人口1万人減の危機からエネルギー自給100%へ。マイナス30度の北の町に人が集まる理由【移住2.0】
先週6月15日に内閣府により発表された「SDGs未来都市」29自治体のなかでも、モデル事業地区としてトップ10に選ばれた、北海道下川町。
旭川空港から車で約2時間。オホーツク海まで車で1時間と、道内でも北に位置し、冬は気温がマイナス30度まで下がる寒いまちだ。
人口は3400人、面積の約9割が森林。
ここ数年、この町には転入者が増えており、昨年(2017年)の社会動態は、28人のプラスになった。一年間の移住相談件数は375件、移住機関を通して移住した人の数は9世帯11名とプラスの傾向。
北の僻地ともいわれる小さなまちに、人が増えているのはなぜだろう?
まちのビジョンに共感する若手が集まる
2013年2月17日、北海道新聞の朝刊一面にこんな見出しが踊った。
「エネルギー自給 18年度までに下川町長 環境国際会議で表明〜エネルギーは自分のまちで確保する」
下川町が、木質バイオマスでエネルギー自給率100パーセントを目指すという内容だった。
この記事に目を奪われた青年がいた。長田拓さん、当時は札幌で観光事業に携わっており、数年前まで六本木ヒルズなどを運営する森ビル(株)で、タウンマネジメントの仕事をしていた人だ。
この記事がきっかけとなり、長田さんは下川町へ移住。観光協会の事務局長として3年間働いたのち、今は移住対策を担うタウンプロモーション推進部の部長をつとめる。
「エネルギー自給100%を現時点でまだ達成できているわけではないですが、このビジョンをはっきり打ち出せるのは町として覚悟があってのこと。めちゃくちゃカッコいいなと思ったんです。
地方でまちづくりの仕事に携わっていると、行政がビジョンをしっかりと持っていないことも多い。でも下川では職員さんたちが本当に優秀で熱意をもって働いている。僕はキャリアを積むために地方を選んだので、役場の温度感は重要でした」
長田さんに限らず、町のビジョンに惹かれて移住する人は少なくない。取材時に会った20代の男性も、町の描く地域像に将来性を感じて移住を決めたと話した。
自給エネルギーを、まちづくりに生かす
下川町は「循環型の森林経営」をまちの活性化の基軸とし、森を余すことなく使うための産業、木材、炭、チップ、木工品やオイルの生産などの林産業を充実させてきた。
持続可能な森林活用や教育にも熱心に取り組み、2008年には環境モデル都市、2011年には環境未来都市に認定され、先日新たにSDGs未来都市にも選定された。
国からの助成を得て現在は、11基のバイオマスボイラーが30の公共施設に熱エネルギーを供給し、下川町全体の熱自給率は49パーセントに(公共施設だけでは64.1%)。浮いた化石燃料費の半分は、子育て支援に充てられている。
木質バイオマスエネルギーを活用したコンパクトタウン「一の橋バイオビレッジ」も建設。
過疎化・高齢化が進み、各戸が離れていることから不便だった一の橋地区に、集住化住宅が誕生し、若手移住者が住み始めている。2009年に51.6%だった高齢化率は、2016 年には27.6%にまで減った。
多彩な林産業が雇用を生んでいるのに加えて、元地域おこし協力隊の女性が新しい事業を始めたり、木工作家が移住してくるなど、まちの発するイメージに共感する人たちがここに定住し始めている。
「都会でも田舎でもよかった。起業するなら、下川町へ」
もちろん、ビジョンや環境への取り組みだけで転入者が増えているわけではない。ほかの市町村に比べてニーズにあったツールや制度が整っている。
その一つが、地域おこし協力隊制度を活用した「起業支援」だ。地域おこし〜といえば、「まちの何でも屋」のイメージが強く、草刈りや古民家の掃除など雑用がメイン業務だったという経験者も少なくない。それでは任期後に定住する術につながらない。
そこで下川町では仕事を生み出してもらおうと、「シモカワベアーズ」という起業家プロジェクトをつくり、毎年全国から起業希望者を募集している。地域おこし協力隊の活動資金がそのまま個々の起業支援金になるため、地縁のない人でも事業を始めやすい。
今年になって移住した山田泰生(たいせい)さん(39)も、この制度を通して起業を目指すひとり。重工メーカーの技術系の会社員だったが、働き方に疑問を感じるようになり、自営を目指そうと決めた。
「やり甲斐をもって働いていましたが、受注が出来なかったからとプロジェクトが解散し、意に沿わない異動をさせられる人を見たり、定年前に子会社へ出向していく人を見て、正直、自分は嫌だなと。また、サラリーマンだと定年があり会社を辞めざるを得ないけど、自営業なら何歳まででも働けます。
何をするか、いつまでやるかを自分で決めたいと思ったんです。何十億円と稼ぐ経営はできなくても、家族が食べていけるくらいの規模なら何とかできるかなと思い、一歩踏み出しました」
現在、欧州に比べ利活用が進んでいないシカの肉や皮を商品化する事業を考えている。捕獲から販売までを自分で手がける予定。
「極端に言えば、場所は都会でも田舎でもよかったんです。下川町なら、いろんな面で起業へのサポートが充実していたので」と山田さん。
地域おこし協力隊では、活動資金に加えて生活支援も3年間支給される。家賃も都会に比べて5分の1。そこに、町のビジョンが先進的であることや、すでに多くの移住の先輩がいきいきと仕事をしているようすが気持を後押しした。
この起業家プロジェクトが始まる前から人が人を呼び、多くの若手移住者が町に入っており、カレー屋や薪屋など、小さなビジネスが次々と生まれている。
地域版ハローワークで、仕事の情報が一目瞭然に
起業だけでなく、町内の仕事の情報を「下川人財バンク」というサイトで自由に閲覧できるのも、ほかの地域ではまだ少ない試みの一つだろう。
これだけ地方活性化の問題が言われて久しいが、今だ多くの市町村では、住居や仕事の情報が外からとてもわかりにくい。
都会では転職も賃貸情報も民間のサイトに充実しているが、地方の市町村では空き家バンクが半年に1〜2件更新されればよい方だったり、仕事はハローワークくらいしか頼れなかったりする。
人出不足の進むこれからの時代。地方でも仕事がないわけではなく、“見えにくい”のだ。
その点、「下川人財バンク」には、常時40件程度の情報が掲載されており、勤務時間から給与、社会保障についてなどを自由に閲覧できる。
業種も、サービス業から製材・木工、医療福祉、教育、コンサルと多様。
移住希望者には、まずここで興味のある仕事を2〜3選んでもらい、初めて下川を訪れる際には社長と面談することも可能。今年移住した木工関係の男性は、移住前に2回下川を訪れただけで、家も仕事も決まったという。
気に入る仕事が見つかれば、移住へのハードルはぐっと低くなる。
厳しい人口減の歴史から生まれたアイディアが、事業のタネに
今の下川町がある背景には、これまで厳しい時期を乗り越えてきた、まちづくりの歴史と風土がある。
かつては鉱山があり、1960年代の最盛期には、いまの約3倍、1.5万人が住む町だった。
ところが、木材の輸入自由化から林業が衰退し、80年代には鉱山も休山に。町の小学校から毎週何人も転校していき、目に見えて人口が流出。30年間で1万人が減った。
それでも、平成の大合併の時期に自立を選んだことから「町のことは自分たちで何とかしよう」という空気感が生まれる。早い時期から町民を巻き込んでの、町の生き残りをかけた議論が始まった。
2006年には自治基本条例が制定され、町民一体となって「循環型の森林経営」を基軸とした活性化策を進めていくことに方針が決まる。町有林4500haを循環利用して林産業を促進。「森を余すことなく使う」ためのさまざまな事業を創出してきた。
長田さんいわく、この時期に町民により重ねられたぶあつい議論が、後の地方創生につながる、事業のタネになっていったという。
「木質バイオマス熱の供給事業も、地元の木材を使って家をつくる「森と家プロジェクト」も、トドマツのアロマオイルや炭の事業も。今形になっている事業の多くは、町の存亡を話し合うなかで出てきたものばかりです。森林資源を多彩に使うためのアイディアでした」
多岐にわたるビジネスは、雇用も生む。
冬はマイナス30度、雪におおわれるこの町を選ぶ人たちが集まっている。
危機感を発端に進んできた先進的なまちづくり。そこには町民が一体となってつくったビジョンと、熱意ある職員、下川町に移住し新たな事業にチャレンジする人たちの姿がある。
※このシリーズでは、若手移住者の増えるまちで起こっていることを数回にわたり紹介しています。(2018年4~6月)
関連記事:
あなたのお金は、地域内でまわっていますか?北海道下川町で始まっている、漏れ穴をふさぎ、地域経済を取り戻す方法(greenz.jp)