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低迷する立憲民主党に贈るソックリな経緯をたどった「1947年民主党」没落から奇跡の復活までの歴史

坂東太郎十文字学園女子大学非常勤講師
そんな時代もあったねえ(写真:ロイター/アフロ)

 今やすっかりダメ野党の烙印を押された立憲民主党。しかし憲政史を振り返ると立憲の源流である「1998年民主党」とソックリな経緯をたどって劇的な復活を遂げた政党があります。それが「1947年民主党」。比較第1党への対抗軸となるべく誕生し、一度は政権を奪取しながら無残なまでに弱体で短時日で下野し、ライバルの比較第1党による長期政権を許したまま雲散霧消も時間の問題と見捨てられつつあったところまで瓜二つです。

 しかし「1947年民主党」は奇跡の復活を遂げました。そのあたりを振り返ってみます。(文中一部敬称略)

同床異夢の寄せ集めで比較第1党への対抗軸作りを目的に発足

【1947年民主党】

 1947年民主党の前身は敗戦直後に結成された日本進歩党。戦前に全政党を解散させて作られた大政翼賛会の政治部門「翼賛政治体制協議会」(翼協)が圧勝した42年の翼賛選挙で推薦された衆議院議員ら274人が再結集した形です。

 戦後の日本を占領した連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は快しとせず何と260人を公職追放。翼賛選挙で翼協非推薦で勝ち抜いた斎藤隆夫、逢沢寛、一松定吉ら14人がかろうじて残り、45年末の総選挙では新人を積極的に立てて善戦するも当選94人に止まり、第1党を日本自由党(141人)に譲ります。自由党は翌46年、第1次吉田茂内閣を結成。

 ここに自由党から一派を率いて芦田均が合流し、進歩党は47年、民主党と改称します。芦田は吉田の外務省における先輩で翼協非推薦組の1人。本来ならば自由党党首になっていてもおかしくなかったところ吉田が座って以来、憲法観などで対立していたため飛び出したのです。

 この時点で、芦田派、斎藤派、最高顧問に迎えられた幣原喜重郎前首相のグループ、さらに戦前からの勢力と戦後初の総選挙で議席を得た若手など同床異夢の寄せ集めで党首すら決められないありさまのまま47年4月の総選挙に突入してしまいます。結果は124議席。第1党日本社会党(143議席)、第2党日本自由党(131議席)を僅差で追う第3党です。田中角栄、中曽根康弘、櫻内義雄、園田直ら新人の俊英58人が初当選。

【1998年民主党】

 1947年民主党と同様に前史があります。当時の自民党中心の連立政権の一角を担っていた「新党さきがけ」出身の鳩山由紀夫と菅直人を共同代表とする「1996年民主党」です。結成時点で鳩山・菅両グループに加えて、やはり連立に加わっていた社民党の当選1・2回といった若手らが合流。直ちに総選挙へなだれ込んで選挙前議席の52を維持しました。

 この選挙で自民を倒して比較第1党を目指したのが小沢一郎率いる新進党。しかし156議席に止まったのです。

 97年末に新進党解党。行き場を探す羽田孜グループ(岡田克也・原口一博ら)、旧民社党系の受け皿となって98年に合流。127議席を得て野党第1党へ進出しました。03年には小沢氏の自由党をも吸収します。

【共通点】

 いずれも保守で比較第1党に対抗する勢力作りを目的としたところ。それゆえか「同床異夢の寄せ集め」感は否めません。よく現在の立憲には左派がいると指摘され、それは主に96年民主党に社民から合流した勢力を指すようです。ただし、この時点の社民は自民と組んで与党であり、かつ多くは党内右派。他方、47年民主党の翼協非推薦組は当時の感覚では「リベラル」でした。保守そのものの大物たる芦田や小沢を迎えたのも似ています。

3党連立政権による天下取りと短期間での瓦解

【1947年民主党】

 総選挙の結果を受けて社会・民主に加えて三木武夫率いる国民協同党を含めた「社民国連立政権」で吉田自由党を野に追って天下を取りました。最初の首相となった社会党の片山哲の政権は292日であえなく崩壊。「たらい回し」の批判を受けつつ芦田が後を襲ったのです。

 ここに昭和電工事件が発生。政権中枢を直撃して芦田内閣も220日で瓦解。吉田が再度の首班指名を受けて野党に転落しました。

 49年の総選挙は吉田与党の民主自由党が圧勝。民主党は69議席と大敗を喫したのです。

【1998民主党】

 2009年の総選挙で圧勝。ただし参議院では過半数を持たないため社民党と国民新党と「民社国連立政権」で55年体制後初の本格的な政権交代を成し遂げました。

 しかし政権運営は拙劣で、鳩山由紀夫・菅直人・野田佳彦と3首相を「たらい回し」した挙げ句に2012年総選挙で57議席と完敗。294議席を得た自民党に政権再交代を許したのです。安倍晋三が再度の首相に選出されました。

【共通点】

 3党連立(政党名までソックリ)と短時日での崩壊。戦後2例しかない首相の再登板(吉田と安倍)を招いたなど。連立政権時の離党も共通しています。47年民主党は連立相手の社会党が押す臨時石炭鉱業管理法を巡って「社会主義的だ」と反発する保守系が大量離党。98年民主党も野田経験が打ち出した消費税増税に反対する小沢グループなどが大量離党しているのです。

野党時代の分裂と糾合および「敵」大将のワンマン長期政権

【1947年民主党】

 吉田政権と連立すべしと唱える「連立派」と芦田ら「野党派」へ分裂。野党派は連立仲間であった国民協同党と50年に合併して党名を「国民民主党」と改めます。だが結成直後の参院選で改選40を大きく下回る29議席と惨敗。社会主義勢力の農民協同党まで抱き込んで52年に改進党と名称変更するも選挙で党勢は回復できずに低迷が続きます。

 この間(48年~54年)実に2271日も首相であり続けたのが「ワンマン」吉田茂。民主党系は分裂と糾合を繰り出すも支持されないまま雲散霧消も時間の問題とみられていたのです。

【1998年民主党】

 2016年に維新の党と合流して名を「民進党」に改めます。17年には小池百合子東京都知事が結成した希望の党への合流を決断。ところが小池が「全員は受け入れない」とリベラル勢力排除を表明したため該当した枝野幸男らが反発して立憲民主党を結成。そのまま総選挙へなだれ込んで結果は立憲55議席、希望50議席。完全に分裂しました。希望の多くは「国民民主党」結成。

 20年、立憲側から糾合の動きが出て国民ともども一旦解党した上で合流するとなりました。ただ少数派の国民側は党名(結局は「立憲民主党」のまま)などについて異議が出て合流新党に加わらない「国民民主党」が存続するに至ったのです。

 この間(12年~20年)実に2824日も首相であり続けたのが「一強」安倍晋三。新・立憲民主党は今や新興の日本維新の会にも支持率でしばしば逆転されるありさまで選挙結果も振るいません。

【共通点】

 政権転落後、権力を奪還した側に長期政権を許し、必死の糾合活動も虚しく低迷の一途。党名も変わりました。どちらも「国民民主党」が出てくるのが面白いですね。

1947年民主党の後継政党が再び天下取り

 ところが死にそうな体でアップアップしていた1947年民主党(当時は「改進党」)はさらなる無節操を繰り出した結果、一躍「反吉田ワンマン打倒勢力」という善玉に180度転換しました。鳩山一郎の入党です。

 翼協非推薦組にも関わらず公職追放を食らった鳩山は解除後に吉田自由党の衆議院議員として加わるも吉田が委員会答弁で「バカヤロー」と口走ったのを問題視。鳩山派の欠席もあって懲罰委員会への付託動議可決。その後鳩山派は離党。内閣不信任決議案にも賛成して可決。衆議院解散(バカヤロー解散)となりました。

 52年の総選挙で鳩山派は独自に戦って35議席を獲得。選挙後鳩山自身は復党するも三木武吉や河野一郎らは戻らずに小政党「日本自由党」を結成し、鳩山をトップに戴く新勢力作りにまい進します。54年、ついに改進党が納得して鳩山総裁体制の「日本民主党」結成。再度の内閣不信任案可決が現実味を帯び、さしものワンマンも追い詰められて吉田内閣総辞職。鳩山首相が誕生したのです。

 末期には傲岸不遜なイメージが定着していた吉田に対して明るい人柄の鳩山は好感を持って迎えられ、55年の総選挙で「鳩山ブーム」を巻き起こし比較第1党の座を獲得しました。

立憲が返り咲くのに必要な条件とは

 改進党から日本民主党に変わって不死鳥の如く蘇り、政権を奪還した最大の理由は吉田ワンマンに倦んだ与党保守の不満分子(鳩山ら)を大胆に招き入れたのみならずトップにすえたのが最大の理由。と同時に右から左までのごった煮政党の1947年民主党を党名変更しつつ何だかんだと維持したのが勝因であるのも紛れもない事実です。

 これを立憲民主党に当てはめたらどうでしょう。既に「ごった煮政党」を懸命に維持している点は同じ。よく「立憲は左派を切れ」「右派は自民に行け」などと支持層ですら声があがるも愚の骨頂。一定勢力の維持こそ大切です。

 後は自民党の不満分子を引き抜いて頭に据える荒技ができるかどうかとなります。

 吉田ワンマンと異なって「一強」安倍元首相は不慮の死で去るも、亜流とも呼べる菅義偉、岸田文雄内閣と続いているのは似るのです。不満分子もいるでしょう。ただ陣笠をおびき出すのではパワー不足。自民党内で冷や飯を食らっていて国民的人気は高い中堅・ベテランや1993年の細川護熙非自民政権誕生に一役買った羽田グループ(後の新生党)のような勢力誘い出しが欠かせません。

 参考までに今年1月、産経新聞社とFNNが行った「岸田首相の次の首相にふさわしい人はだれか」を尋ねた世論調査では河野太郎デジタル大臣が19・7%でトップ。石破茂元自民党幹事長が15・1%で2位、小泉進次郎元環境相(10・9%)が3位。さて?

十文字学園女子大学非常勤講師

十文字学園女子大学非常勤講師。毎日新聞記者などを経て現在、日本ニュース時事能力検定協会監事などを務める。近著に『政治のしくみがイチからわかる本』『国際関係の基本がイチから分かる本』(いずれも日本実業出版社刊)など。

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