「時短ハラスメント(ジタハラ)」が起きる会社2つの特徴
流行語大賞にノミネートされた「時短ハラスメント(ジタハラ)」
先日、「2018ユーキャン新語・流行語大賞」のノミネート30語が発表されました。私が開発した造語「時短ハラスメント(ジタハラ)」が30語の中に入っており、感慨深いというか、複雑な気分を味わっています。
私が2016年12月に日本企業が直面する新たなリスク ~「時短ハラスメント(ジタハラ)」の実態という記事を書いたときは、ここまで「時短ハラスメント(ジタハラ)」という言葉が広まるとは考えてもみませんでした。
なぜなら、なんだかんだ言って日本人は真面目で、経営者や間接部門の長が、現場に「残業削減」を強要するケースは稀なパターンに限ると想像していたからです。
しかし、この言葉を世に出してから2年。瞬く間にこの「時短ハラスメント(ジタハラ)」という言葉は広まり、各種機関でも実態調査が行われるほどになっています。私も多くのメディアから取材を受けました。
結局のところ、現場感覚の乏しい経営者が多いという実態が、イヤというほど明らかになった2年だったとも言えます。
「ROE至上主義」の罠
たとえば「ROE経営」という言葉があります。ROE(自己資本利益率)を重要指標として経営をする考え方です。他人資本(負債)ではなく、自己資本を使ってどれぐらい利益を出したのかという投資効率を測る指標ですから、非常に重要な経営指標であることは言うまでもありません。
しかしROEを意識しすぎると、本来なら利益を増やしてROEを上げようとするところを、自己資本を減らして達成しようとする経営者も出てきます。
利益を出すのは簡単ではありません。しかし会社の資本を減らすことは、意外と簡単にできてしまいます。人件費や設備・開発投資を削るのです。不採算部門を売却してROEを高め、企業価値を高めることもできます。
しかし当然のことながら、このような超短期的な視点でROEを上げようとすれば、企業の体力は失われていきます。「株主」を意識しすぎる経営者が、このような安直な経営をしてしまうものです。
「生産性至上主義」の罠
時短ハラスメント(ジタハラ)も、同様な論理で組織を疲弊させていきます。
世の中、猫も杓子も「働き方改革」「ワークライフバランス」「生産性」「時短」……。ROEという指標と同じように、「生産性」という言葉が独り歩きしています。
しかし、生産性を上げるには、まず成果を最大化させることが絶対に先です。ROE経営と同じ。分母と分子のどちらに注目するか、に掛かっています。資本なのか利益なのか。労働時間なのか、成果なのか。
成果を上げるために投下したコスト(時間、お金、労力など)に対して、どれだけのリターンを上げたのかが「生産性」の指標です。
時間を減らすことが生産性を上げるための唯一の方法だと勘違いしている人が、世の中どれほど多いことか!
成果を上げるためのコスト――労働時間を安直に減らせば、短期的には生産性が上がりますが、中長期的に見たら間違いなく組織を疲弊させていきます。
「時短ハラスメント(ジタハラ)」は、労働時間を減らして生産性を上げようとする管理者と、成果を上げて生産性を上げようとする現場担当者とのあいだに起こる摩擦が引き起こしていると言えるでしょう。
「時短ハラスメント(ジタハラ)」が起こる2つの特徴
マニュアル化・システム化によって、ベテラン社員と同じような水準の仕事ができるようになる「マニュアルワーカー」は、残念ながらAIやRPAの技術進歩にしたがって、次第に必要とされなくなります。
経験や知識を豊富に取り入れ、熟達することによって仕事の精度が上がるような「ナレッジワーカー」の仕事が、今後は人間に求められていくのです。つまり、「すぐに労働時間を削ることが可能な仕事」など、人間がやる仕事ではなくなっていく、ということです。
したがって安直に労働時間を削れば、副作用が出るのはあたりまえ。社歴・経験の浅い人はいつまで経っても育ちません。会社が必要としている人材像にならないのです。若い人が成長の実感を得ることはなく、「働きがい」を覚えることもなくなっていくことでしょう。
また、世界的に見ても、事業のライフサイクルは過去と比較して明らかに短くなっています。常に新しい事業を開発する力がないと、企業は永続していくことができない時代に突入しています。新規事業も人材と同じ。丁寧に育てていかないと、キチンと花を咲かせることはできません。
したがって、新しい人材が必要とされる企業、新しい事業を起ち上げるのが急務な企業は、「時短ハラスメント(ジタハラ)」が起こりやすいと考えたほうがいいでしょう。
恒常的に労働時間の多い職場はいけませんが、正しく企業を成長させるためには、安易な時短をしないこと。お金と同様、労働時間も大事な「自己資本」だからです。
正しく現場と向き合い、それらの資本を、どこにバランスよく配分するのか、企業にはきめ細かな判断が求められています。