安田純平さん「今なお拘束されているかのよう」―国、メディア、ネットに奪われた自由
今年のノーベル平和賞に選ばれたのは、フィリピンとロシアのジャーナリスト2名だった。いずれも、報道の自由を掲げ強権的な政権と対峙し続けたことが評価された。政権によるジャーナリストへの弾圧は、日本においても他人事ではない。シリアでの3年4ヵ月にわたる拘束を経て、2018年10月に帰国したジャーナリストの安田純平さんは、今、日本政府によって、その自由を奪われている。
○奪われたままの「移動の自由」
信濃毎日新聞の記者からフリーランスのジャーナリストへと転身した安田純平さんは、イラクやアフガニスタン、シリア等の紛争地での取材を重ね、ハードな取材経験を持つ同業者達からも一目置かれる存在であった。だが、2015年6月、シリアでの取材を試みた際、正体不明の武装勢力によって誘拐されてしまう。拘束中、一畳ほどの狭い部屋に数ヵ月閉じ込められた上、24時間監視され、身動き一つ取ることすら許されなかった時もあったなど、過酷な経験もしながらも、イスラム教を学び、拘束している側の価値観から、自身の解放を訴えた。そして、ついに解放され、2018年10月にシリア隣国トルコを経由して日本へと帰国した。しかし、安田さんの苦悩はそれで終わらなかった。拘束中に自身のパスポートを取り上げられていた安田さんは、2019年1月、パスポートの再発給を申請した。それから半年後、外務省から通知されたのは、パスポートの発給拒否というものだった。
○トルコに責任を押し付け
外務省が安田さんへのパスポート発給拒否の根拠としているのが、旅券法第13条1項1号だ。外務大臣又は領事官が「一般旅券の発給又は渡航先の追加をしないことができる」対象者として、「渡航先に施行されている法規によりその国に入ることを認められない者」をあげているのだ。安田さんの場合、解放直後の2018年10月24日付で「トルコから5年間の入国禁止措置を受けている」と外務省は主張しているのである。だが、安田さん自身はトルコ側から入国禁止の通知を受けていないと言う。それどころか、解放された後、保護されたトルコでは、安田さんはVIPルームに案内され同国のバランク産業技術相が笑顔を迎えるなど、入国禁止されたとは考えられない、極めて丁重な扱いを受けているのだ。後に、安田さんが提訴した裁判の中で、外務省側は、解放された日に一泊したトルコ・ハタイ県の入管施設による国外退去決定通知書を「証拠」として提出したものの、決定者の欄は、英語では何も書かれておらず、対象となる安田さん本人の署名もない上、同入管施設が安田さんに国外退去を通知した時間として記載された日時も安田さんは既に首都イスタンブールに向けて発った後という、信憑性に疑問を感じさせるものだった。そのため、安田さんとその弁護団は、日本政府の方から、後でトルコ当局に入国拒否するよう働きかけた可能性もあるとして、両国間の安田さんに関するやり取りの開示を求めている。
○外務省の無理筋
仮にトルコから入国禁止措置を受けていることが事実だとしても、たった一国から入国拒否されただけで、パスポートの発給を拒否され、世界190カ国あまりの日本と国交のある国々全てに渡航できなくなること自体、「理解に苦しむ」と安田さんは語る。移動の自由は、日本国憲法(第22条「居住、移転・職業選択の自由」)や、国際人権規約(自由権規約第12条「移動、居住及び出国の自由」)で保障された基本的人権だ。それをたった一国の入国拒否のみで全面的に失うのは、あまりにバランスが悪い。せめて、限定旅券を発給すべきだろう。シリアでの取材を計画していたために、2015年2月に外務省にパスポートを強制返納させられたフリーカメラマンの杉本祐一さんは、その後、パスポートの再発給を申請。「シリアとイラクには渡航できない」と書かれたパスポート、つまり限定旅券が再発給された。杉本さんのケースも移動の自由や報道の自由への重大な侵害であるが、安田さんの場合は限定旅券すら発給されていないので、さらに深刻だ。筆者が、外務省に問い合わせたところ、一般論として、13条1項1号によるパスポート発給拒否が非常に稀な措置であり、その措置を行うことには慎重であるべきとは認めたものの、安田さんの件については「係争中の案件であり、お答えできない」との回答であった。
○デマに便乗した弾圧、メディアも加担
本来、パスポートは、政府機関の裁量で「与えられるもの」ではなく、基本的人権の一つとして得られて当然のものであるはずなのだが、安田さんに対する外務省の対応はあまりに理不尽だ。安田さん自身は、「メディアやネットでの私に対する誹謗中傷も、政府側の判断に影響を与えているのかもしれない」と言う。解放から3年以上たった今も、事実に反したデマによる誹謗中傷が安田さんを苦しめ続けている。その一つが安田さんが「何度も人質となった」というものだ。
「私が人質となったのは、シリアが初めてです。イラクで地元警察や現地自警団に職質されたり、身柄を拘束されましたが、すぐに解放されました。人質は身代金などの要求がおこなわれるものですが、シリア以外では、そうした要求はおこなわれず、『何度も人質になっている』という主張は明らかに事実と異なります」(安田さん)
筆者も紛争地での取材経験があるが、ジャーナリストが現地治安当局や武装集団などに、素性の確認のため、一時的に拘束されることはよくあることだ。そうした一時的な拘束と、テロリストが人質を取り、その人質の母国等に身代金や仲間の解放等の要求を突きつけるといったことは、全く性質が異なるものなのである。
安田さんがテロリストと「人質ビジネス」を共謀した、つまり日本政府から身代金をせしめようとしたとのデマも流布されている。例えば、雑誌『WiLL』(2019年1月号)に掲載されたコラムでは、ユーチューバーのKAZUYA氏が「まさか、中東ではよく行われている人質ビジネスでは?と邪推してしまいます」と書いたことなどから、安田さんは、『WiLL』の発行元である株式会社ワックを名誉毀損で提訴。今年10月6日、安田さんは東京地裁で勝訴した(その後、両者が控訴)。
そもそも、安田さん自身が、帰国後の日本記者クラブでの会見(2018年11月2日)で明らかにしているように、解放直前の安田さんの状況と、外務省が持っていた情報では、その内容が全く異なり、外務省は誘拐の犯行グループとは接触できていなかった可能性が極めて高い。つまり、仮に外務省側が身代金を払おうとしても払うことはできなかったのである。また、拘束されている最中、安田さん自身が犯行グループの要求を飲むな、放置しろと家族にむけてメッセージを発していたのである。
安田さんの「身代金」をめぐっては、読売新聞(2018年10月24日)は、在英の民間団体「シリア人権監視団」の代表者の話として、「カタールが(安田さんの)身代金を支払った」と報道。しかし、カタール側はこれを否定。シリア人権監視団に対し、安田さんが説明を求めたにもかかわらず応答しない上、「安田さんが会見でIS(イスラム国)に拘束されていたと語った」と安田さん自身が言ってもいないことを主張するなど、この団体の安田さんに関する主張は信頼性に乏しい。それでも、読売新聞は現在に至るまで、記事の訂正や謝罪を行っていない。
安田さんは「まるで賽の河原のようです」と語る。「いくら、事実に基づいて説明しても、ネット上ではデマによる攻撃がいつまでも続きます。大手の報道機関ですら、私がその誤りを具体的に指摘しても、訂正すらしようとしないのです」(同)。こうした状況を利用するかの如く、外務省は理不尽に安田さんの「移動の自由」を奪っているのだ。約3年前の10月に解放されたはずなのに、今なお拘束されているかのような圧迫感を感じる―そんな心情を安田さんは吐露する。
○自らの目や耳を塞ぐ日本
今回、筆者が安田さんに取材しようと考えたのは、筆者と安田さんが旧知だということだけではなく、ノーベル平和賞をフィリピンとロシアのジャーナリストが受賞したことを称える日本の報道に白々しさを感じたからである。ジャーナリストへの弾圧は、よその国のことだけではなく、今、正にここ日本で、現在進行系で行われていることだ。政府、メディア、ネットが一体となって、一人のジャーナリストを苦しめ続けている。ジャーナリストとは、人々の知る権利を保障する存在だ。まして、危険な紛争地を取材し、その実態を伝えられるような、ジャーナリストはごくわずか。だからこそ、シリアでは欧米諸国のジャーナリスト達も拘束されたが、解放された後は、英雄として母国に迎え入れられたのだ。このような状況では、いずれ、日本の紛争地報道全体が危うくなるだろうし、実際に既に危うくなっていると筆者は感じる。それは、日本の「情報自給率」を引き下げ、日本全体として、自らの目や耳を塞ぐことに他ならない。その危うさに、一体、どれほどの人々が気がついているのだろうか。
パスポート発給拒否は不当とする安田さんの裁判は現在も続いている。ただ、直近の今月9日、裁判の取材に来た記者は筆者含め二人だけ、しかも二人ともフリーランスだった。安田さんが置かれている状況が、日本の政治や社会、メディアにとってどのような意味があるのか、もっと多くの人々、とりわけ報道関係者はよく考えるべきであろう。
(了)