本屋大賞受賞作『流浪の月』の読みどころとは?
凪良ゆう『流浪の月』(東京創元社)が2020年本屋大賞・大賞受賞作に決まった。19歳の小児性愛者の大学生が9歳の女児を誘拐したとされる事件の当事者たちの、外側からは見えない真実、その恋愛でも友情でもない、いわく言いがたい関係性を描いた本作の読みどころについて紹介していきたい。
■「凶悪な誘拐犯とかわいそうな被害者」というレッテル
誘拐犯の男と誘拐された少女のいわく言いがたい奇妙な関係性を描いた作品といえば、はくり『幸色のワンルーム』などがすぐに思いつくだろう。「誘拐」ではなく合意の上でふたりは共同生活を始めており、世の中で騒がれ、噂されるような虐待、暴行はむしろふたりが束の間の暮らしを始める以前の家庭で起こっていた――それぞれが抱える地獄のようにつらく、息苦しい環境生活から抜け出すアジールをふたりは築いたのだ、というところまでは『幸色のワンルーム』と『流浪の月』は似ている。
■カテゴライズできない関係性を、時間をうまく使って描く
『流浪の月』が特異で、かつ、すばらしいのは、時間軸の取り方だ。
第二章まででふたりの自由で楽しい時間は終わり、警察に捕まってふたりは引き離され――第三章からは事件の10年後の話が始まる。
誘拐された側の更紗はもともと父母から離れて叔母の家に預けられていたが、ある事件を起こして養護施設送りになり、高校を卒業するとアルバイト生活をしながら、彼氏と同棲生活を送っていた。
しかし、ある日、バイト先の同僚に連れられていった喫茶店で、誘拐した側の文と再開する。
文は喫茶店のマスターになっており、ある大人の女性とはどうも恋人同士らしい。
しかも、気付いているのかいないのかわからないが、更紗に対して一貫して他の客と同じように接してくる。
文だけが唯一、自分を苦しみから救う手を差し伸べてくれた人物だと思い続けていた更紗は、文のことが気になり喫茶店に足繁く通うになるが、それは当然、互いの恋人との亀裂をもたらすことになる。
さらには、更紗がバイト先の同僚の8歳の娘を(その母親が恋人と旅行に行く間)預かることになり、成り行きで文にも協力してもらうことになり、ここにも親子でも友だちでもない関係ができあがる――つまり、10年経って文は再び、女児と奇妙な共同生活をする。かつての共同生活者とともに。
このあたりの、時間を使った関係性の重ね方が巧みで、どうなってしまうのだろうと気になってページをめくるのが止められなくなる。
■近づいてはいけないけれど、そばにいたい。ひとりはこわい
この作品では「知っているつもり」「わかったつもり」「『私はあなたに理解ある』と思っているあなたは何もわかっていない」という浅薄な理解が人を追い詰め、「誰もわかってくれない」という孤独感を抱かせる過程を徹底して描く。
読んでいて驚くのは、その無理解に苦しめられてきた更紗自身が、「知ってるつもり」の呪縛とは無縁ではないことまで描く点だ。
半可通の危険さを身に染みて感じてしまう。
ほかの誰とも共有できず、カテゴライズできないからこそ、文と更紗の関係は深い。
彼らが抱える想いは切実だ。
お互い近づいてはいけないけれど、そばにいたい。ひとりはこわい。
――まるで今の環境に置かれた私たちの話ではないか。
『流浪の月』が示しているのは、たくさんのひとと浅くつながることが孤独を癒すのではなく、たったひとりかふたりでも、得がたい経験を分かち合ったことのある、心から信頼できる相手をもつことが安らぎをもたらす、ということだ。
ソーシャルディスタンスの時代に本作が評価されたことには、とても意義深いものがある。