脳梗塞から立ち直った元ラグビー選手。中学生に経験と学びを伝える。
愛称「ビンさん」の人柄に触れて、最後は生徒から質問攻めだった。
千葉県浦安市の入船中学校で2019年12月19日、元ラグビー選手の諸葛彬(ジェガル・ビン)さんが、脳梗塞から立ち直った自身の経験、学びを伝えた。
現役時代はウイング・センターとして活躍した29歳のビンさんは、2016年10月に脳梗塞に倒れた。
左半身に麻痺が残ったが、現在はプレーしたNTTコミュニケーションズ シャイニングアークスのスタッフ(アシスタントリクルーター)として働く。
今回の講演は、脳梗塞から立ち直ったビンさんの物語を知ってもらおうと企画され、チームの地元である浦安市の入船中学校で開催された。
ビンさんにとって初めての講演会だったが、「深刻になるのが苦手」というビンさんは流暢な日本語で、巧みに笑いをちりばめた。会場の体育館には生徒の笑い声が響いた。
■試合中に脳梗塞。懸命なリハビリと絶望。
約40分間の講演で、ビンさんはユーモアを交えながら自己紹介を始めた。
「私は29歳のおじさんです。たぶん、そうは見えなかったと思いますけど」
韓国ソウルの出身だ。難関の名門私立・延世大学を卒業後、韓国軍チームの尚武(サンム)を経て、2014年にNTTコミュニケーションズに加入。
初年度から主力選手として活躍したが、2016年10月9日、鳥取で行われた試合中に脳梗塞で倒れた。
「試合中に頭が痛くなって倒れて、麻酔をして起きたのは2週間後でした。左半身が動きませんでした。そのときの私が、なにを思ったか分かりますか? 答えは『お腹空いた』です」
ビンさんは「ギョウザが食べたかった」と言って中学生を笑わせたが、実際は過酷だった。
約3か月入院した鳥取の病院では、絵を描くなどの頭を使うリハビリからスタート。
動かなかった左足も動き始めた。「たぶん来年には動ける」と考え、懸命に取り組んだ。
しかし、やがて選手復帰はほぼ不可能と知る。絶望して、リハビリを投げ出した。
「2週間くらいリハビリをやりませんでした。元に戻らないなら、リハビリをやる理由はないと思って」
■家族や仲間からもらった力。
ただ家族や仲間との交流を通し、ビンさんの心境は変わり始める。
病室にはNTTコミュニケーションズの同期である日本代表のアマナキ・レレイ・マフィや金正奎など、多くの選手・スタッフがお見舞いに訪れ、冗談を言い合った。
意識喪失の発作をきっかけに、2017年春からは韓国でリハビリを行うことに。
「できる治療は全部やりました。針にも通いましたし、本当に、できることは全部やりました」
しかし選手復帰は絶望的。それでもビンさんが、リハビリを頑張った理由がある。
「うちは私とお母さん、弟の3人家族です。お父さんは中学2年の時に離婚しているので、長男である自分が父親代わりです」
「お母さんと弟は、私だけを見ていた。私が諦めたら、この家族も一緒に倒れると思っていました」
過酷なリハビリの先に、選手としての未来があるわけではない。それでも父親代わりの自分が諦めるわけにはいかなかった。
仲間も力を与えてくれた。
「リハビリ期間中、チームのロッカールームには僕の着ていた13番のジャージが飾ってあり、試合に出るみんなが、そのジャージに触れてグラウンドに出ていると聞いていました」
「みんなも頑張って戦っていると思うと、自分も頑張ろうと思いました」
家族や仲間との絆が、時に「死を選びたい時もあった」というビンさんの心に灯をともした。ビンさんは中学生に語りかけた。
「最初は今のように喋れないし動くこともできないと言われましたが、たくさんの応援と、たくさんの愛が、私の力になりました」
■「みなさんの行動が変わったり、幸せになることが私の目標、私の夢」
講演の後半でビンさんが強調したのは「言葉の力」だ。
「言葉には誰かを元気にしたり、幸せにしたりできる力があることを知ってほしいです」
言葉に関する興味深い研究結果や、自身のエピソードを紹介しながら、言葉の力を伝えた。
言葉には人を傷つける力もあれば、勇気づける力もある。
そんな当たり前に思える真実が、絶望から生還したビンさんの口から語られると大きな説得力をもって心に響く。
ユーモアたっぷりの内容のおかげもあっただろう。講演の最後には生徒から多くの質問が飛んだ。
ラグビーで好きなプレーは? なぜ日本でラグビーをしたいと思ったのですか?
好きな動物は? 好きな食べ物は? 悩んだ時はどうしていますか?
そして「これからの目標なんですか?」という問いに、ビンさんはこう答えた。
「私の言葉は足りないけど、今日話を聞いてくれたみなさんの行動が変わったり、幸せになることが私の目標、私の夢です」
講演を見守っていたビンさんの母チェ・ヨンザさんは、息子の初講演を振り返って「本当にいろんな方に感謝の気持ちで一杯です」と感慨深げだった。
ビンさんはこれからも講演活動を続けていく予定だ。「愛の言葉を伝えられる人になりたいんです」。ボールをマイクに持ちかえ、精力的に活動していく。 (了)