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「学校現場に任せる」の一言が欲しい文科省の新型コロナ対応

前屋毅フリージャーナリスト
撮影:筆者

 萩生田光一文科相は3月10日の閣議後の記者会見で、安倍晋三首相の一斉休校要請を受けた休校の期間について、「一概に(休校期間を)延ばせとか、短くしていいとか、今の段階では言えない。間違った判断がないように、文科省としてフォローしていきたい」と話した。

 これに違和感を覚えた学校関係者は少なくないのではないだろうか。文科省が休校期間について明確な指示はしないが、「間違った判断」がないように「フォロー」するというのだ。つまり、「判断」はしないが「見張り」だけはする、ということである。そこでは、文科省自らの「責任」は回避されてしまっている。

 3月9日に文科省は、「各自治体から追加のお問い合わせを頂きましたので」として、休校についての「Q&A」の更新版を発表している。質問にたいする答だから、当然ながら、文科省が責任をとる覚悟をもった答だと考えてしまう。

 しかし、その答は、文科省の責任が回避された内容のものでしかない。

 たとえば、「学校が臨時休業でも、児童生徒が外出したら効果がないのではないか」という質問に対して、次のように答を示している。

「児童生徒の健康維持のために屋外で適度な運動をしたり散歩をしたりすること等について妨げるものではなく、感染リスクを極力減らしながら適切な行動をとっていただくことが重要であると考えます」

 積極的に推奨も禁止もしない、という姿勢が「妨げない」に表れている。「感染リスクを極力減らしながら適切な行動」とは、当たり前のことである。しかし、具体的な策については答えていない。「適切な行動」とは「言うは易く行うは難し」でしかない。

 さらに、「3月末までに指導すべき内容の指導を行うことができなかった場合に、次学年の授業時数の中で、前学年の未指導分の授業を行うことは可能か」という質問がある。突然に授業がストップしたのだから、当然やるべきことが指導できていない分がある。学校現場としては、かなり気にかかっていることである。

 これについての文科省の答は、次のようになっている。

「○今般の臨時休業に伴い、卒業を迎える学年以外の児童生徒が授業を十分受けることができなかった場合には、児童生徒の学習に著しい遅れが生じることのないよう、必要に応じて、次年度に補充のための授業として前学年の未指導部分の授業を行うことも考えられる」

「考えられる」としているだけで、「未指導部分の授業」を完全に認めているわけでも、否定しているわけでもない。そして、次のように続いている。

「○その場合において、標準授業時数を超えて授業時数を確保する必要は必ずしもなく、各学校において弾力的に対処いただくことが可能です」

 標準時数を超えた授業時数、つまり特別な補習の時間を確保する必要は必ずしもなく、各学校で弾力的に対処しろ、というわけだ。文科省としては未指導部分の授業については方針を示さないので各学校で勝手にやれ、と言っているようなものだ。

 まるで答になっていない。文科省として口は挟むが、具体的な方針は示さす、学校現場に丸投げしているだけのことである。休校期間について具体的な方針は示さないが「口だけはだす」という、先の大臣の発言と同じである。大臣発言と同じように、自らの責任を明確にもしていない。

 こんな答では、学校現場は混乱するだけではないだろうか。それなら、いっそのこと「学校現場に任せる」と言ったほうがスッキリするし、学校現場も自らの判断で動きやすくなるのではないだろうか。いま文科省から必要なのは、その一言に尽きる気がする。

フリージャーナリスト

1954年、鹿児島県生まれ。法政大学卒業。立花隆氏、田原総一朗氏の取材スタッフ、『週刊ポスト』記者を経てフリーに。2021年5月24日発売『教師をやめる』(学事出版)。ほかに『疑問だらけの幼保無償化』(扶桑社新書)、『学校の面白いを歩いてみた。』(エッセンシャル出版社)、『教育現場の7大問題』(kkベストセラーズ)、『ほんとうの教育をとりもどす』(共栄書房)、『ブラック化する学校』(青春新書)、『学校が学習塾にのみこまれる日』『シェア神話の崩壊』『全証言 東芝クレーマー事件』『日本の小さな大企業』などがある。  ■連絡取次先:03-3263-0419(インサイドライン)

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