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イタリア発祥「アルベルゴ・ディフーゾ」を島根の温泉地で。暮らすように旅する「分散型の宿」に客が集う

甲斐かおりライター、地域ジャーナリスト
島根県温泉津にオープンしたゲストハウス「WATOWA」。分散型の宿の中心的な役割

日本の温泉地では、滞在中ほとんどの時間を宿で過ごす「1泊2食付きの旅のスタイル」が馴染みがある。ところが最近はゲストハウスに宿泊して、食事は近所の飲食店で、お風呂も日帰り温泉という風に、まち全体をじっくり楽しむような旅を好む層も増えている。

まち全体を宿に見立てた「まちやど」のスタイルは、イタリア発祥の「アルベルゴ・ディフーゾ」(分散型の宿)の考え方を取り入れたものだ。

島根県温泉津町にゲストハウス「WATOWA」をオープンした近江雅子さんも、1泊2日では温泉津の魅力が十分に伝わらないと、中長期滞在型の「暮らすような旅」を提案する。

コロナ禍にも関わらず、ここ5年の間に「湯るり」「HÏSOM(ヒソム)」「燈 Tomoru」「WATOWA」と4つの宿泊施設をオープンさせ、一年間で2600人が訪れた。

こうした滞在を求める若い層が訪れ、宿に滞在したのがきっかけで事業を始める人も現れている。新しい風が吹き始めた温泉津を訪れた。

■5年で4軒の宿を始めた女性

温泉津と書いて、ゆのつ、と読む。その名の通り、「元湯」「薬師湯」という二つの温泉が有名な温泉地である。島根県の日本海側、東西でいうとほぼ中央に位置する。

20分もあれば端から端まで歩けそうな温泉街には、格子の民家や白壁の土蔵などの趣ある建物が、古きよき温泉街の風情を残す。

温泉津のまちなみ。(筆者撮影)
温泉津のまちなみ。(筆者撮影)

そんな一角に、新しいデザインの看板と、古民家ながらガラスの向こうにコインランドリーのある一軒家が目に入った。2021年5月にオープンしたゲストハウス「WATOWA」だ。

運営する近江雅子さんは、5年ほど前に1号店であるゲストハウス「湯るり」をオープン、その後HÏSOM、燈と続けて開業し、WATOWAは4軒目の宿になる。

「どの宿にも共通しているのは中長期滞在者を増やしたい思いです。その選択肢を増やしたかった。加えて温泉津には、これまで旅館スタイルの温泉宿が多かったので飲食店が少ないという課題があります。そこでWATOWAには、キッチンとコインランドリーが必須だなと思っていました」

WATOWA外観(筆者撮影)
WATOWA外観(筆者撮影)

通りに面した手前には、コインランドリー。奥が飲食店でもあるキッチン。(筆者撮影)
通りに面した手前には、コインランドリー。奥が飲食店でもあるキッチン。(筆者撮影)

通りに面したコインランドリーの奥には、フロントと飲食店でもあるキッチン。その隣が宿泊棟で、1階がドミトリーで、2階には個室の和室2部屋を備える。

コロナ禍にも関わらず、4軒合わせて昨年一年間で2600人が訪れた。WATOWAだけでも、オープンから7ヶ月間に600人。それも従来の温泉津の客層とは違って、若い人たちが多いのが特徴だ。

■一泊ではわからない良さがある

なぜ、近江さんは中長期滞在型の旅を勧めるのだろう。

彼女自身はお隣の江津市の生まれ。結婚して15年は東京に暮らしたが、住職を生業とする夫の康忠さんに温泉津のお寺からオファーがあり、9年前に移住を決心した。

近江雅子さん。WATOWAの前にて。(撮影:OMI FUKA)
近江雅子さん。WATOWAの前にて。(撮影:OMI FUKA)

「はじめは反対したんです。もう東京に住んで長かったし、子どもたちも東京での生活に慣れていたので。でもいざ温泉津へ来てみると、古い町並みや路地裏などが宝物のように見えて。こんなまちほかにないなって。歩いているだけで漁師さんが魚をくれたり農家さんが野菜をくれたり、田舎らしいコミュニケーションが残っているんです。それが温泉津の魅力ですが、一泊だけでは伝わりにくいんです」

温泉でも地元の年配者が、初めて訪れたお客さんに熱いお湯への入り方を指南してくれる。

「『あんた、そんな入り方じゃ駄目よ』なんて言いながら、たわしで背中をこすってくれたり。都会からやってきて、見ず知らずの人にたわしで背中をこすられるなんて衝撃じゃないですか。でも、かけがえのない体験になると思うんです」

旅館の中だけで完結する旅では、お客さんがまちを出歩く機会が少ない。それが2〜3日、あるいはもっと中長期の滞在になれば、外へ食べに出たり、スーパーで買い物をして調理したり、漁師さんから直接魚を買ったりと、町のいろんなところで接点ができる。

「そこでアルベルゴ・ディフーゾといってよいかわかりませんが、まち全体を宿に見立てて“暮らすような旅”ができるスタイルを目指してきました」

「アルベルゴ・ディフーゾ」とはイタリア語で「分散したホテル」の意味。1970年代に、廃村の危機に陥った村の復興を進める過程で生まれた手法で、空き家をリノベーションして、受付、飲食、宿泊などの機能を町中に分散させ、エリア全体を楽しんでもらう旅を提供するものだ。

徒歩で無理なく歩ける範囲にすべてがおさまる、こぢんまりした規模の温泉津にはぴったりのスタイルだった。

(撮影:エドワード・ヘイムス)
(撮影:エドワード・ヘイムス)

■一棟貸しの宿「HÏSOM」

初めはまちの中心部でもある温泉街に、ゲストハウス「湯るり」を開いた。その後温泉街から小高い山を一つ越えた先にある、隣の集落、日祖(ひそ)に一棟貸しの宿にしたいと思う物件を見つける。ところが、宿ができることに住民から反対が起こる。

はじめは大反対だったという二軒隣に住む臼井さん夫妻は、こう話した。

「ゲストハウスをつくると聞いて、はじめは観光客が安く泊まることを目的にした宿のイメージがあって。ここはせっかく静かないいところなのに、騒音やごみ、そして治安の問題などが起きるのではないかと思いました。でも近江さんは住民説明会で一つひとつ丁寧に私たちの質問に答えてくれました」

近江さんも振り返る。

「誤解を解くために何度もお話をして。何かあればおすそ分けをしに来たり、草刈りを手伝ったり。そうやって少しずつみなさんと関係性を築いていった感じでしょうか」

最終的には何が、反対していた人たちの気持を変えたのだろう?

臼井「あるとき近江さんが『ここはとてもいい所だから、泊まったお客さんの中に、住んでみたいと思ってくれる人が現れたらいいですね」と言ったんです。日祖は住むのにはいいし、海苔もワカメも採れる。そういう文化を守ってくれる人がいたらいいなと思いました。そこで協力することにしたんです。雅子さんの真摯な人柄も大きかったと思います」

今は宿泊客がある際には、臼井さんの奥さんが近くで摘んだ花を宿に生けてくれたり、御主人が獲った魚を刺し身にしたからと持ってきてくれて、お客さんとの交流も生まれている。

HÏSOM のリビング兼キッチン。(撮影:エドワード・ヘイムス)
HÏSOM のリビング兼キッチン。(撮影:エドワード・ヘイムス)

HÏSOM の一室。(撮影:筆者)
HÏSOM の一室。(撮影:筆者)

雅子さんが思い描いたように、「暮らすように旅する」人たちが訪れ、じっくり滞在を楽しみ、長い人はひと月近くを過ごす。

HÏSOMは一軒家の丸ごと貸し切りで広いため、コロナ禍で需要の増えた、少人数向けの一棟貸しとして、続けて2021年3月、「燈 Tomoru」をオープンさせた。

■世界の料理が味わえる「旅するキッチン」

湯るり、HÏSOM、燈ができ、WATOWAを手がける頃には、地元の人から「誰にでも売りたいわけじゃないけど、近江さんなら町のために使ってくれるのでは」と空き家の相談を受けるようになった。

 中長期滞在の客が増えても、すぐに移住に結びつくわけではない。二度三度と温泉津を訪れる人を増やし、接点を増やし、住民と観光客では終わらない関係性をつくることが、人口減の進む地方では、この先とても大事になる。

実際、WATOWAを中心にそうした関わりをもつ人が増えていて、その装置の一つとして作用しているのがWATOWAの「旅するキッチン」である。

「WATOWAでは、飲食の機能は必須だと思っていました。でも平日の集客を考えると常時レストランを運営するのはハードルが高い。そこで外から料理人を招いて、身一つで来てもらえれば営業できるように私がキッチンを整えておくスタイルなら、リスクが少ないと考えたんです」

最初に訪れたのは、中東料理研究家でありフードコーディネーターの越出水月(こしでみづき)さんだった。

「中東料理なんて食べたこともないって人がほとんどでしたが、食材は温泉津のものを使っているとあって、地元の人もたくさん来てくれました。水月さんが第一号でよかったなと思います。温泉津に馴染んでくれて、漁師さんの船に乗せてもらってイカを釣ってきたり、畑から野菜を買ってきたり」(近江さん)

右が中東料理研究家の越出水月さん。(撮影:戸田耕一郎)
右が中東料理研究家の越出水月さん。(撮影:戸田耕一郎)

中東料理を皮切りに、アジア料理、スパイス料理、フィンランド料理。コロナ禍で思うように都市で営業できないシェフが全国各地から入れ替わり立ち替わり訪れ、中には温泉津を気に入って2号店を温泉津に開こうとしている料理人もいる。

訪れたシェフには、一泊1500円で滞在できる一軒家を用意し、一日250円の保険料のみで車も貸す。売上の15%だけをマージンとして店に入れてもらうが、これは一般的な額の約半分。

「温泉津に来れば世界の料理が味わえる」という楽しさからか、旅行者だけでなく、好奇心の強い住民や近隣の市町で働く若い人の層も含めて集う機会になった。

最初に訪れた際には一日限定のバーが開かれていた。江津に住むカメラマンでありカフェを運営する戸田耕一郎さんがバーテンダー。コロナが落ち着いていた時期で、江津市や浜田市といった近隣からも集った。
最初に訪れた際には一日限定のバーが開かれていた。江津に住むカメラマンでありカフェを運営する戸田耕一郎さんがバーテンダー。コロナが落ち着いていた時期で、江津市や浜田市といった近隣からも集った。

12月に訪れた際には、「CHIKYU MASALA」という東京で有名なカレー店を営むフードディレクターのエドワード・ヘイムスさんが、厨房に立ち、温泉津ならではのカレーをふるまっていた。(筆者撮影)
12月に訪れた際には、「CHIKYU MASALA」という東京で有名なカレー店を営むフードディレクターのエドワード・ヘイムスさんが、厨房に立ち、温泉津ならではのカレーをふるまっていた。(筆者撮影)

最近WATOWAキッチンのシェフをつとめた食堂アメイルの2人は、埼玉から。温泉津の新鮮な魚を用いた料理を提供。(撮影:OMI FUKA)
最近WATOWAキッチンのシェフをつとめた食堂アメイルの2人は、埼玉から。温泉津の新鮮な魚を用いた料理を提供。(撮影:OMI FUKA)

■信頼関係をつなぐ

HÏSOMに滞在したお客さんの中から、温泉津に家を借りて事業を始めようとする人も現れている。地方はとにかくプレイヤーが少ない。本気で事業をやろうという人は希少で大切。だからこそ、近江さんは積極的にそうした人材を地元の人につなぐ役割を果たそうとする。

「田舎では、よそ者が入りづらい暗黙の域があって、事業を始める、家を買うなどの信用問題に関わることには特にシビア。なので間に立つ人間が必要だなと思うんです。新しくサウナの事業を始めた男性がいますが、これまでにもう何十軒も空き家を紹介しました。家の持ち主は皆さん知り合いなので『西念寺さん(お寺の名前)が言うんだったら』といって見せてくれます。『本当に信頼できる人だから』と言って回っているとみんなも少しずつ『近江さんの知り合いか』と思ってくれる。少しでも早く信用を得る近道になればと勝手に思っています」

そうした協力を惜しまない。それができるのも、お寺が本業であるのが大きいという。

「まちのことはお寺のこと。お寺のことはまちのことなので。私たちも最初はよそ者でしたが、お寺の信用を借りている部分が大きいと思うんです。今までの住職さんたちが築いてきた信頼関係の上でやらせてもらっている」

近江康忠さんと、雅子さん。(撮影:エドワード・へイムス)
近江康忠さんと、雅子さん。(撮影:エドワード・へイムス)

近江さん夫妻の本業はお寺の管理運営。法事の際にはお供えの精進料理も自身で用意する。そこに、4軒の宿の運営があるだけでも大忙しに思えるが、加えて「温泉津女子会」なる会を有志女性と3人で結成し、地ビールの商品開発なども行っている。

「ゆのつエール」「温泉津ビール」。2020年7月の発売以来、1年ちょっとで1万本を売り上げた。(撮影:温泉津女子会)
「ゆのつエール」「温泉津ビール」。2020年7月の発売以来、1年ちょっとで1万本を売り上げた。(撮影:温泉津女子会)

なぜそこまで、生まれ故郷でもないまちにコミットできるのだろう。そう聞くと、ずっと明るい口調で話していた雅子さんの声が少し真剣なものに変わった。

「ここに骨を埋める気で来ているからでしょうか。何かを一生懸命やろうにも、まちが駄目になれば何のためにって気持ちになってしまう。だからまちの将来が自分のことというか。子どものことも考えます。息子の同級生が7人いて、彼らが30代になる頃このまちはどうなっているんだろうと。その頃まで、元気なまちとして残したい。そういう思いがないとできないなと思います」

まちの将来が、そのまま自分たちの将来と重なる。

そう思える人たちが本気でまちにコミットし、力を尽くした時にここまでの動きが起こる。そんな未来が拓ける兆しを見せてもらったようだった。

(写真コーディネート:神吉絵〈RIVERBANKS〉)

※この記事は『下北沢、線路と街』に同時掲載の(同著者による)記事です。連載「これからのまちづくりの話をしよう」より

ライター、地域ジャーナリスト

地域をフィールドにした活動やルポ記事を執筆。Yahoo!ニュースでは移住や空き家、地域コミュニティ、市民自治など、地域課題やその対応策となる事例を中心に。地域のプロジェクトに携わり、移住促進や情報発信、メディアづくりのサポートなども行う。移住をテーマにする雑誌『TURNS』や『SUUMOジャーナル』など寄稿。執筆に携わった書籍に『日本をソーシャルデザインする』(朝日出版社)、『「地域人口ビジョン」をつくる』(藤山浩著、農文協)、著書に『ほどよい量をつくる』(インプレス)『暮らしをつくる』(技術評論社)。

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