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82歳でオスカー最有力。アンソニー・ホプキンスが演じる認知症の恐怖がリアルな理由

清藤秀人映画ライター/コメンテーター
サー・アンソニー・ホプキンス(写真:REX/アフロ)

2ヶ月プッシュバックされた来年のオスカーナイト。その影響は。

 9月19日にトロント国際映画祭が閉幕し、例年なら年度末のアカデミー賞に向けて賞レースはヒートアップするシーズンだが、今年は新型コロナウイルスの影響で空気が少し違う。何しろ、2021年のアカデミー賞授賞式が例年より2ヶ月もプッシュバックされ、開催日は4月25日に決まっているからだ。この変更に伴い、アカデミー賞候補の資格を持つ作品の公開期間が、2020年1月から2021年2月28日までの14ヶ月間に延長されたのはいいとして、その間、劇場に観客が戻ってくる確約はないし、何よりも間延びしてしまう感じは否めないのだ。

 

 その結果がオスカーの行方を大きく左右する映画祭の状況はどうか。まず、5月のカンヌ映画祭ではコンペティションが中止され、9月初旬のテルライド映画祭も中止が決定。ニューヨーク映画祭も縮小された。結果、9月2日から例年通りの開催に踏み切ったベネチア国際映画祭と、規模が縮小されたとは言え、オンラインでのデジタル上映をはじめ4つの方法での上映が試みられたトロント国際映画祭の受賞結果が、例年にも増して賞レースに影響を与えそうな気配だ。そこで、現時点での有力候補をざっと紹介しよう。

今年の賞レースの主役は女性監督か?

 作品賞、監督賞(クロエ・ジャオ)、主演女優賞(このカテゴライズ自体が消滅するかもしれないが、フランシス・マクドーマンド)のフロントランナーは、ベネチアの金獅子賞とトロントの観客賞に輝いた『ノマドランド』(今年の東京国際映画祭で上映決定)。今更だがトロントの観客賞はオスカーに直結するケースが多く、去年も『パラサイト 半地下の家族』(19)が同じ道を辿った。『ノマドランド』はマクドーマンド演じる流浪の日雇い労働者を通して、大不況時代を生きる忘れられた人々や社会的弱者にカメラを向けるジャオの詩的で乾いたタッチが高く評価されている。そのジャオと監督賞を競い合いそうなのが、『ビール・ストリートの恋人たち』(18)でアカデミー助演女優賞に輝いているレジーナ・キングだ。彼女の監督デビュー作『One Night in Miami』は、1964年2月25日、後にモハメド・アリに改名するカシアス・クレイが、マイアミで行われたボクシング試合で大方の予想を裏切り、ソニー・リートンを倒して世界ヘビー級王座を獲得した夜の物語。当時の人種隔離政策により会場からの退避を命じられたクレイが、マイアミのモーテルで親友のマルコムXや歌手のサム・クック、アメリカンフットボールのスター選手、ジム・ブラウンと落ち合い、未来を誓い合う姿を、キングは現代の観客に希望とプライドを託すが如く描いている。クロエ・ジャオとレジーナ・キング。彼女たちの存在が来年4月まで鮮度を維持していたら、”女性監督”という用語自体が意味を持たなくなるかもしれない。

コロナ禍の切り込み隊長『TENET テネット』の評価は?

『ノマドランド』と『One Night in Miami』以外の多くはまだ公開されていないので、以下は期待度で何本か選んでみた。まず、デヴィッド・フィンチャーが映画史に残る傑作『市民ケーン』(41)の脚本を執筆したハーマン・J・マンキーウィッツが、製作中に監督のオーソン・ウェルズといかに対峙したかを描く『Mank/マンク』(Netflixより近日配信開始予定)、ウェス・アンダーソンの『ザ・フレンチ・ディスパッチ』(来年公開予定)、『ソーシャル・ネットワーク』でアカデミー脚色賞を受賞しているアーロン・ソーキンが、ベトナム戦争の抗議デモを企てた罪で逮捕され、起訴された7人の男たち( シカゴ・セブン)の法廷を再現する『シカゴ7裁判』(Netflixで10月16日より配信開始)あたりが候補入り有力と見られる。コロナ禍にいち早く打って出たクリストファー・ノーランの『TENETテネット』をアカデミー協会がどう評価するかも、今年の見どころの一つだ。

早くも主演男優賞で本命視されるアンソニー・ホプキンス

 そんな中、すでに多くのメディアが圧倒的多数で主演男優賞の本命に挙げているのが、『The Father』のアンソニー・ホプキンスだ。本コラムの主人公である。2012年にパリで上演された舞台で演出を担当した41歳のフランス人、フローリアン・ゼレールが監督し、同作がイギリスで上演された時に台本を翻訳したクリストファー・ハンプトンとゼレールが共同で執筆した脚本に基づく映画は、何よりもその視点が画期的だ。認知症の主人公がいつもとは異なる言動をするようになる様子を、他者ではなく、本人の視点で描いているからだ。言わば主観映像である。80歳のアンソニー(ホプキンス)は娘のアン(オリヴィア・コールマン)が目の前で突然別人になってしまったことに驚き、住み慣れたアパートの内装が一瞬にして変わっていることに戸惑う。そうして、自分の存在価値そのものに疑問を抱き始めるアンソニーを介して、認知症がもたらす日々の恐怖と衝撃を当事者の視覚を用いて描き切った映画は、今年1月のサンダンス映画祭で上映された際、かつて同映画祭で注目された『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』(99)や『ゲット・アウト』(17)や『ヘレディタリー/継承』(18)にも勝る”骨の髄に染み渡る恐怖についての映画”として喝采を浴びている。

 そして、今年のトロント国際映画祭でトリビュート賞を授与されたホプキンスは、自分が実際に見て、感じたことを合理的に説明しようとするアンソニーの凄絶で物悲しい姿を、特にその目の表情で訴えかけて、観客のハートを見事に射止めている。今年の大晦日に83歳になるホプキンスはアンソニーとほぼ同年代。トロント映画祭が企画したオリヴィア・コールマンを交えてのオンライン・トークセッションで役作りについて聞かれた際、「何も抵抗はなかったし、演じていて本当に楽しかった」と応えている彼の屈託のなさは、ベテラン独特の自信の証。『羊たちの沈黙』(91)のレクター博士役でアカデミー主演男優賞に輝いたアンソニー・ホプキンスが、30年後、またも観客を震撼させ、同時に魅了する演技で2度目の栄冠に輝いたとしたら、凄くユニークだし、楽しいと思うのだが、さて。

映画ライター/コメンテーター

アパレル業界から映画ライターに転身。1987年、オードリー・ヘプバーンにインタビューする機会に恵まれる。著書に「オードリーに学ぶおしゃれ練習帳」(近代映画社・刊)ほか。また、監修として「オードリー・ヘプバーンという生き方」「オードリー・ヘプバーン永遠の言葉120」(共に宝島社・刊)。映画.com、文春オンライン、CINEMORE、MOVIE WALKER PRESS、劇場用パンフレット等にレビューを執筆、Safari オンラインにファッション・コラムを執筆。

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