オートバイのあれこれ『“挑戦者”の色。カワサキのライムグリーン』
全国1,000万人のバイク好きたちへ送るこのコーナー。
今日は『“挑戦者”の色。カワサキのライムグリーン』をテーマにお話ししようと思います。
現在ではカワサキのイメージカラーとしてすっかり定着している、ライムグリーン。
このライムグリーンの歴史の始まりを知っているでしょうか。
カワサキがこの色を初めて使ったのは、1969年(昭和44年)のこと。
アメリカで人気のレース・デイトナ200マイルレースへ出場するにあたり、参戦車両の『A7RS』(350cc)と『A1RAS』(250cc)をライムグリーンにペイントしたのがその起源といわれています。
バイクをライムグリーンに塗った理由は簡単。
世界最大のオートバイ市場であるアメリカで“目立ちたかったから”です。
当時、まだまだ発展途上だった日本の二輪メーカーにとって、事業を大きくするにはアメリカでしっかりと認知を取ることが欠かせませんでした。
そのなかで、カワサキは派手なライムグリーンを使い“Kawasaki”をアメリカのバイクファンたちへ強く印象付けようとしたのです。
ここで、
「目立つことが目的なら、別に赤や青でもいいんじゃない?」
と疑問を抱く人もいるかもしれませんが、当時からすると、ライムグリーンは赤や青よりもインパクトの強い色だったといえます。
なぜなら、ライムグリーンは欧米では“不吉な色”・“縁起の悪い色”とされていたから。
カワサキは欧米人が忌避するライムグリーンをあえて選び、「なんであの色なの!?」と彼らが興味を向けずにはいられないようにしたというわけです。
また、ライムグリーンをまとって活躍することで、《ライムグリーン=不吉》という既成概念を打ち破ってやろうという、チャレンジングスピリットを誇示する意味もありました。
当然、初めのうちは「あんな縁起でもないことをして、レースに勝てるわけがない」などといった批判もありましたが、やがてライムグリーンのレーシングマシンは世界の舞台で大活躍。
やがてカワサキのマシンは「グリーンモンスター」として世界中から畏怖される存在となり、こうしてカワサキのライムグリーンの歴史は長く続いていくこととなったのでした。