6年前のオークスとそれを観戦し騎手となった少年が武豊と再会して思ったこと
強敵相手でも歯が立たないとは思わなかった理由
2014年5月25日。この日、東京競馬場で行われた優駿牝馬、通称オークス(G1、3歳牝馬、芝2400メートル)では1頭の関西馬が注目を集めていた。牝馬クラシック第一弾の桜花賞(G1)を制してここまで5戦4勝。阪神ジュベナイルフィリーズ(G1)のハナ差2着が唯一の敗戦。強烈な末脚を武器に名牝への道をひた走ると思われていたハープスターだ。単勝は実に1・3倍という圧倒的1番人気に推されていた。
「ハープスターが凄い馬なのは分かっていたけど、全く歯が立たないとは思っていませんでした」
戦前からそう考えていたのが斉藤誠。2番人気のヌーヴォレコルトを送り込んでいた。
古馬になってからはアメリカのブリーダーズCにも挑戦するほどとなったヌーヴォレコルトだが、この時点ではまだ5戦2勝。新馬戦で敗れた後、未勝利、500万条件を連勝したがチューリップ賞(G3)が2着で桜花賞(G1)は3着。いずれもハープスターの後塵を拝していた。2番人気と言っても単勝オッズは9・8倍。先述した通りハープスターは1・3倍だから大きな開きがあった。
それでも斉藤が「歯が立たないとは思っていない」と考えていたのは単なる強がりでも身贔屓でもなかった。「成功は永遠ではないし、失敗は死ではない」と語ったのはスーパーボウルを2度制したドン・シュラ監督だが、斉藤も過去の敗戦の中から勝利を手繰り寄せる術を探っていた。
「チューリップ賞で2馬身半あったハープスターとの差が桜花賞では1馬身に詰まりました。今度は関東エリアの競馬場になるし、連勝した時と同じ左回りに戻るのも好材料。それに距離が1600から2400メートルに延びるのもうちの馬には向くと思いました」
もう一つ、追い風と感じる事があった。先述した通り桜花賞では3着だった。ハープスターの他に前年の2歳女王のレッドリヴェールにも先着を許していたのだが、この2歳女王はオークスを回避してダービーへ矛先を変えた。「怖い存在が1頭減ってくれて、風向きが良くなっている」と斉藤は感じたのだ。
早目先頭から見事、樫の女王へ!
桜花賞を終えて美浦に帰厩したヌーヴォレコルトだが、その後、一旦、山元トレセンに短期放牧をされた。そして、再度、美浦に戻したのだが「これが良かった」と指揮官は述懐する。
「オーナーの進言で放牧しました。短期でしたが帰ってきたらこちらが考えていた以上にふっくらした良い体になっていました」
だからそこから先の調教はハードに出来たと言う。そして、しっかり追ったにもかかわらずオークス当日はそれまでのキャリアで最も重い444キロという体重を記録した。いや、記録出来た。
「だからパドックでは岩田(康誠)君に『自信を持って勝つ競馬をしてください』と告げました」
ヌーヴォレコルトは道中、掛かる素振りも見せたが鞍上になだめられると何とか折り合った。直線入口では馬群が密集する場面もあった。このあたりの心境を斉藤は次のように語った。
「前は壁になるし、横もブロックされていました。ハープスターはいつもより少し早目に進出してきているのも見えていたので、正直『厳しいかな……』と思いました」
指揮官が言うように一度はかなり苦しい位置に押し込まれた。しかし、次の刹那、前が開くと、岩田にいざなわれ、本命馬に先んじて一気に動いた。ラスト200メートルでは先頭に踊り出て、内から伸びて来たバウンスシャッセと大外を追い上げて来たハープスターの追撃を受ける形になった。普段は冷静に見る事が多いという斉藤だが、さすがにこの時は声が出たそうだ。
「『行けぇっ!!』とかそんな事を叫んでいたはずです。最後は直線が凄く長く感じました」
結果、ハープスターにクビ差をつけ、2分25秒8の時計で真っ先にゴールラインを通過。樫の女王の座を射止めた。
「勝ったのは分かりました」
オークスの勝利が一人の少年の背中を押した
ヌーヴォレコルトが先頭でゴールを駆け抜けた直後、斉藤は一人の少年とハイタッチをかわした。斉藤と同じように「直線は叫び続けた」という彼は当時まだ中学生。後にジョッキーとなり、昨年、新人ながら42勝を挙げてJRA賞最多勝利新人騎手賞を獲得した斉藤新。斉藤誠の長男だった。新は父の誠の事を「先生」と呼んで次のように述懐した。
「あの時、先生は結構自信を持っていました。だから家族で見ようという話になって競馬場へ行きました。競馬場でこれがG1だと意識して見たのは自分にとっても初めての経験で、そんな中でヌーヴォレコルトが勝ってくれて、改めて『ジョッキーになるぞ!!』という思いを強くさせてくれるレースでした」
さて、翌15年の暮れ、ヌーヴォレコルトが香港に遠征した際も現地へ行った新はレース当日の夜、父の誠ら関係者に混ざってレストランで食事をした。するとそこに偶然、武豊も来店。挨拶をかわした。
「ジョッキーベイビーズの時、プレゼンターとして来てくださっていました。それ以来でしたけど、変わらずオーラが凄くて、それでいて優しくて人間性も素晴らしい。豊さんみたいなジョッキーになりたいと改めて思いました」
この日、香港カップ(G1)に挑戦したヌーヴォレコルトは2着。彼女の猛追を1馬身差で封じたのがエイシンヒカリで、その鞍上が武豊だった。
いわば宿敵と思わぬ形での再会となり、果たして誠の胸中がいかほどだったのかは分からない。しかし新にとってはそんな思いを想起させる出来事となったのである。ちなみに翌年、アメリカへ遠征したヌーヴォレコルトはその鞍上に武豊を迎えるのだが、それはまた別のお話としていずれ機会があれば記させていただこう。
(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)