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なぜジョージ王子はいつも半ズボンを履いているのか

今井佐緒里欧州/EU・国際関係の研究者、ジャーナリスト、編集者
2018年4月ルイ王子が誕生、父と共に母の元に行くジョージ王子とシャルロット王女(写真:ロイター/アフロ)

英国のウイリアム王子の長男、ジョージ王子が7月22日、5歳の誕生日を迎えた。

これに合わせて王室は、王子のとても愛らしい写真を公表した。あまりのかわいさに、思わず笑みがこぼれてしまう。

でも、なぜ王子はいつも半ズボンを履いてるのだろうか。

伝統が形を変えて発展

BBCの報道によると、王子や王女が公の場(つまり、外)に出るときは、フォーマルに装わなければならない。お気に入りのキャラが入ったTシャツにズボンということはなく、シャツと半ズボンを着ることになるのだそうだ。

エチケットの専門家、グラント・ハロルド氏によると、昔は、8歳までガウンやドレスを着ていたのだが、19世紀末から20世紀初頭にかけて半ズボンに発展し、今でも続いているのだという。

昔の王子がどんな服を着ていたか、探してみた。こんな感じである。

ロイヤル・コレクション・トラストのサイトより。
ロイヤル・コレクション・トラストのサイトより。

これは1770年ごろの絵だ。後のジョージ4世と、弟で後のヨーク公の二人が描かれている。これが今の半ズボンに発展したのは、わかるような感じがする。

プロレタリアと区別

ところで、ウイリアム・ハンソンという、有名なエチケット・コンサルタントがいる。よくメディアに登場して、エチケットについて話したり、BBCラジオでは、視聴者のエチケットの悩みについて答えている人である。まだ20代だ。

彼は、小さな男の子の半ズボンは、英国の物言わぬ階級の印であり、ズボンは「郊外」(田舎)とみなされていると主張している。大衆紙The Sunが伝えた。

「ケンブリッジ公爵夫人(キャサリン妃)は、小さい男の子にズボンを履かせるという『郊外』の習慣に見られるような、プロレタリアーー賃金労働者・無産階級の人々ーーの慣習と、王家の伝統や遺産との間で、バランスをとらなければならない」のだそうだ。

「半ズボンは男の子用、ズボンは男性用」というしきたりに従って、王子は7歳から8歳くらいになるまではズボンを身につけないだろう、と氏は言っている。

フランス革命が変えた

しかし、プロレタリア・・・まさか、普通の一般市民を指してこんな言葉が出て来ようとは。つるはしを持ちたくなってくる。

でも、確かにそうなのだ。歴史的に王侯貴族の男性は「キュロット」と呼ばれる半ズボンのような物を履いていた。対して、平民の労働者たちは、ズボンを履いていたのだ。

これは、16世紀の英国の王侯貴族の服装である。西欧は、どこも似たり寄ったりである。この形は、騎士として甲冑を身に付けて馬に乗るスタイルから来ているのだろう(ちなみに脚線美を見せるのは男性のほうで、女性は足を見せるのが厳禁だった)。

wikimediaより
wikimediaより

ところが、フランス革命が起きて、男性の服装は劇的に変わった。

革命を起こした労働者は、ズボンを履いていたので、貴族から「サン・キュロット」(半ズボンを履かない人たち)と侮蔑的に呼ばれた。しかし、彼らは逆に、ズボンを履いていることを誇るようになったのだ。

この絵は、フランス革命が始まった3年後の1792年に描かれた、『サン・キュロットの扮装をした歌手シュナール』という絵である。この年は、サン・キュロット民兵の武装蜂起である「第2革命」がパリで起こった年である。

ルイ=レオポール・ボワイユ作。手に革命旗である三色旗を持つ。Wikipediaより。
ルイ=レオポール・ボワイユ作。手に革命旗である三色旗を持つ。Wikipediaより。

19世紀になり産業革命が進展するにつれ、欧州全般で、王族や貴族であっても、男性が半ズボンのような物を履く慣習はすたれていき、ズボン着用になっていった。しかし子供には、簡略化した形になったが、半ズボンとして残ったのだった。

たかが半ズボンだが

つまり、少年の半ズボンは、王族・貴族という特権階級の象徴、平民のプロレタリアと区別するための、身分制度の服装コードということになる。

たかが半ズボンとはいえない意味があるのである。

これをどう捉えるか。

もちろん現代では、上流階級を自負するお金持ちの平民の子も、王侯貴族の伝統の真似をしている。同じ平民でも、プロレタリア(労働者階級)とは違うという印なのだろうか。

英国王室のお世継ぎの配偶者は、王侯貴族出身はダイアナ妃までで、キャサリン妃の実家もカミラ夫人の実家も、貴族ではない。

キャサリン妃に期待されている役割は、大きいと言えるのだろう。

余談ですが・・・

ちなみにプロレタリアの筆者は、先日、ルーブル美術館で行われているドラクロワ展を見に行った。ドラクロワ自身は、父親がオランダ大使という上流階級の家の末っ子に生まれた。

でも1830年、7月革命の際に、彼はあの世界的に有名な絵「民衆を率いる自由の女神」を描いたのだった。日本にも来たことがあるので、実物を見たことがある方もいると思う。

この名画に出てくる男性たちも、ズボンをはいている。この絵に心から深い感動を覚えたーーと伝えたい。

ドラクロワ32歳の時の作品。フランスの象徴マリアンヌは「解放と自由」を意味する赤いボンネットをかぶっている。
ドラクロワ32歳の時の作品。フランスの象徴マリアンヌは「解放と自由」を意味する赤いボンネットをかぶっている。
欧州/EU・国際関係の研究者、ジャーナリスト、編集者

フランス・パリ在住。追求するテーマは異文明の出会い、平等と自由。EU、国際社会や地政学、文化、各国社会等をテーマに執筆。ソルボンヌ(Paris 3)大学院国際関係・欧州研究学院修士号取得。駐日EU代表部公式ウェブマガジン「EU MAG」執筆。元大使のインタビュー記事も担当(〜18年)。編著「ニッポンの評判 世界17カ国レポート」新潮社、欧州の章編著「世界で広がる脱原発」宝島社、他。Association de Presse France-Japon会員。仏の某省機関の仕事を行う(2015年〜)。出版社の編集者出身。 早稲田大学卒。ご連絡 saorit2010あっとhotmail.fr

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