牛乳石鹸CM炎上問題で考えるYouTube広告と家族・ジェンダー・企業社会
「牛乳石鹸、よい石鹸」
強力なキャッチコピーだと思う。43歳なった今でも、思わず口ずさんでしまう。「チラシ寿司なら、このすし太郎」「美味いんだなぁ、これが」「大人になったら、黒ラベル」「三時のおやつは文明堂」同様、耳にこびりついているコピーだ。
その牛乳石鹸のCMが炎上していた。石鹸CMが席巻。叩く世間。
ゴミ捨てを嫌がる様子、子供の誕生日でプレゼントやケーキまで食べるが、後輩のミスをフォローする、家からの電話も無視・・・。「さ、洗い流そ」という唐突なコピー。ところどころに、黙って働き背中を見せていた親父への憧憬・・・。
あぁ、またかという感じだ。このように、家庭、父親、母親に対する違和感があるようなものとYouTubeという組み合わせは燃えるのだ。家庭・家族像をめぐっては、理想も現実も、世代間、本人の価値観などによって分断しており、噛み合わない。そこで男尊女卑的な要素、昭和的(だと言われている)な家族への憧憬などが含まれると、燃えてしまうのだ。
もっとも、このCMに関しては、例のオムツCMの炎上劇などとはまた違うツッコミどころがある。率直に「稚拙」だということだ。低予算で作られたインディーズバンドのPVや、大学の学園祭で映像サークルがつくる作品(?)のように思えてしまった。なんというか、つくりが雑すぎるというか。
主人公の会社員にしても、その父親にしても、ファンタジーのように思えた。特に主人公の父親に関しては、実際の父親ではなく、ドラマの父親像なのではないかと思えてしまう。昭和の時代の中でもいつの父親なのだろう。
まるで、上野駅で売っている「おふくろの味弁当」のように思えてしまった。記憶が書き換えられているというか。「母ちゃん、こんな弁当、作ってねえし」的な。
もっとも、何かとモノを言いづらい中、世間の父親が悩んでいることを「代弁」しようと努力した後は伺える。最新作『なぜ、残業はなくならないのか』(祥伝社)でも指摘したが、日本の男性正社員は仕事の絶対量が多いわけで。ネットではゴミ捨てを嫌がるな的なコメントがあったが、会社という戦場に向かう際には、些細な家事だとは分かっていても何かこう嫌な思いはするわけで。家庭から解き放たれて、のびのびと働きたい衝動だってあるのだろう。
ただ、率直にここも世の中の家庭像が分断している中、カスタマーのインサイトの掘り下げが雑で。何かこう、筋の悪いドラマを見せられているかのようになってしまった。「あぁ、言ってくれた」という感もなく。
一方、公開されてから2ヶ月経ってから燃えたというのも不可解だ。YouTubeならではの現象だとも言える。YouTubeCMはバズることが目的化されてしまい。一方、みんなが見るので、粗探し合戦になってしまう。燃えたというか、燃やしたというか。
いや、CMには公共性がある。嫌なら見るなと言いつつ、見えてしまう。YouTubeCMだって目に触れることはあるわけだ。だから、どれだけの覚悟で作ったのかというのが問われるのだけど。
一方で、このように、まるでフィギュアスケートを三回転半が決まったかどうかや、ミスをしなかったかどうかで判断するかのように、粗探しをするのもどうかと思うのだが。別に道徳番組でもあるまい。
今後も、家族像とYouTubeという組み合わせで炎上は続くのだろう。いや、燃やすことの目的化はよくないが、とはいえ、企業が本当に伝えたいことがあるなら、主張し続けろとしか言いようがない。ただ、今回のは覚悟も、実際の表現もいまいちだった。
いずれにせよ家族CMは難易度が高いぞ。いや、子供が生まれるまでは、子供が出て来るだけで辛かった。今後も、十分に視聴者のお気持ちを忖度しなくては、様々なクレームと闘うのだろう、この手のCMは。
さ、洗い流そ。
まぁ、私は高校くらいからボディソープ派なんだけどね。