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転売騒動も「ポジティブ」に変えた。日本代表・山中亮平、コロナ禍の決意。【ラグビー旬な一問一答】

向風見也ラグビーライター
ワールドカップ日本大会予選最終戦。ラストワンプレーで球を蹴り出し、8強入り。(写真:REX/アフロ)

 ラグビー日本代表として昨年のワールドカップ日本大会に出場した山中亮平は、同大会後から自身の知名度を生かして競技の普及活動に注力している。

『OFF THE FIELD』。大きめのサイズの洋服を販売し、それと同じだけのラグビーボールを作って各地の幼稚園、保育園などへ配る試みだ。競技人気が高まるなかですそ野を広げるための活動だったが、今年で32歳となる同選手にとってはアスリートとしてのモチベーションを高めるきっかけにもなったようだ。5月末までにオンライン取材に応じ、思いを語った。

 以下、単独取材時の一問一答の一部(編集箇所あり)。

――活動を始めたきっかけは。

「ワールドカップが終わってラグビーの人気が出て、興味を持った人がたくさんいた。特にラグビーをやりたいという子どもたちが増えたと思う。このタイミングでよりラグビーに触れて欲しいと考えました。ファンの方たちも、ボールを配るのに協力できる、という感じです。自然と(ラグビーの普及に)協力している形になる。それが一番、皆が喜べるかなと」

――ボールを配ったことへの反応は。

「すでに始まっている幼稚園からは写真も送られてきた。すごく喜んでくれています。始まっていない施設からも『早くこのボールで子どもたちと遊びたい』とメッセージが来ています。サッカーボールは、当たり前にあるじゃないですか。スポーツ店でも、安いものがたくさんある。でも、ラグビーボールは子どもサイズでもしっかりとしたものは意外と高くて、買うまでにはいかないかもしれない。僕も中学2年でラグビーを始めたんですけど、それまではラグビーがどういうスポーツかもわからなかった。だけどいまはだんだんラグビーが認知されて、人気も出てきている。そんななか、子どもたちの近くにラグビーボールがあるのはいいことだと思うんですよね。これを機にラグビーボールに触れる機会をどんどん作れたら。幼稚園ではラグビーボールを送ることで、そのボールを使って遊べたら、(そこにいる子どもたちは)ラグビーに触れたことになる」

――このプロジェクトでは経理も担当しているとか。

「会社の時(神戸製鋼の社員時代)はお金の管理はしていなかったのですが、家のお金の管理も僕がやっているし、自分の性格が細かいんだと思います。わからないですけど。部屋とかもきれいにしています。服もたたんで、靴もきちんと並べる。大事にしたいんで、ものを」

――グラウンド外での活動を通し、学んだことは。

「ファンの方に支えられているなとは、一番感じました。ボールを配ることに共感してくれた方々がトレーナーを買ってくれたおかげて、今回、ボールを1000個も作れているので。支えられていると実感しました」

――それは今後の選手生活に影響しそうですか。

「ワールドカップが終わって次の目標を…というなかでこの活動を始めたからには、子どもたちに夢を持ってもらいたい。そのためには、自分がずっとトップの選手としてやっていかないといけないという気持ちにもなりました。ずっと憧れられる存在になっておかないといけない。その意味では、より一層頑張らないといけない…となりました。まだ、全然、いけると思う。しっかりと4年後(ワールドカップフランス大会)を見ながら、まず目の前のこともやっていきたいと思います」

 東海大仰星高校時代から大器と謳われてきた山中は、早稲田大学在籍時に初の日本代表入りを果たす。しかし神戸製鋼加入後に訪れた2011年、2015年のワールドカップの際は大会メンバー入りを逃していた。初めて夢の舞台に出られたのが、31歳で迎えた日本大会だった。

「逆境」を乗り越えるなかで身に付けたのは、あらゆる出来事を「ポジティブに、面白く切り替える」という着想だ。日本大会後に起きた出来事に触れながら、こう話を広げた。

――街で求められてサインを書いたスマートフォンケースが、インターネット上で転売されたことがありました。すると山中選手は、それと同じ形のスマートフォンケースを大量に購入。サインを書いてプレゼント抽選会をおこないました。

「あれは逆においしくしよう、プラスに変えようと考えて、次の日に行動しただけです。思いついたものは、すぐにやるようにしています」

――そのように逆境をプラスに転じる考えは、昔から持っていた。

「ワールドカップに出て知名度が上がってから、サイン転売のようなことが起き始めた。ただ、(それ以前から)逆境はいっぱいあった。それをポジティブに、面白く切り替えるという考え方は昔から持っていたかもしれないです」

――逆境にめげない。ラグビーがしづらかった20代前半の頃も、当時の日本代表の戦術をメンバーに選ばれていた神戸製鋼の同僚選手にヒアリングしていたようです。

「よく覚えていますね。その話、僕が忘れてました。確かにありましたね。あの頃は逆境というより、ただ上に上がるしかなかった。ラグビーの勉強は、していました。転売の話もそうですが、何でもマイナスで終わりたくないですよね。より、自分にとってよくて、皆にとっても楽しんでもらえるようにしたらいいかな、と考えるようにしています」

――家から外へ出づらいいまの状況も、ポジティブに捉えたい。

「去年まではサンウルブズ(スーパーラグビーの日本チーム)、ワールドカップとずっとラグビーばかりで、こういう(現在のような)時間ってなかったんで、これはこれで有意義には過ごせています。やりたいことをしたり、ラグビー以外のことを考えたりすることもできますし、いい時間にはなっています。いまはラグビーをすることはできないですけど、ファンの方に色んな形で楽しんでもらえるように考えたい。それで、ラグビーが始まったら、日本代表、トップリーグで活躍できるように、楽しんでもらえるようなプレーをやっていきたいです」

 ワールドカップ日本大会に伴うブームも無駄にしたくないからと、日本中の子どもたちにボールという名の種をまいた山中。サインを書いた品が転売された事態も、コロナ禍も、決して「マイナス」のままでは終わらせない。

ラグビーライター

1982年、富山県生まれ。成城大学文芸学部芸術学科卒。2006年に独立し、おもにラグビーのリポートやコラムを「ラグビーマガジン」「ラグビーリパブリック」「FRIDAY DIGITAL」などに寄稿。ラグビー技術本の構成やトークイベントの企画・司会もおこなう。著書に『ジャパンのために 日本ラグビー9人の肖像』(論創社)『サンウルブズの挑戦 スーパーラグビー――闘う狼たちの記録』(双葉社)。共著に『ラグビー・エクスプレス イングランド経由日本行き』(双葉社)など。

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