監督から「大野雄大二世になれ!」 センバツで飛躍誓う京都外大西の好左腕・田中
京都外大西が、東京五輪金メダリスト・大野雄大(35=中日)を擁した2006(平成18)年以来、18年ぶりに春の甲子園へ帰ってくる。昨秋、大躍進の原動力となったのが左腕・田中遥音(はると・2年=タイトル写真)だ。175センチ64キロとスリムだが、写真からもわかるように、手足の長い投手らしい体つきをしている。
「大野みたいになれるぞ」と上羽監督
田中は同校には珍しい愛知県の出身で、愛知や関西の強豪への入学がかなわず、中3の秋に少年野球の指導者の伝手を頼って、上羽功晃監督(54)を紹介された。上羽監督は直感的に「器用な子だな」と思い、入学を勧めた。その時の決めゼリフがタイトルの「大野二世になれ」だ。正確には「大野みたいになれるぞ」だったそうだが、上羽監督は「これは」と思った左腕投手には、「いつもこの言葉を言っている」と苦笑いしていた。
愛知出身の田中は大野の母校とは知らず
愛知が地元の田中自身は、中日のエースを「すごい投手だ」と思っていたが、上羽監督から言われるまで、大野が京都外大西の出身だということは知らなかった。それでも中学時代に二段モーションで投げていたことから、少年野球の関係者から「投げ方が似ている」と言われたことがあり、「すごいつながりだな」と不思議な縁を感じたと言う。ただ184センチの大野とは違い、まだまだ投球に力強さはない。「球速もないし、大野さんとはタイプが違う」と、田中自身は冷静な分析をしている。
大野とは対照的に器用な田中
指導する上羽監督は「牽制やフィールディングなどもうまいし、何をやらせてもすぐできる。野球センスがある」と田中の長所を挙げ、「高校時代は馬力だけ。むちゃくちゃスタミナはあったが不器用だった」という大野とは対照的だと話す。
田中は昨夏4回戦、京都国際との試合で救援登板した際、1回持たずにKOされた。それまで「見ていなかったらサボっていた」(上羽監督)練習も、自らの課題と向き合い、積極的にやるようになったそうだ。秋の京都大会では準決勝、決勝で初めて連投を経験。「疲れていたはずなのに準決勝よりいい投球だったし、何かつかんだと思う」と上羽監督も絶賛の2試合連続完投で、京都国際に夏のリベンジも果たした。
練習前にグラウンドまでの急勾配を駆け上がる
京都の秋を26年ぶりに制し、続く近畿大会でも大阪桐蔭に肉薄しての準優勝は、田中の左腕なくしてありえなかった。
それでも上羽監督は「夏まで30点くらい。今は60点」と、まだまだ厳しい。同校には練習前に、標高が400メートルを超える西山グラウンドまで、麓からランニングで駆け上がる過酷なメニューがある。上羽監督の現役時代から続く伝統もあり、監督自身もごみ拾いをしながら、同じルートを徒歩で登っている。もちろん大野も例外ではなかった。
「体づくり」が田中の当面の課題
「大野は目いっぱい練習しても、遊びに行けるくらいの体力があった」と、偉大な教え子を懐かしむ上羽監督は、田中の当面の課題として「体づくり」を挙げた。大野は、佛教大に進んでからさまざまな技術を身につけた。田中には技術がある。「今はまだやらされている状態。自分の体のことを知って、自分からやらないと」と、田中に注文をつけた。田中自身も「理想はバッタバッタと三振を取りたい。真っすぐで空振りが取れるように」と話し、厳しい体力トレーニングに精を出している。秋はカーブやチェンジアップとのコンビネーションで打ち取っていたが、まずは自己最速の135キロ更新が目標だ。
「大野二世」が輝きを放てるか
大野がエースとして出場した18年前のセンバツは、初戦で敗れた。開幕まであと4週間と迫ったセンバツは、偉大な先輩に一歩でも近づくための大きなチャンスになる。「この学校に来て、本当に良かった。エースになれたし甲子園にもいける」と、田中は感慨深そうに話した。夏を含めても14年ぶりの甲子園。勝ち星も、07(平成19)年夏を最後に遠ざかっている。「大野二世」の左腕が唸りを上げる時、京都外大西が往時の輝きを取り戻すはずだ。