札幌記念に挑戦する白毛馬ハヤヤッコとベテラン担当者との心温まるエピソード
競馬ファンからこの世界へ
黒くなった白い馬体を曳く男の目に涙が溢れていた。
「僕自身、この世界に入って初めての重賞制覇なので……」
涙を流しながらそう語ったのは田村亮平。7月17日、函館記念(GⅢ)を勝利したハヤヤッコをデビュー以来ずっと担当する持ち乗り調教助手。馬にとっては2019年のレパードS(GⅢ)以来、2度目の重賞制覇にもかかわらず、担当者が初制覇だったのは何故か? 函館記念との因縁とも思えるエピソードを紹介しよう。
田村が生まれたのは1976年5月だから現在46歳。千葉県で3人兄弟の長男として育てられた。高校生の時、仲の良い友達が競馬の大ファン。学校が中山競馬場の近くという事もあり、影響されて見に行くようになった。
「ウイニングチケット、ビワハヤヒデ、ナリタタイシンの3強対決に熱狂し、競馬の虜になりました」
高校時代から牧場でアルバイトを始め、卒業する頃には競馬関係の仕事に就きたいと真剣に考えるようになった。
「高校卒業後、JRAの宇都宮研修所で1年、その後、美浦トレセン近郊の武田牧場で1年半、馬に乗りました」
自信をなくした頃に出合った馬
97年に競馬学校に入学し、翌98年3月に卒業。美浦トレセンで働き出した。
2厩舎で調教助手として汗を流したが、自分の技術に自信がなかったため、苦しんだ。
「自分がしっかり乗れないと、調教師は勿論、厩務員さんの生活にも影響をきたしてしまう。毎日、プレッシャーを感じていたので、2010年からは稲葉隆一厩舎で持ち乗り調教助手として雇っていただきました」
調教助手だと各厩務員の馬の調教に万遍なく騎乗する。一方、持ち乗り調教助手は厩務員同様に自分の担当馬が与えられ、その馬の調教に騎乗。他の厩務員の馬には騎乗しない。自分の技量が自分に返ってくる立場となり、いくらか肩の荷が下りた。
「とはいえ、厩舎の成績を悪くするわけにはいかないし、果たしてこれで良いのかな?と考えていた矢先、マックスストレインという馬に出合いました」
未勝利馬だったが、担当するなり勝利。田村が当時を述懐する。
「現在、調教師となった林徹調教師が『馬の神様はちゃんと見てくれています』と言ってくれました。自信をなくしていた頃でしたが、まだこの仕事を続けて良いと気付かせてくれた思いがしました」
2頭の馬との出合い
12年に稲葉厩舎が解散すると国枝栄厩舎に移った。
ここで16年に出合ったのがレッドローゼスだった。
「デビュー前に、当時騎手だった蛯名(正義現調教師)さんから『大事にやっていけば大成出来る馬』と言われました。実際、ステイゴールドの仔で難しさこそあったけど競馬へ行くと堅実に走るタイプでした」
徐々に出世し、準オープンでも好勝負出来るようになった18年の春、もう1頭の担当馬として任されるようになったのがハヤヤッコだった。
「白い体は目を引いたけど、最初の頃は華奢だし、毛もぼうぼうだったのでまるでヤギみたいでした」
ところがデビュー戦で3着すると2戦目には勝ち上がった。
「実戦実践向きだったようです」
3戦目のアイビーSまでは芝を走ったがここで8着に敗れると、ダート路線へ舵を取った。こうして2勝目を挙げると、19年の夏にはレパードS(GⅢ)に挑戦する事になった。ただ、そこに田村の姿はなかった。
同じ時期、もう1頭の担当馬のレッドローゼスが準オープンばかりかオープンも優勝。函館記念(GⅢ)に出走する事になったため、ハヤヤッコは一時的に他の人に譲り、田村は北海道に滞在していたのだ。
「函館記念は2番人気に推されたけど6着に敗れました。一方、人に任せたハヤヤッコは見事にレパードSを優勝したので、複雑な心境になりました。『自分には重賞は縁がない……。そういう星の下に生まれてきたのかな……』と感じました」
しかし、それから丁度3年後の今年の函館記念。“ソンナコトナイヨ”と気付かせてくれたのもまたハヤヤッコだった。
3月の日経賞(GⅡ)で久しぶりに芝を走ると、5着といえ勝利したタイトルホルダーに迫る場面を演出。「淡い期待を抱いた」(田村)天皇賞(春)(GⅠ)こそ15着に沈んだが、函館記念で捲土重来。7番人気の低評価とは思えない競馬ぶりで完勝。この世界に入って25年目となる田村に初めての重賞勝利を運んで来てくれた。
「道悪だったのでせめて良いところを見せてほしいと思ったけど、期待以上の走りをしてくれました。ラスト1ハロンでは勝利を確信し、ゴール後は皆に祝福の声をかけられて自然と涙が溢れました」
現在「小学5年と3年の娘がいる」という田村は、函館記念の後、有休をとって家族旅行を計画していた。しかし、この勝利によりハヤヤッコの次走が8月21日の札幌記念(GⅡ)となったため、急きょ予定を変更する事になった。
「有休は返上して、引き続き北海道に残ります。だから、家族をこちら(北海道)に呼ぶ事にしました」
札幌記念は同じ一族で白毛のソダシを始め、個性派揃いのメンバー構成となりそうだが、もう1度、ベテランホースマンの涙を見られるシーンがあっても不思議ではないだろう。
(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)