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PL学園、”最後”の夏 終わる

森本栄浩毎日放送アナウンサー
PL「最後」の夏は、あと一歩及ばず。高校球界の名門の歴史は静かに幕を下ろした

あのPLが高校野球の表舞台から姿を消す。

開会式では大きな拍手。「改めてすごい高校でやっているんだと思った」と校旗を持つ梅田主将
開会式では大きな拍手。「改めてすごい高校でやっているんだと思った」と校旗を持つ梅田主将

その日がついにやってきた。かねてから野球部の休部を宣言し、新入部員の募集を停止していた名門は、『前言撤回』を祈る周囲の声をよそに、敷かれたレールの上を淡々と走りきった。甲子園96勝(歴代3位)、優勝7回という輝かしい成績。史上最多の81人ものプロ選手を送り出し、球界に果たした役割は計り知れない。「最後」の試合は、部員11人、大阪大会初戦(2回戦)敗退という寂しいものではあったが、試合内容は「さすがPL」とファンをうならせるものであった。

序盤の劣勢を耐える前半

相手の東大阪大柏原は5年前の夏の大阪代表であり、今春の府大会でも8強に入っている。今チームだけを比較すれば、秋、春とも初戦負けのPLよりも「格上」ということになる。詰め掛けたOBからも、「7回までやらせてもらえるか」という声が漏れる。それでも先攻のPLは、初回に2死満塁から、6番・安達星太(3年)が2者を還し、スタンドは早くも大歓声に包まれた。しかし、頼みのエース・藤村哲平(3年)がピリッとしない。四球をきっかけに1点を失い、併殺崩れで同点とされると、2回も満塁のピンチを招いたところで降板となった。

梅田は代わり端をとらえられたがその後は粘って終盤に期待を膨らませた
梅田は代わり端をとらえられたがその後は粘って終盤に期待を膨らませた

ここで捕手から急遽、マウンドに上がった梅田翔大(3年=主将)は、相手3番に勝ち越し打を許すなど、3点を失った。その後は梅田も踏ん張り、試合は5回を終わって2-5。内容的には、一打出れば柏原ワンサイドの窮地を、PLがよく凌いだ印象だ。

6回、PLが目覚める

グラウンド整備が終わった6回表、PLが粘りの本領を発揮する。4番・藤原光希(3年)の二塁打と四球で好機を掴むと、7番・水上真斗(3年)がセンターオーバーのタイムリーで1点差。

7回、逆転2ランを放ち、3塁へ向かう藤村。これぞPLの粘りの本領だ
7回、逆転2ランを放ち、3塁へ向かう藤村。これぞPLの粘りの本領だ

そして7回には、早々にマウンドを降りた3番・藤村が、起死回生の一振り。「入るとは思いませんでしたが、スタンドの応援が運んでくれたような気がします」と振り返る逆転2ランを放ち、スタンドのボルテージは最高潮に達した。これぞ「逆転のPL」。甲子園で数々の奇跡を起こしてきた名門の伝統は、わずか11人の部員にも受け継がれていた。

逆転一瞬も伝統の力は健在

しかし、柏原の実力も確かだった。その裏、球数が70を超えて、梅田の制球が甘くなり始めると、下位打者につかまった。勝ち越しも一瞬で、すぐさま同点に追いつかれると、8回には3つの四球から再逆転を許す。前日の練習で、河野友哉(3年)と正垣静玖(3年)が激突して負傷したため代打はおらず、9回のPLに、追いつく力は残っていなかった。最後の打者・原田明信(3年)の打球が右翼手のグラブにおさまった瞬間、PL学園の輝かしい球史に幕が下りた。最後の世代は、部員12人。うち、土井塁人(記録員登録)は病気で留年していたため、試合には出られない。しかも前日の負傷で、実質9人しかプレーできないのはいかにも寂しいが、試合内容には十分、胸を張っていい。40年以上、PLの試合を観てきたが、甲子園での多くの試合がそうであったように、この日の試合にも感動があった。諦めない姿があった。「PLの野球は、一球に集中して、逆転を狙う粘り強い野球」と梅田が話す、まさに伝統の力が凝縮された6、7回ではなかったか。

「悔しい」と泣き崩れた主将

スタンドには、後輩たちの姿を見届けようと、多くのOBが訪れた。桑田・清原の1年上で主将だった清水孝悦さん(50)は、「休部を聞いたときはショック。はじめはまだ何とかなるかと思っていましたが、さすがに現実なんだと。とにかく、勝つ姿を見たい」と熱い視線を送ったが、その願いは届かなかった。試合後、選手たちは泣き崩れた。ENG取材の代表インタビューを仰せつかったため、記憶をたどって最後のPL戦士たちのコメントを記す。

「あれだけ応援してもらって勝てず、悔しい」と声をふりしぼる梅田。涙があふれ出る
「あれだけ応援してもらって勝てず、悔しい」と声をふりしぼる梅田。涙があふれ出る

主将の梅田は、「悔しい。勝って校歌を歌おうと言ってきたのに。先輩たちに申し訳ない」と号泣した。藤村は、「エースの役割は果たせなかったけど、最後は12人がひとつになれました」と、胸を張った。

「最後」の12人に幸あれ!

これで高校野球のシンボル・PL学園の栄光の球史にピリオドが打たれた。「休部」は限りなく廃部に近い。このあたりの経緯については、14年10月15日の拙文で詳しく紹介しているので、参照されたい。つまり、事態は好転しなかったのだ。予想された通りの経過をたどって、この日を迎えることになってしまった。最後の部員となった選手たちは、まさか憧れのPLに入学して、このような形で高校野球生活が終わってしまうとは夢にも思っていなかっただろう。苦しい1年間、力を合わせて助け合ってきたラスト世代の12人に素晴らしい未来が開けるように祈っている。

毎日放送アナウンサー

昭和36年10月4日、滋賀県生まれ。関西学院大卒。昭和60年毎日放送入社。昭和61年のセンバツ高校野球「池田-福岡大大濠」戦のラジオで甲子園実況デビュー。初めての決勝実況は平成6年のセンバツ、智弁和歌山の初優勝。野球のほかに、アメフト、バレーボール、ラグビー、駅伝、柔道などを実況。プロレスでは、三沢光晴、橋本真也(いずれも故人)の実況をしたことが自慢。全国ネットの長寿番組「皇室アルバム」のナレーションを2015年3月まで17年半にわたって担当した。

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