145年前に業務を開始した場所の近くに戻った気象庁 気象観測への影響は
気象庁の虎ノ門移転
気象庁が東京の千代田区大手町から、新築した港区虎ノ門の新庁舎への引っ越しを進めています。
気象や地震等の自然現象の観測や予警報等の発表を一時でも中断することができない業務の性格上、一斉の移転ができず、移転が完了するのは令和2年(2020年)12月上旬の見通しです。
ただ、令和2年(2020年)11月24日に多くの部署での新庁舎での業務が始まっています。
この新庁舎は、令和2年(2020年)2月末に完成し、高い免震構造を持っており、整備を担当した国土交通省関東地方整備局によると、「東京都心で想定される最大規模の地震の場合、横揺れを半減させる効果がある」とのことです。
このため、首都直下地震が起きても、気象庁から防災情報の提供が続けられると期待されています。
気象庁の移転は、国有財産の有効活用を目的とする政府の有識者会議での検討などを経た大手町地区の再開発計画に伴うものです。
平成19年(2007年)に決まり、当初は平成25年(2013年)度中に完成見込みでしたが、取り付け道路の問題など、周辺一帯の再開発の影響で6年ほど遅れました。
気象庁が業務を開始した場所
気象庁の業務は、今から145年前、明治8年(1875年)6月1日、内務省の地理寮量地課に気象掛(通称「東京気象台」、気象庁の前身)ができ、東京府第2大区第4小区溜池葵町で空中電気と地震の観測を開始したことから始まっています。
この場所は、移転した新庁舎がある港区虎ノ門のすぐ近くです(図1の丸数字の1)。
東京気象台が誕生した溜池葵町は、上野厩橋(現在の群馬県前橋)17万国の松平大和守が明治5年(1872年)に明治政府に返上した土地です。
溜池葵町の土地に、明治6年(1873年)に測量司が置かれましたが、測量司は、明治7年(1874年)1月に新設された内務省に移管され、そこに東京気象台ができました(図2)。
測量司がある8000坪を超える広大な敷地は、大和屋敷と呼ばれ、廷内に山坂が多く、樹木が鬱蒼とし、タヌキ(イヌ科の動物)やアナグマ(キツネ科の動物)が生息していました。
当時の様子を、大正4年(1915年)4月に開催された中村精男中央気象台長在職20年及び還暦祝賀会の席上で、馬場信倫がつぎのように述べています。
「狸が、気温や日温寒暖計を藪の中に隠したり、観測する場所の前に横切ったりしていた…」
現在は大都市の真ん中にあり、当時の面影は全くありません。
ただ、近くに「麻布狸穴(まみあな)町」という地名が残っています。
住居表示変更前は、もっと広い範囲に狸穴という地名がありました。
タヌキやアナグマが生息している場所で東京の気象観測が始まりましたが、西南戦争後、新政府に忠実な西南の役の功労者を華族に列し、主だった実業家には大名屋敷を与えて新政府財政の強力な後ろ盾にする動きがありました。
このためと思われますが、大和屋敷は、明治11年(1878年)に、日時や価格は不明ですが、西南戦争で政府の武器調達に大きく寄与した大倉喜八郎に払い下げられています。
そして、大倉喜八郎は、その場所にホテルオークラを建てます。
このため、東京気象台は移転を余儀なくされ、あちこちに移転場所を探した結果、明治15年(1882年)に皇居の旧本丸の中へ移転しました(図1の丸数字の2)。
自然に恵まれており、他の使用計画がなかった土地であったからです。
その後、東京気象台は発展して中央気象台となり、大正12年(1923年)1月に麹町区元衛町(現在のKKRホテル東京付近)に移転しています(図1の丸数字3)。
竹橋を渡って皇居の外に出たのですが、その約8か月後の9月1日、関東大震災が起きています。
太平洋戦争が終わり、中央気象台は発展して気象庁となって、昭和39年(1964年)に千代田区大手町に移転しています(図1の丸数字4)。
気候を知るための組織
東京気象台が業務を始めた明治初期、組織の業務として重視されたのは気候を知ることで、重視されたのは、5日間の平均の値でした。
1年を73半旬に分けて統計すると、6月1日以降の最初の区切りが、32半旬が始まるのは6月5日からです。
このため、組織は、明治8年(1875年)6月1日にできたものの、観測が残っているのは同年6月5日からです(図3)。
つまり、6月5日からは、毎日3回(東京地方時で午前9時30分、午後3時30分、午後9時30分)の観測が御雇い外国人のジョイネル(H.B.Joyner)によって行われています。
最初の観測である6月5日午前9時30分には、気温19.5度、露点温度13.1度、湿度67%、日雨量0.5ミリメートルなどを観測しています。
観測機器はほとんどイギリス製でしたが、地震計だけはイタリア製でした。地震のないイギリスには適当な地震計がなかったためです。
初めてリモート観測
東京の観測地点は、気象庁(東京気象台、中央気象台)の移転とともに、皇居の南側、皇居の中、皇居の北側と移転をしています。
いずれにしても、自然環境が残っている皇居付近です。
気候の長期変動をみる観測には適していますが、都市化が進んだために、東京に住む多くの人の感じる気温より低い気温を観測しているなど、大都会に生む人の体感とは少しずれているとの指摘もあります。
気象庁は港区虎ノ門への移転を見据えて、東京都心の気象観測点を大手町近く(西へ約900メートル)の「北の丸公園」に移しています。
「北の丸公園」が選定された理由は、次の3点です。
1 千代田区大手町の観測地の周辺地域であり、これまでの観測成果を引き続き利用できる。
2 観測に適した周辺環境がある(十分な広さの露場と天空開放度があり、将来的にも観測環境の維持ができる)。
3 障害復旧等の緊急作業が可能である。
地方官署ではリモート観測の例がありますが、東京では初めてリモート観測への切り替えです。
平成19年(2007年)11月より風と日照の観測が、平成26年(2012年)12月から気象観測を行う露場が移転しました。
気象庁が虎ノ門へ移転しても、気象の観測地が変わりませんので、観測や予報等に大きな変化はありません。
虎ノ門への移転により、他省庁が近くなることから連携が強化され、防災に関しては進展すると思われます。
ただ、気象庁が虎ノ門へ移転したことより、観測地が大手町から「北の丸公園」への移転したのが大きいという意見もあります。
両地点の比較観測では。「北の丸公園」のほうが、最低気温が低くなる、猛暑日が少なくなる、熱帯夜が大幅に少なくなる、冬日は多くなる、湿度が高くなるなどの結果がでています。
長期にわたる気候の観測には、どこで、どのように行い、そして継続するのか、防災に必要な体感に即した観測とは違った難しさがあります。
タイトル画像の出典:cap10hk/イメージマート
図1、図2の出典:気象庁資料。
図3の出典:気象庁ホームページ。