GARNiDELiA 進化を重ね深化した“ガルニデらしさ” 「迷わず、自由に作れた」新作
それぞれのソロ活動を経て、ポニーキャニオン移籍第一弾アルバム『Duality Code』発売
GARNiDELiAがポニーキャニオン移籍第一弾アルバム『Duality Code』を11月17日に発売。移籍後はまずMARiA(Vo)が5月に『うたものがたり』、toku(Compose, Key)が6月に『bouquet』と、それぞれ初のソロアルバムをリリース。“外”で大きく深呼吸し、新鮮な空気を心と体に取り入れ再び合流し作り上げた一枚が『Duality Code』だ。それだけにどこまでも新鮮で、これまではもちろんこれからのGARNiDELiAを提示する、エネルギー満ちあふれる作品に仕上がっている。それぞれのソロでの経験が還元されたこの作品について、二人にインタビューした。
「改めてtokuのその音楽性の幅の広さを実感しました」(MARiA)
「MARiAのソロを聴いてちょっと嫉妬して、今回の作品では僕が知っているMARiAらしさにもっと寄せたくなりました」(toku)
まずはそれぞれのソロアルバムを聴いて、お互いどう感じたのかを聞かせてもらった。
MARiA tokuはGARNiDELiA(以下ガルニデ)のtokuとしてはテンポ感も速くて強い、攻めている、戦っているサウンドを作ってきました。それは私も含めてそうなんですが、でも今回のソロアルバム『bouquet』では10人のボーカリストの方々、それぞれ全くカラーが違う曲を書いて、改めてその音楽性の幅の広さを実感しました。やっぱりtokuは歌う人に向けて曲を書いてるんだなってすごく感じました。私の声だからこのサウンド感になっていて、でも『bouquet』は全体的に優しくて柔らかい印象でした。どの曲もテンション感がしなやかなアルバムで、女性らしさのようなものを引き立たせるサウンド作りだし、そのボーカリストの特性や声色からインスピレーションを受けて、曲が書ける人なんだなって。
toku 僕がMARiAの『うたものがたり』を聴いて感じたのは、彼女が自分で書いていない歌詞を歌うのは新しいし、MARiAだったらこういう言い回しはしないし、書かないだろうなっていうことを歌っているので、最初は違和感のようなものを感じましたが、一枚通して聴くと、シンガーとしての幅が広がっているという驚きがありました。ガルニデとしてはこれまでやってこなかったことにもチャレンジしていて、だからこそ『うたものがたり』を聴いた上で作った今回のアルバムでは、僕が知っているMARiAらしさにもっと寄せたくなったというか、ちょっと嫉妬した部分はあります。
MARiA 私は私でやっぱり12年一緒にやり続けてきた相方が、別の人に曲を書くという部分では、いい意味での嫉妬はありました。しかもtokuのアルバムを聴いた時も、自分がその曲を歌っているところを想像してしまって、「私だったらこう歌うのにな」っていう聴き方にどうしてもなるんです。
「常に強い自分を見せてきた。でもソロをやったことで等身大の自分を出してもいいんだと思えて、肩の力が抜けました」(MARiA)
これまで自分が歌うために、自分で言葉を紡いできたMARiAはソロで他のアーティストが書いた歌詞と向き合った。それは本人にとってとてつもなく大きな出来事だった。
MARiA ずっと自分の世界の中で生きてきて、自分の想いと言葉だけで12年走り続けてきていた中で、あの短い期間に初めてに近い感覚で、全然知らない言葉たちに触れて、私の中で変革が起きました。私は今まで答えを、白黒はっきりさせて常に戦い続けてきて、張り詰めていました。ステージに立つMARiAは強くなければいけないという気持ちだけで、ずっと戦い続けてきました。でもソロでは、あんなにも儚くて可憐な世界、切なさをあの期間中ずっと表現し続けてきて、そのままライヴもやって、その時、これも自分だから、こっちの私も見せていいんだって肩の力が抜けたんです。強い私が必要とされていると思っていたけど、でも全てを曝け出すことでみんなが共感してくれて、それで背中を押せることもあるかもしれないって思えたんです。今までは「僕」っていう一人称を使う歌詞が多くて、それは中性的な感じの方が男性にも女性にもハマりやすいと思っていたからで、でも今回「大正オトメ御伽噺」というTVアニメの主題歌の歌詞を書かせていただいて、そこでは今まで使ってこなかった「私」という言葉を使いました。今回のアルバムはほぼ「私」か「キミ」で、それは誰かに何かを共感してもらいたいというよりは、私が今伝えたい気持ちを書くという気持ちになったからです。だから全部等身大だし、“今現在”の私が、今まで経験してきたことを全て踏襲したような感覚です。何も隠さなくていい、今浮かんでくるものを全部歌にしようと思って書いた12曲です。もう何も怖いものがないという感覚です。
「お互いソロをやったからこそできたアルバム」(MARiA)
「ソロを経て最初の作品がイマイチだなって思われるのは、絶対ダメだという思いはお互い強かったです」(toku)
ユニットの二人が同時期にソロアルバムを出すというのも珍しいが、それだけに、全ては11年目を迎えたガルニデが次のステージへ進むため、そして最新作『Duality Code』のためという感じが、アルバムに熱量としてパッケージされているように感じた。
MARiA ソロをやったからこそできたアルバムだし、もちろん移籍後第一弾なので気合も入っていたので、ソロがなかったとしても熱量は高かった思いますが、ソロがあったからこその、より二人でやっていくんだっていう強い意志というか、二人の音楽はこれっていう答えを出す覚悟のようなものは、それぞれが持っていました。12年二人だけで作り続けてきたところに、違うスパイスを手に入れた二人が、それをどうガルニデに持っていくか。私たちの再集結したという感覚が強いので、ファンの方はライヴも少なくなっていく中でそれぞれがソロ活動って聞くと「大丈夫?」って思っていたと思います。でもそれぞれのソロ作品に対して「こういう歌い方もあるんだな」とか「tokuさんの曲を別のシンガーが歌うとこういう面白さがあるんだ」とか、新しい発見を喜んでいただいているコメントが多くて、だからこそこの再集結が、すごく意味があることだなと思います。
toku ソロを経て最初の作品が、イマイチだなって思われるは絶対ダメだという思いをお互い感じていました。
「テクノロジーや流行りのジャンルに押されない歌というものを、ちゃんと残さなければいけないという意識が強くなった」(toku)
MARiAは、本間昭光プロデュースで、山下穂尊(いきものがかり)やTAKUYA(JUDY AND MARY)、草野華余子他錚々たる顔ぶれの作家陣が楽曲提供したソロアルバムで新たな境地に立てたことについて「海外留学して帰ってきて、『ちょっとひと皮むけたわ』みたいなテンション(笑)」とも語ってくれたが、それは本人にとってもGARNiDELiAにとっても大きなパワーとなって昇華されている。tokuが作るガルニデの音楽はMARiAも言うように攻めている、戦っているサウンドが多いが、サビは圧倒的な親近感がどの曲にも貫かれている。もちろんソロアルバムも同様で、花をモチーフにした作品で構成されていることもあって、サウンドも含めて優しさが溢れている。
toku ここ数年は、音数を減らそうという気持ちが強かったし、歌を中心にしたものをもっとやりたいと思って、それはテクノロジーとか、流行りのジャンルに押されない歌というものを、ちゃんと残さなければいけないいう意識があったのだと思います。
「二人で表現することは全てガルニデになるんだという自信が少しついた。だから自由に作ることができた、これがガルニデです!っていえるアルバムになりました」(MARiA)
これまで二人がこだわって、丁寧に培ってきたガルニデというブランドが“深化”したことを今回のアルバム『Duality Codea』では感じることができる。
MARiA アニメで私たちのことを知ってくれた方が多いと思うんですけど、マイナーコードを使った激しいロックで、がっつりあげているイメージがガルニデらしさと思ってくださっている方が多いと思います。その“らしさ”も絶対忘れてはいけなくて、2曲目の「my code」とかはこれぞガルニデって感じだと思います。「オトメの心得」も「春がきたよ」もアニメの主題歌として向き合って作って、MVも含めてみんなの反応を楽しみにしていたら、「これもガルニデだよね」という声が多くて、二人が表現することは全てガルニデになるんだという自信が少しつきました。これだけ続けてきたら、それはそうなるかもしれませんが、だから迷いなく書けるようになったし、自分たちが今入れたい曲を入れて、かなり自由に作ることができたし、これがGARNiDELiAですっていえるアルバムになっていると思います。
「芯は変わらなくて、着るものが変わっている感覚でやっています」(MARiA)
ガルニデというブランドが変わってしまうのでは?と恐れるのはリスナーの方で、二人は「更新」を重ね「進化」していかなければいけない使命を感じながら、日々創作活動を続けている。そこで作り手と聴き手の間に“ギャップ”が生じることは仕方がないことだが、『Duality Code』というアルバムはさらに“期待”を与えてくれた。
MARiA 変わることを恐れるファンの方が多いのは事実だと思うし、二人がやっていることは変わってないけど、今回も移籍とかそういう言葉に引っ張られて、路線が変わってしまうのでは?と恐れている人も多いと思います。二人とも分析が好きなので、エゴサはもちろん、お客さんの言葉や行動はすごく見てしまいます。お客さんが今どう思ってるだろうということを考えて歌詞を書くこともあります。
toku 音楽も含めてエンタメはジャンルがどんどん細分化しています。リスナーが「このジャンルなんだ」と納得したところを、壊していっていて、リスナーからしてみると「このジャンルってすみ分けしたつもりだったのに、変えてきやがった」みたいな感じで受け止める人も多いと思います。そこに対しては、音楽って本当はもっと自由なもののはず、という思いは常にあります。
MARiA うちらの芯はずっと変わらなくて、着るものが変わる感覚でやってきて、でも変わることを恐れている人がすごく多い気がします。自分が好きだった人じゃなくなったらどうしよう、ということに恐怖を覚えたり、不安になる人がすごく多いから、私たちはどこに行ってもガルニデです!っていうのを絶対に見せなければいけません。見せなければいけないというよりも、私たちはどこに行ってもガルニデなんですけど、その答えをみんなに明確に提示するべきだし、今回もやっぱりガルニデだ!ってなるライヴとアルバムにするという覚悟を決めてやっています。