サッカーボールで運命を切り拓く少女たちーー映画「スナカリ」
2017年2月11日から17日まで、横浜のみなとみらい(※)で開催されている「ヨコハマ・フットボール映画祭2017」。
ここで上映されている、「スナカリ」という作品が気になっていたので、さっそく観てきた。
(「スナカリ」予告編)
この作品は、サッカーを通じて、少女たちが運命を切り拓くドキュメンタリーである。だが、サッカーを愛する少年や少女が、夢を叶えてプロになるサクセス・ストーリーとは一線を画している。
描かれているのは、ネパールの最も辺境の地で、極貧地域と言われる山岳地帯に暮らす少女たちの、ありのままの生活と、伝統に沿った生き様だ。
その背景があればこそ、一つのボールが少女たちの運命を変えていく中で「サッカーが持つ力」が浮き彫りになっていく。
手がけたのは、カトマンズ在住のBhojraj Bhat監督。本作は、世界中の山岳映画祭で、最優秀ドキュメンタリー賞を含む14もの賞を受けており、注目を集めている。
【サッカーボールで運命を切り拓く少女たち】
100を超える民族が共生するネパールで、山岳地帯では特にヒンドゥー教やカースト制(※)に加えて封建的な風土や伝統もあり、女性の社会的地位は低い。
中でも、作品の舞台となるムグ郡は、食糧不足で生活も苦しく、教育の質も十分とは言えない。2011年の統計によると、ムグ郡の女性の識字率はわずか9%。15歳から19歳の女性のうち63%が結婚している。2014年の段階で、女性の平均寿命は40歳に届いていない。
少女たちは普段、家畜の山羊の面倒を見て家計を支えている。唯一の楽しみは、家畜のエサを友達と一緒に集めに行く時に、こっそりボールを蹴って遊ぶことだ。
冬は雪に覆われた地面に木の棒を立ててゴールを作り、デコボコの雪面で、ボールを蹴って楽しむ。平らな場所はなく、強くボールを蹴ろうものなら、数百メートル下の崖にボールが落ちていってしまうこともある。練習が終わると、雪に塩を混ぜて食べ、汗で失われた塩分を補給する。
この少女たちは、まさに「結婚適齢期」直前の14歳。そんな彼女たちが、自分たちの運命を切り拓くきっかけとなったのが、数百キロ離れたカイラリ郡で開催される女子サッカー大会だった。
そして、この大会のために結成されたムグ郡の少女たちによる「チーム・ムグ」のメンバーのうちの1人が、この映画のタイトルにもなっている「スナカリ」という少女である。
サッカーボールを蹴って無邪気に笑うスナカリの笑顔は、14歳の少女そのもの。
だが、ふとした時に彼女が見せる表情は大人びていて、瞳はまるで、人生のあらゆる悲喜憂苦を知っているかのような深い色をたたえている。
そんなスナカリは、そう遠くない未来に嫁がなければならないという運命を受け入れながらも、その運命を変えるきっかけを探していたのだろう。
※「カースト制」
ヒンドゥー教における身分制度のこと。バラモン(司祭)、クシャトリア(王族・武士)、ヴァイジャ(平民)、シュードラ(奴隷)、アチュート(人間あつかいされない人々)から構成される。
【初めて知った敗北の悔しさ】
ネパールの山岳地帯において、14歳の少女が親元を離れるというのは大変なことである。大会に向けて、郡を挙げてチームを編成し、遠征することになった時、コーチが少女たちの親を一人ひとり説得していくシーンは強烈なインパクトがあった。
「それは許可できません」
娘の遠征を許したら、山羊の面倒を誰が見るのか。
勉強は遅れるし、試験に落ちたらどうするのか。
お金にもならない。ケガをするかもしれない。
母親たちが口にする悩みは切実で、子を持つ親としては世界共通の悩みといえる。 一方で、「娘がどこかに売られてしまったらどうするのか」という、日本では考えられない不安を口にする親もいた。
それでもコーチは粘り強く、
「何かあれば全て責任を取ります」
と、誓約書を見せてなんとか説得に成功し、少女たちは大会に参加できるようになった。そして、彼女たちは初めて家を離れることとなった。
「チーム・ムグ」は、練習をかねて、まずは親善試合に参加した後、本大会に臨むことに。親善試合は、チームにとって初の遠征となった。
移動は徒歩である。それも、歩くのは標高4,200mを超える険しい山道。2日間歩いてようやくたどり着いた末、疲労でパンパンになった脚で試合に臨み、親善試合は、2-2の末にPK戦で敗れてしまった。
少女たちは、控室の床に突っ伏して泣きじゃくる。
「失望することはない。勝者と敗者がいるのだから」
と、コーチが慰めた。
だが、この敗戦による悔しさは、彼女たちに新たな価値観をもたらすきっかけになった。負けて「悔しい」という、生まれて初めて感じた気持ちが、「勝利を掴み取りたい」という強い気持ちに昇華したのだ。それは、伝統やしきたりによってあらかじめ決められた自分たちの運命さえも、自分たちの努力によって変えられるのではないかという希望につながる大きな一歩を踏み出した瞬間でもあった。
試合後は、熱戦を交えた相手チームの選手と触れ合い、「(2日間の移動で疲れていたので)もう1日休みがあれば勝てたはずなのに」などと、強がりを言って笑って見せた。
もちろん、他の郡の少女たちと触れ合うことも初めての経験だ。
少女たちは生まれて初めての敗戦を乗り越え、サッカーが教えてくれる様々な感情を知り、これまで閉ざされてきた外の世界を知ることで、大人への階段を上がり、成長したように見えた。その人間的な成長が、スクリーンを通じて手に取るように伝わってくる。
【大会で優勝し、村の”メッシ”的存在に】
そして、いよいよ大会本番。チームはムグ郡から2日間かけて、牛車や人力車、そして小さなプロペラ機を乗り継いで開催地のカイラリ郡へと向かう。
砂ぼこりが巻き上がるグラウンドで、チーム・ムグは1試合1試合勝ち上がり、大勢のファンを味方につけて、ついに優勝を勝ち獲る。中でも、エースストライカーのスナカリが見せる活躍は必見だ。
娘たちの帰りを待つムグ郡では、優勝したチームを盛大に迎える準備が整っていた。
「郡の誇りだ」
人々は少女たちに最大限の敬意を表して、歩かないで村に帰れるように馬を用意し、大会で最優秀選手賞を獲得したスナカリを「ムグのメッシだ!」と称賛する。
「チーム・ムグ」の活躍は、郡の中で男女平等を唱える声が上がるきっかけとなり、女性たちに勇気を与えていく。少女たちの結婚適齢期は20〜22歳に上がる可能性もあるという。
昨今は、国家同士の政治的な思惑が試合会場でのヘイトスピーチを助長したり、反移民政策によって特定の国籍を持つアスリートが弾き出されるなど、政治とスポーツが残念な形で結びつくニュースが少なくない。そんな中で、この作品は、スポーツが政治を、みんなが希望を持てる方向へ変えた良いケースと言える。私は映画を鑑賞した後、なんとも清々しい気持ちになった。
低予算の中で作られた作品だからか、約1時間と短く、オープニングとエンドクレジットはない。映像は粗く、終わり方も唐突で、翻訳にも雑な部分が目立つ。
だが、この作品の本質を考えれば、それらは些末(さまつ)なことにも思える。
映像にならなければ、おそらく一生知る機会がなかったであろう辺境の地で、彼女たちの生活に密着し、少数民族の女性たちが抱える過酷な運命や葛藤を追い、サッカーで運命を切り拓いた少女たちの、あまりにもドラマチックな「事実」。
それは、年齢や性別を超えて、作品を見る多くの人の心を捉えるに違いない。
残念ながらヨコハマ・フットボール映画祭での「スナカリ」の上映は13日で終了してしまったが、引き続き、この作品が見られる機会が増えることに期待したい。
※ブリリアショートショートシアター(みなとみらい)にて2月11日〜17日まで開催中