W杯にも出場した元Jリーガー 新型コロナの影響で突然解雇、その心境語る
3月19日、スイス1部リーグ所属のシオンが、突如9選手を解雇したという衝撃のニュースが流れた。
シーズン中に所属している選手が契約を解除になることは稀なケースであり、通常はクラブ側と選手側の両者で協議の上、両者の合意を持って行われる。それが、このケースでは、クラブ側からの予告なしの一方的な通知の上に行われた、という状況であり、極めて異例だ。
その背景には新型コロナウイルスの影響も大きく、財政的に苦しかったシオンは、新型コロナウイルスの影響を受けて試合が開催されなくなったことにより、試合の入場料収入が入らなくなり、加えて新規スポンサーの獲得が困難になってきたことで、より財政が圧迫された。
そうした中で、クラブは唐突に選手たちに上限で同国の最低所得の80%程度しか払わないとする給与の減額に同意するようメッセージを送った上、回答期限を翌日正午とした。それに対して、特にもともと給与が高額であり減額幅が大きい選手たちが、話し合いの場を持とうとクラブ側に連絡してもクラブが応じず、実質数時間しかなかった回答期限を過ぎたとしてクラブは一方的に契約解除を通知したようである。
元カメルーン代表アレクサンドル・ソングなどに加えてJリーグでも活躍したあの選手も
柏レイソルや徳島ヴォルティスでもプレーした、元コートジボワール代表で元Jリーガーでもあるセイドゥ・ドゥンビアもその一人だ。
柏レイソルを経て2008年に徳島ヴォルティスでエースとして活躍し、夏に移籍したヤングボーイズ(スイス1部リーグ)で、1年目は先発出場は8試合のみながら20ゴールを記録して得点王に。そして先発出場が増えた2年目は、なんと32試合で30ゴールという驚異的な記録で2年連続得点王と、2年連続のスイスリーグ年間最優秀選手賞も受賞した。その後、CSKAモスクワ(ロシア1部リーグ)やローマ(イタリア セリエA)、ニューカッスル(イングランド プレミアリーグ)などを経てスイスに戻ってきた2016/2017シーズンでも、20ゴールを記録して3度目のスイス1部リーグ得点王に輝いた。
その後、スポルティング(ポルトガル1部リーグ)、ジローナ(スペイン ラ・リーガ)を経て今シーズンからシオンに加入していたドゥンビアの給与は、クラブで1、2を争う給与であったことは想像に難くない。
たしかに高額給与はクラブの負担になっていたかもしれないが、不測の事態に陥っているとはいえ、その給与で今シーズンに選手と契約を締結したのはクラブでもある。そうした中で、選手側と協議することもせず、このように一方的に契約を解除すると通知をしたクラブの行為は、果たして正しいと言えるのだろうか。
突然の通知を受けたドゥンビアは「クラブが判断したこと。クラブの決定に従う。」と甘んじてそれを受け入れ、給与が0の状態がいまも続いている。
「徳島ヴォルティスと柏レイソルのサポーター」
徳島ヴォルティス時代も、苦しいときでも不満を露わにすることなく、実直にトレーニングに励んでいた。苦手な左足のシュート練習にも熱心に取り組んだり、前線からの守備の仕方やチーム戦術など、何事も前向きに一生懸命に取り組んでいる姿は印象深い。
「私が欧州で何度も得点王になったり、W杯にも出場出来たりしたのは、日本での経験があったから。いまの私があるのは間違いなく日本での経験のおかげです。日本は大好きな国でひと時も忘れたことはありません。徳島ヴォルティスでも柏レイソルでもチームの皆もサポーターも皆温かく接してくれ、素晴らしい時間を過ごすことが出来ました。様々な国でプレーしましたが、私の中では世界で最高の国の一つです。」
と、18〜20歳までを過ごした日本への恩義も忘れない上、
「私は徳島ヴォルティスと柏レイソルのサポーターです。」
と言うほど、かつて所属したクラブへの愛着と感謝の気持ちも強い。
この理不尽な出来事をシオンのために受け入れ、クラブと戦う姿勢を見せない強い犠牲心を持ったドゥンビア。このような心意気の選手が犠牲となることが普通となってはならない。
スイスプロサッカー選手会はこの件について「決して容認出来るものではない」という趣旨の文書を提出して抗議している。
新型コロナウイルス感染拡大の影響により、現在試合が行われていないことでクラブは入場料収入がなくなりグッズ販売収入も落ち込む。再開されても当面は無観客試合で行われることが予想されるため、これらの収入は見込めない。仮に試合数が減った場合はリーグから分配される放映権料も減り、露出が減ることでスポンサー企業が減額を要求してくる可能性もある。そして、業績の悪化した企業は来季スポンサーを撤退するかもしれない。「クラブ存続のために」と、クラブ側が主張するのも当然のことでもあるが、どのような対策を講じていくか、そしてその対応の方法は、今後のクラブの行方を占う上でも極めて重要になってくるだろう。
コンサドーレ札幌では選手側から給与の返上を申し出て来たが、野々村社長はその気持ちに感謝した上で、安易にそれを受け取らない方針を表明している。
前例のない危機的状況、クラブと選手は敵ではなく共に乗り越えていく仲間である。クラブ側の一方的な行為は他の選手たちの心もクラブから離れさせ、一体感を欠いたクラブは再開後に勝利を重ねることが出来るのだろうか。
現在の新型コロナウイルス感染拡大の影響による中断期間中のクラブの対応は、リーグ再開後の試合の成績にも大きく影響を及ぼしてくるかもしれない。
日本から学んだメンタリティー
「私たちの手に負えない非常に困難な時代に突入してしまった中、私に出来ることがあれば日本の方々をサポートしたいと思っています。そして、COVID-19感染拡大を防いでいくために我々が可能な限りのバリア対策をし、いつかまたスポーツを楽しめる日が来るように一緒に頑張りましょう。」
と、ドゥンビアは自らが苦しい状況に陥っている中でも日本に対してメッセージをくれた。CSKAモスクワでは本田圭佑と、そしてシオンでは若月大和ともチームメイトであり、日本とも縁深いドゥンビア。日本への愛着は強い。
「ケイスケは私がCSKAに入ったときにすぐにたくさん助けてくれた。彼はとても優しく親切な男で、私は彼から多くのことを学び、一緒に素晴らしい時間を過ごすことが出来ました。ケイスケのビッグクラブでの活躍は当然のこと。」
CSKAモスクワで数多くの歓喜の瞬間を共有した本田圭佑からも多くのことを学び、
「日本では多くのことを学んだが、特に規律を守りチームのために戦うことや常に実直にトレーニングに励むことなどのメンタリティーを学んだ。アフリカの若いサッカー選手たちにも伝えていきたい。」
と言うように日本から受けた影響は大きい。
現在は、家族と過ごしながら人との接触を出来るだけ避け、衛生対策を行った上で、一人で毎日トレーニングに励んでいるという。来るべきときのためにコンディションを維持していると。
驚異的なスピードと類稀な決定力で、欧州の1部リーグで得点王5回(スイス3回、ロシア2回)、年間最優秀選手賞3回(スイス2回、ロシア1回)を受賞。コートジボワール代表としてW杯にも出場し、UEFAチャンピオンズリーグでも通算19ゴール。欧州各国で様々なタイトルを獲得した上、国際舞台でも数々の結果を残しているドゥンビアも、まだ32歳。
「私の土台は間違いなく日本で作られた。」
かつて欧州を震撼させた「日本育ち」の俊足のストライカーの今後の動向に注目が集まる。