操業再開までの間は、多くの従業員に自宅待機を指示することになりました。

 このような場合、法的には6割の給与補償を義務付けられていて、被災した多くの企業はそういった基準に基づいて従業員の給与補償をしたと聞いています。

 それに対して、方社長以下の当時の経営層は、自宅待機の状況下でも100%の給与を支給しようと決めたのです。これは、従業員は被災し生活が非常に大変だろうと考えて配慮した経営層の温かい判断でした。このことも、従業員のモチベーションや本社への意識の高まりに貢献したと考えています。

S:方社長は現地にはいつ来られましたか。またその後の会社の事業などはどのような状況でしたか。

遠藤さん:4月のはじめだったと記憶しています。当時は、ほんとうに無我夢中で、社員の皆さんと復旧活動を行っていて、非常に深刻で厳しい状況にあったのですが、それだからこそ一体感が生まれ、当時の困難を乗り切っていったという感じでした。

 震災直後は、生活用水優先で地域の復旧が行われましたが、4月20日ごろになると工業用水も復旧し、その後に超純水(注1)の復旧が行われ、5月の連休ごろには何とか工場を復旧させ稼働で稼働できる状態にすることができたのです。

 このようにして、モノがつくれるようになり、社内は少しずついい雰囲気になってきていたのです。そしてモノをつくり、顧客に購入してもらい、さらに並行して徐々に顧客からサプライヤー認定がされるなど、次第に好循環が生まれていったのです。

 また、再生ウェーハのビジネスでは顧客との信頼関係が重視されるので、国際的な規格・標準を満たしていることも重要です。そこで、厳しい制約や状況にはありましたが、顧客満足度を向上させて一貫した製品やサービスを提供し続けられる一定以上の品質を保証するプロセスが確立されている証として品質マネジメントシステムに関する国際規格であるISO9001や製品の製造やサービスの提供において可能な限り地球の環境に対して負荷を与えないようにする環境マネジメントシステムに関する国際規格であるISO14001の取得も行いました。

 その規格認定の取得で、顧客も工場を訪れるようになってきたわけです。

RST社の三本木工場の内部での作業の様子(現在)  写真:RST社提供
RST社の三本木工場の内部での作業の様子(現在)  写真:RST社提供

S:お話を伺っているだけでも、当時の大変さがほんとうに伝わってきます。実際はそれ以上だったと想像します。いくつもの困難な状況のなか、新しい会社を「起業」しながら、社内が一体となって、多くの迫りくる問題や課題を一つずつクリアしていった感じですね。

遠藤さん:正にその通りです。翌年2012年7月にはじめて単月で黒字となりました。

 しかし、それまでは、月1回の経営会議では非常に厳しい指摘や意見もいただいていました。方社長も、危機感が強かったので、実際に国内外の多くの顧客を直接に訪問し、トップセールスを行ったことで、RST社への信頼感が高まり、すぐに多くの顧客が戻ってきてくれて、事業につながっていったのです。

S:なるほど。それと、信頼が戻り事業が回るようになったのは、遠藤さんをはじめとする以前に再生ウェーハ事業で中心を担われていた方々が、RST社の初期に入社し大活躍されたことも大きかったと思います。

遠藤さん:私たちは、当時以前の顧客を復活するだけではダメで、事業を拡大させるには、新規の顧客の獲得が必要であると考えていました。それでさまざまなチャレンジもしました。特に方社長が、日系3世ですが中国出身なので中国語が母国語であることもあり、台湾にあり当時すでに世界最大の半導体受託製造企業(ファウンドリ)であった台湾集積回路製造株式会社(Taiwan Semiconductor Manufacturing Company, Ltd.、いわゆるTSMC)に直接にトップセールスをしたのです。

 日本でも最近半導体への関心が高まるなか、日本政府からの1兆円規模の支援がなされるといわれる熊本工場を建設し、今後さらにいくつもの工場が建設されるということで、一般の方々にも名前が知られるようになったTSMCです(注2)。

 同社は、当社RST社がこだわっている品質の高さよりも、再生ウェーハの納期やコストにこだわっていました。当社はこれまでは製品は3週間~4週間かけて納品していたのですが、TSMCは2週間で納品することを要求してきたのです。

 以前はそのような要求は断っていたのですが、当時のRST社は切羽詰まった状況にあり、断ることができるような余裕もありませんでした。そこで、何としても受注するという前提で考えて、過剰スペックを止め、価格もできるだけ抑える努力をガムシャラにしたのです。その結果、やっと何とか受注することができたのです。

 そこで、それに対応できるように、2012年7月以降は、24時間交代勤務のフル稼働状態になったのです。ただ、先にも申し上げたように、当時は工場の人員は限られていて、給与も低かったのです。

 しかし、TSMCの要求に対応するために、1か月で何としても100名集める必要がありました。震災で仕事もない方々も多いなか、人を集めて教育・指導をして、1か月後にフル稼働にもっていく必要があったのです。従業員からは「そんなの絶対ムリ」「対応できない」という意見も当然にありました。それを粘り強く何とか説得していき、納期短縮等を実現したのです。

 それは非常に厳しい経験でしたが、その過程が、生産の効率化や生産性の向上につながり、RST社の今の文化、社風の形成にもなったのです。プラスの効果も生んだのです。

S:遠藤さんや皆さんが、従来の発想や対応を変え、一体となって、非常に厳しい状況や環境のなか、ある意味「イノベーション」「進化・新化・深化」を起こして、危機や困難を乗り越えていったのですね。そして、新しいRST社を「起業」していったのですね。それが今につながっているということですね。

 当時の方社長や地域はどんな役回りをされていたのでしょうか。

遠藤さん:方社長は、震災が起き復旧作業をしている際に、従業員に、「この事業は決して止めない」「一緒に頑張ろう」というメッセージを出しながら、さまざまな面で尽力していました。

 三本木工場のあった宮城県や大崎市の震災や雇用に関する補助金や助成金を活用できたことも、復旧の過程でRST社にとって非常な助けになりました。

:震災は大変な出来事・事態でしたが、RST社は、非常なる尽力とチャレンジで、そのピンチを、ある意味「起業」・「創業」のチャンスに換えていったように感じます。

遠藤さん:確かにそういえるかもしれません。

:RST社は当時、地域にどのように認知されていたのでしょうか。新しい企業になった直後に、震災に見舞われたわけですから。

遠藤さん:大崎市の伊藤康志市長や職員らからは「雇用を守ってくれた」として感謝されていました。

RST社の三本木工場の内部での作業の様子(現在) 写真:RST社提供
RST社の三本木工場の内部での作業の様子(現在) 写真:RST社提供

:当時、社内における具体的なオペレーションはどのようになされていたのでしょうか。

遠藤さん:いろいろなことがありますが、そのいくつかの象徴的なことをお話ししたいと思います。

 私は、月1回は、東京本社に来て、また本郷邦夫取締役・事業本部長(当時)とは頻繁に電話連絡をとり、工場の現場と本社の間のギャップが生まれないようにしていました。以前の別の企業の経験があり、しかも飽くまでも新しく「起業」された企業ですので、関係者間のギャップが生まれやすくギクシャクしがちだったので、その溝を埋める必要があったのです。まして、廃業・起業・震災という3重苦のなかでの事業の立ち上げでしたので、会社内はギクシャクしがちな状況にあったのです。

 方社長は、年4回程度、お客さんを連れて三本木の工場に来ており、現場の業務は基本的に私たちに一任してくれていましたが、その分野の専門家でない視点から斬新なアイデアを出してくれましたし、工場での稟議では、特に費用に関しては、かなりコスト意識をもってきめ細かく対応してくれました。

 前職ではそのようなコスト意識は必ずしも高くありませんでしたし、私が課長職のときに丹精込めて関わっていた再生ウェーハの仕事がなくなり、やるせなさを感じ、やる気も失せていたのですが、その事業を何としても止めたくないと思い、その新しい文化や対応の違いを受け入れることにしたのです。

 今から思えば、震災もありこのような変化もあったからこそ、この事業は良くなり、RST社はここまで発展してこられたと考えています。私は39歳のときでした。

 また私も、社員の方々に対しては、RST社の将来の計画をなるべく伝え、後ろ向きにならないようにメッセージを出すように努めました。毎月1回は、社員全員を集めて、定期会合を開催し、事業の状況を伝えていました。

 それから、話が前後するのですが、2010年12月に、方社長、本郷事業本部長、鈴木正行管理本部長(当時)から、RST社に入社する従業員に向けての説明会がありました。その際には、給与などの条件も非常に景気の良い説明があり、彼らも高い期待感をもったのです。

 ところが開業後の実態は必ずしもそのようにはなりませんでした。それにその後震災が起きたのです。その後の工場内の雰囲気については、すでにお話ししたように、徐々に良くなるのですが、当時はまだまだの状況でした。

 そんなときです。2011年~2012年ごろもまだまだ赤字が続き、儲かっていなかった時期でしたが、本郷事業本部長(当時)が、非常にわずかですが、昇給を認めてくれたのです。

 本郷さんは、仕事に厳しい方ですが非常に情がある方で、このことが、当時の従業員のマインドを「頑張ればよくなる」という方向に変えることに大いに貢献したと思います。その意味では、本郷さんに大変感謝しています。

S:なるほど。そうですね。厳しい状況だからこそ、社内の雰囲気や社員の方々のマインドを変え、全体を前向きにしていくことが重要ですね。RST社の震災時における創業のプロセスには、企業マネジメントにおける人材、手法・対応・ノウハウ、タイミングなどのさまざまなエッセンスがあり、学ぶことが多いように思います。

 それでは、最後に遠藤さんのRST社および社員、地域などへの思いやメッセージをいただければと思います。

遠藤さん:まず安定的な仕事があり、収入が上がり、社員が自分にとって、自分の会社を誇りに思える会社にしたいと考えています。そして、地域にRST社やその事業などをもっと理解してもらうためには、まだやれることも多いかと思います。

 また工場の福利厚生の向上、会合のイベントや地域住民との交流もまだまだですし、コロナ禍などでできていませんでした。そのような機会もぜひ提供していきたい。それを通じて、人材が成長し、社会人としてのスキルが育つ環境づくりもしていきたいと考えています。その意味で、RST社独自の文化づくりもこれから取り組むべきことです。

S:すべきこと満載ですね。

遠藤さん:おっしゃるとおりです。方社長は、RST社発足当時から、「世界の三本木工場」といわれているのですが、「世界に挑戦することを忘れてはいけない」といってきています。

 そこでこれからは、地域の人材が集まり、モノづくりをして継続的に発展していけるようにしていきたいと考えています。また今の社員の子弟の世代にも、また地域さらには世界にも貢献し、知られるようにもしていきたいと思います。

 非常に厳しい状況や環境のなかで、組織や事業がなくなる経験をしてきたので、そのようなことが二度と起きることのないようにして、組織を成長させ、関係者や地域の方々などの生活や暮らしにも貢献していきたいと思います。

S:本日は、長時間にわたりありがとうございました。廃業や震災などの多くの困難などをご経験された遠藤さんだからのお言葉ですね。今後のさらなるご活躍と発展を期待しています。

遠藤智(えんどう・さとる)

株式会社RSテクノロジーズ取締役製造部長

遠藤智さん 写真:本人提供
遠藤智さん 写真:本人提供

 国立一関工業高等専門学校化学工学科卒業。化学系企業を経て、2011年株式会社RSテクノロジーズ入社。同社製造部長を経て、現在取締役製造部長。再生シリコンウェハーの製造に一貫してかかわってきている。趣味は、釣りや音楽鑑賞。

(注1)超純水(ultrapure water)とは、水中の溶剤・無機質や微生物・バクテリアなどを極限まで無くし、水を構成する水素と酸素だけを残し、水中に存在する不純物を限りなく取り除いた水のこと。半導体ウェハー(原板)の不純物を洗浄するのに使われ、「半導体の命の水」と呼ばれる。

(注2)TSMCについては、次の記事等を参照のこと。

「TSMC熊本工場開所式「日本と世界の半導体製造を強靱に」…政府、第2工場含め1・2兆円支援」読売新聞オンライン 2024年2月25日

「TSMC熊本工場で開所式、官民トップが支援継続を強調」古川有希、望月崇 bloomberg 2024年2月25日

政策研究者、PHP総研特任フェロー

東京大学法学部卒。マラヤ大学、米国EWC奨学生として同センター・ハワイ大学大学院等留学。日本財団等を経て東京財団設立参画し同研究事業部長、大阪大学特任教授・阪大FRC副機構長、自民党系「シンクタンク2005・日本」設立参画し同理事・事務局長、米アーバン・インスティテュート兼任研究員、中央大学客員教授、国会事故調情報統括、厚生労働省総合政策参与、城西国際大学大学院研究科長・教授、沖縄科学技術大学院大学(OIST)客員研究員等を経て現職。経済安全保障経営センター研究主幹等兼任。大阪駅北地区国際コンセプトコンペ優秀賞受賞。著書やメディア出演多数。最新著は『沖縄科学技術大学院大学は東大を超えたのか』

鈴木崇弘の最近の記事