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藤井聡太二冠(18)年初は丑年らしく持久戦? 気合充分の中村修九段(58)和服で対局に臨む

松本博文将棋ライター
(記事中の画像作成:筆者)

 1月6日10時。大阪・関西将棋会館においてB級2組順位戦9回戦▲中村修九段(6勝2敗)-△藤井聡太二冠(7勝0敗)戦が始まりました。

 藤井二冠は関西本部所属。関西会館はホームです。といっても、藤井二冠はまだ高校3年生で、生まれ育った愛知県瀬戸市在住ですので、そこからの移動となります。

 昨年、緊急事態宣言が発令中、藤井二冠(当時七段)は長距離移動することができず、対局進行がストップしました。コロナ禍はいまだ収まりを見せず、再度の緊急事態宣言発令が確実視される現在、将棋界もまたどうなるのか、心配されるところです。

 東京在住の中村九段はアウェイの大阪に移動しての対局となります。B級2組は関西所属の棋士が多く、本日は11局中6局が関西で指されます。

 本局がおこなわれる対局室は4階、水無瀬の間。藤井二冠はB級2組唯一のタイトル保持者で、席次からすれば最上位です。通例であれば御上段の間・最上席が配されるところですが、中継の都合上、他の対局室になることもしばしばあります。

 下座に着いたのは中村九段。9時23分頃の入室だったそうです。

 中村九段は和服を着ています。将棋会館での対局は、対局者はスーツ姿の場合がほとんどです。しかし大一番の際には、気合を入れて和服で臨む光景もしばしば見られます。

 オールドファンであれば1986年の新人王戦準々決勝、デビューしたばかりで14連勝中の羽生善治四段(当時15歳)に対して、若きタイトル保持者の中村修王将(当時23歳)が和服で臨んだ故事を思い出すかもしれません。

 中村九段は以下のようなツイートをしていました。

 鈴木福さんはドラマ「うつ病九段」で藤井二冠役を演じています。

 9時39分頃、対局室に現れたのは鈴木福さんではなく、藤井二冠でした。

 順位戦はあらかじめ先後が決まっているため、対局前の振り駒はおこなわれません。そのため、比較的ゆっくりの入室でもよさそうなところですが、両対局者ともに早めに席に着いています。

 両者ともに大橋流で駒を並べ終えたあと、藤井二冠はサントリー「伊右衛門」を紙コップに注ぎます。年末、サントリー食品インターナショナルは藤井二冠と広告契約を結んだというニュースが報道されました。

 対局室に静謐な空気が満ちる中、両者は盤の前で静かに対局開始の時を待ちました。

 定刻10時。

「それでは時間になりましたので、中村先生の先手番でお願いします」

 両対局者は「お願いします」と一礼。対局が始まりました。

 中村九段はしばし瞑目。そして目を見開き、盤上を見据え、初手に飛車先の歩を突きました。

 藤井二冠はお茶を口にしたあと、ハンカチで手を拭きます。そして2手目、飛車の前の歩を一つ進めました。

 昨年1月に指された銀河戦本戦▲中村九段-△藤井七段(当時)戦では、中村九段は雁木の構え。藤井二冠も同様に雁木に組んでいます。

 本局、中村九段は6七の地点に銀ではなく、金を進めました。定跡形をはずれた相居飛車の進行です。

 28手目。藤井二冠は4三の地点に銀を進めました。かつては4三、5三に銀2枚を並べる形を雁木と言ったものですが、最近では4三に銀があればそれだけで雁木と呼ぶようになりました。

 丑年なのでゆっくりとした進行になるのではないか。ABEMA解説の三枚堂達也七段は、そんな見立てをしていました。

 12時。中村九段の手番で昼食休憩に入りました。

 B級2組順位戦の持ち時間は各6時間(チェスクロック方式)。昼食休憩、夕食休憩をはさんで、通例では夜遅くに決着します。

将棋ライター

フリーの将棋ライター、中継記者。1973年生まれ。東大将棋部出身で、在学中より将棋書籍の編集に従事。東大法学部卒業後、名人戦棋譜速報の立ち上げに尽力。「青葉」の名で中継記者を務め、日本将棋連盟、日本女子プロ将棋協会(LPSA)などのネット中継に携わる。著書に『ルポ 電王戦』(NHK出版新書)、『ドキュメント コンピュータ将棋』(角川新書)、『棋士とAIはどう戦ってきたか』(洋泉社新書)、『天才 藤井聡太』(文藝春秋)、『藤井聡太 天才はいかに生まれたか』(NHK出版新書)、『藤井聡太はAIに勝てるか?』(光文社新書)、『棋承転結』(朝日新聞出版)など。

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