【京都市】東山区 インド伝来の修法『楊枝のお加持』と「通し矢」開催中の『三十三間堂』が無料開放!
京都駅からも近いので、よく海外からのVIPのお客様をご案内させてもらっている『三十三間堂』さん。
日本映画やドラマ、時代劇などで「高津商会」の小道具たちとともに撮影が頻繁に行われる場所でもあります。
「三十三間堂」は、京都市東山区三十三間堂廻町にある天台宗の寺院です。
正式名称は蓮華王院本堂(れんげおういんほんどう)。
2024年は1月14日は20歳の若者らが晴れ着姿で「弓」の腕前を披露する「通し矢」が9:00~15:30行われています。
「通し矢」は、江戸時代の「通し矢」にちなむ大会で、全国から二千人が参加し、新成人の晴れ着姿での競技は、正月ならではの華やかさがあります。
全国から二千人が参加する晴れ着姿の若者たちだけでなく、毎年この時期になると「楊枝のお加持」(楊枝浄水供結願大法要)も行われています。
創建の平安期のものと、湛慶らが中心となった再建の鎌倉期のものが混在する
木造千手観音立像蓮華王院(三十三間堂)にある国宝彫刻たちがこの日は無料開放されます。
堂内中央には、鎌倉時代の仏師湛慶作の本尊千手観音坐像を安置。
堂内には圧巻の1001体もの観音像がまつられることで知られていますね。
内陣の柱間が三十三あるところから「三十三間堂」と通称されているそう。また蓮華王院の名称は千手観音の別称「蓮華王」からと伝わります。
「33」という数字は、「観音菩薩」に縁のある数字。
『法華経』等に観音菩薩が33種の姿に変じて衆生を救うと説かれることによります。
お堂の真ん中に千手観音さまが御鎮座され、そこで頭痛封じと無病息災を祈る伝統行事である「楊枝のお加持」が行われています。
高層により7日の間、観音様に祈願した法水をやなぎ(楊枝)の枝で参詣者にそそぎ、無病息災を祈願します。
毎年、私たちも家族で祈願に伺わせていただいてます。
インド伝来の修法で、平安時代からの伝統を持つという三十三間堂最重要の法要である「楊枝浄水供結願大法要」。
三十三間堂の開山である「後白河院」ゆかりの特別な法要だと伝わります。
「日は永し、三十三間堂長し」と、あの夏目漱石も感嘆の声を挙げた本堂は圧巻!
長寛2年(1164)、後白河上皇の法住寺殿の一画に平清盛が建立したのがはじまり。
洛陽三十三所観音霊場第17番札所。
その後白河上皇の御陵も三十三間堂向かえにあります。
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「日本一の大天狗」と呼ばれた『後白河法皇御陵』で平安後期の歴史を感じる!
源平の戦乱に巻き込まれ、平氏と源氏を両天秤にかけ長期政権を握った実力派法皇である後白河法皇。
後白河法皇ゆかりの「法住寺」では、無病息災「大根焚き」も行われています。
こちらも毎年参拝させていただいております。
過去関連記事をご参照ください→
後白河法皇ゆかりの『法住寺』で無病息災「大根焚き」&後白河法皇御尊像の特別御開扉♪
「三十三間堂」(楊枝浄水供結願大法要)では、三十三間堂のお土産に、特製楊枝(ようじ)が売られていたり、国宝の千手観音坐像前ではお香も授与されていました。
お香の十徳が書かれていました。
また「三十三間堂」に鎮座されている「木造二十八部衆立像28躯」や「木造風神雷神像2躯」も国宝。
木造二十八部衆立像28躯は、像高150~170cmと頭身程度の大きさで、鎌倉時代に作られた、寄木造り・玉眼で彩色がされています。
二十八部衆は、おおむねインドのバラモン教の神々に起源があり、千手観音の眷属であり、千手観音を信仰する者を守護するとされています。
難陀龍王(『千手経』の受持者を守る龍王)、娑伽羅龍王(「興福寺」では八部衆の「竜」に相当)、伊鉢羅(『千手経』の受持者を守護する龍王)、など今年の干支である辰に関連した二十八部衆もいらっしゃいましたよ!
「高津商会」でもご縁をいただいている奈良の「興福寺」の国宝館に鎮座されている「五部浄居(ごぶじょうご)」が象さんが頭に乗っかってらっしゃることで気になっていたのですが、「三十三間堂」さんにも五部浄居(金色孔雀王)がいらっしゃって「興福寺」では八部衆の「天」に相当、と書かれていました。
毎年、年に数回はお参りさせていただいているのですが、参拝するたびにご縁が深まり、学びが絶えず興奮が増すばかりです♪
三十三間堂
〒605-0941 京都府京都市東山区三十三間堂廻町657