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すぐもげる脚──「ガガンボ」その脆弱さを考える

石田雅彦科学ジャーナリスト
ガガンボの一種(写真:kakiko.K/イメージマート)

 ガガンボという昆虫がいる。最近、ネット上でガガンボの取れやすい脚が話題になっていたが、その脆弱さ、種類、生態などについて調べてみた。

その巨大さにびっくり

 夜間の照明がLEDになったせいか、昆虫が網戸に衝突してきたり、街路灯の周囲を飛び回ったりするようなことが少なくなってきた。ガガンボもそうした昆虫の一種で、以前は夜間によく室内へ飛び込んできて、バタバタと壁にぶつかったり、家族の間にちょっとした騒動を引き起こしたりすることがあった。

 俳人の高浜虚子(1874-1959)にはガガンボの句がいくつかある。「障子打つ ががんぼにさへ 旅心」は、室内に飛び込んできたガガンボが外へ出ようとバタバタしている様だろう。

 外へ放り出そうと、ガガンボをつまむと細長い脚がすぐにホロホロと取れてしまい、体長が数センチになる大きさに似合わない脆弱さに驚かされることもあった。再び高浜虚子の句に「ががんぼの 脚の一つが 悲しけれ」があるが、細長い棒状のゴミが落ちていると気づけば、それはガガンボの遺品だったというもの。

 ガガンボは形状がカによく似ていて、日本名の由来は「カ(蚊)のウバ(姥)」からともいわれる(広辞苑)。ガガンボは羽が2枚の双翅目で、ハエ目ガガンボ科の仲間はほぼ世界中に分布する。1万5000種を超えるほど種類の多い一大ファミリーを形成する昆虫で、カではなく体長7mm〜35mmになる大型のハエだ。

 その生態はまだはっきりとわかっていないが、日本で観察される最大級のガガンボ、ミカドガガンボ(Holorusia mikado)について最近、完全変態をする幼虫からサナギ、成虫の詳細な生態が判明したという(※1)。

ミカドガガンボの脱皮の様子(A)。サナギから時間をかけてゆっくりと脱皮し、長い脚を引き出すという。オスの成虫(B)。手の平サイズの大きさだ。Via:Levente-Peter Kolcsar, et al.,
ミカドガガンボの脱皮の様子(A)。サナギから時間をかけてゆっくりと脱皮し、長い脚を引き出すという。オスの成虫(B)。手の平サイズの大きさだ。Via:Levente-Peter Kolcsar, et al., "Detailed description and illustration of larva, pupa and imago of Holorusia mikado (Westwood, 1876) (Diptera: Tipulidae) from Japan" Biodiversity Data Journal, 2021

 ガガンボの仲間はイエカ(アカイエカ)やヤブカ(ヒトスジシマカ)などのように吸血はしないが、水棲の幼虫にはイネ(キリウジガガンボ)やショウガ(ヒメガガンボ)、キャベツ(Tipula oleracea)の害虫になるものもいる。また、その取れやすい脚が食品工場などで混入事故を起こすことがよくあるようだ(※2)。

トカゲの尻尾切りか

 ガガンボの脚は、なぜあんなにも取れやすいのだろうか。弘前大学の中村剛之准教授のもとでガガンボ研究を始め、現在は新潟県十日町市の市立里山科学館の研究員をしている加藤大智氏に話を聞くと「おそらく、捕食者に襲われた際、脚を切断して逃げるためと考えられます。長い脚を目立たせ、身体を守るためにも使われているのかもしれません」とのことだった。つまり一種の「トカゲの尻尾切り」というわけだ。

 ガガンボの研究は意外にも多い。米国のチャールズ・ポール・アレクサンダー(Charles Paul Alexander、1889-1981)博士は、日本を含む世界中から標本を収集し、その多くを分類した。

 前述した加藤氏らも最近、ウロモルファ ロンジペニス(Ulomorpha longipenis)という雄の生殖器が長い新種を発見し、学術誌で報告している(※3)。また、ガガンボ研究者のためのガガンボ・カタログ(Catalogue of the Craneflies of the World)もあり、各国の研究者はこのサイトで新種の発見などを報告し、情報を共有しているようだ。

加藤氏らが発見したガガンボの新種(Ulmorpha longipenis)。Via:Daichi Kato, et al.,
加藤氏らが発見したガガンボの新種(Ulmorpha longipenis)。Via:Daichi Kato, et al., "Synopsis of the genus Ulomorpha Osten Sacken, 1869 (Diptera, Limoniidae) in Japan" ZooKeys, 2020

 ところで、ガガンボとよく似たガガンボモドキという昆虫がいる。ガガンボの成虫の寿命は10日から15日ほどで、成虫の期間は何も食べないと考えられているが、ガガンボモドキのほうは凶暴な捕食者で、成虫は他の昆虫を捕食し、オスが交尾中にメスに獲物をプレゼントする生態がある(※4)。

 ガガンボは脆弱で無害な昆虫だが、よく似た外見をしたガガンボモドキは肉食というのにはなにか理由があるのだろうか。

 前出の加藤氏にうかがうと「ガガンボモドキがガガンボに擬態してなにか得をするかというと、メリットはそれほどないのではないでしょうか。以前の研究では、ガガンボモドキの祖先からガガンボが分かれたとし、外見が似ているのもそのせいという意見もありましたが、化石や遺伝子による最近の研究で、両者にそうした関係はないということがわかっています」ということだ。

 加藤氏によれば、ガガンボはハエの仲間だが、ガガンボモドキはシリアゲムシの仲間で羽も4枚あり、外見が似ていることになにか理由があるとは考えられないという。

 ガガンボの仲間には雪が降るような冬季に現れるものもいるが、夏になると巨大なガガンボを含めて多種多様な昆虫が現れる。ガガンボの仲間には絶滅危惧種も多い。ガガンボが飛び込んでくるようなら、あなたの周囲にはまだ自然が残されているということだろう。

※1:Levente-Peter Kolcsar, et al., "Detailed description and illustration of larva, pupa and imago of Holorusia mikado (Westwood, 1876) (Diptera: Tipulidae) from Japan" Biodiversity Data Journal, Vol.9, e58009, 2021

※2:三浦大樹、「工場虫図鑑(17)ガガンボ類」、月刊食品工場長、2007

※3:Daichi Kato, et al., "Synopsis of the genus Ulomorpha Osten Sacken, 1869 (Diptera, Limoniidae) in Japan" ZooKeys, Vol.999, 147-163, 2020

※4:Qinghua Gao, Baozhen Hua, "Co-Evolution of the Mating Position and Male Genitalia in Insects: A Case Study of a Hangingfly" PLOS ONE, Vol.8(12), doi: 10.1371/journal.pone.0080651, 2013

科学ジャーナリスト

いしだまさひこ:北海道出身。法政大学経済学部卒業、横浜市立大学大学院医学研究科修士課程修了、医科学修士。近代映画社から独立後、醍醐味エンタープライズ(出版企画制作)設立。紙媒体の商業誌編集長などを経験。日本医学ジャーナリスト協会会員。水中遺物探索学会主宰。サイエンス系の単著に『恐竜大接近』(監修:小畠郁生)『遺伝子・ゲノム最前線』(監修:和田昭允)『ロボット・テクノロジーよ、日本を救え』など、人文系単著に『季節の実用語』『沈船「お宝」伝説』『おんな城主 井伊直虎』など、出版プロデュースに『料理の鉄人』『お化け屋敷で科学する!』『新型タバコの本当のリスク』(著者:田淵貴大)などがある。

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