「センバツショック」って何だ!
いきなりセンセーショナルなタイトルに驚かれた読者も多いのではないか。「センバツショック」。あまり聞きなれない言葉だが、ファンの中では以前からささやかれていた。かいつまんで言うとセンバツに出たあと、本来の調子を取り戻せないまま夏を迎えてしまうことを意味する。もちろんショック?から立ち直って、あるいはセンバツで自信をつけて夏も甲子園に戻ってきたチームはいくらでもある。
期待の大きさと現実のギャップ
では、そのセンバツショックはどうして起こるのだろうか。ひとつは、出場が決まってから本番までの長さと、試合があっけなく終わった場合のギャップの大きさによる。1月24日の選考会から試合まで、ざっと2ヶ月ある。周囲の期待は膨らむし、出場に絡む行事や壮行会など試合以外でも連れまわされる。新聞の地方版は連日、報じるし、取材のカメラや記者もひっきりなしにやってくる。高校生といえどもまだまだ子ども。舞い上がるのも無理はない。
そして、いざ試合。甲子園は決して甘くない。2時間弱で、あっという間に終わってしまう。2ヶ月かけて待ちに待った舞台が、一瞬で終わりを告げる。その空虚さは、経験したものでないとわからないだろう。出場校の半分は初戦で敗れる。常連校と違い、初出場校や久しぶりのチームは、指導者も含め、しばらくは甲子園が終わったことを現実として受け止められないまま、春の大会に突入する。ここであっさり負けてしまうと、夏のシード権(シードのない地区もある)を逃すことにつながる。そして、夏の予選までの時間が意外にも少ないことに気付く。都立として初めてセンバツにやってきた小山台は、センバツ後の最初の公式戦で雪谷と対戦。都立の甲子園経験校同士という好カードに惜敗した小山台は、夏の東東京大会のシード権を失った。シードが得られないと、強豪と早い段階で当たる可能性があり、また概ね、優勝するまでに1試合多く戦わなければならない。消耗の激しい夏の予選では大きなハンディとなる。
達成感は成長の大敵
センバツショックは、あっさり負けたチームだけのものではない。一定の成績を収めたチームにも起こりうる。と言うより、こちらの方が以前は多かったように思う。「達成感」にほかならない。この達成感がもうひとつの理由だ。夏が最終目標であるにもかかわらず、センバツでやりきった思いがチームに充満して、結果に満足してしまうことから起こる。私が最も覚えているのは、古い話で恐縮だが、昭和59年の岩倉(東京)だ。このときの岩倉は、桑田、清原2年時のPL学園(大阪)を決勝で破って、初出場で優勝した。都会的な、いわゆる「ノリ」のいいチームで、勢いでPLを倒した。たまたま、岩倉の宿舎が私の大学時代の下宿に近かったため、「凱旋」する様子を目撃?したが、皆、すごくはしゃいでいた。そして東京に戻っての最初の試合であっさりと敗れてしまう。夏の予選をノーシードで戦った岩倉は、4回戦であっけなく散った。エースと主砲がプロに進むくらい強いチームで、PLにまぐれで勝ったという印象はない。それでも達成感は、チームの成長を確実に妨げた。
池田は夏に向け順調に
今大会、27年ぶりにセンバツ出場を果たした池田(徳島)は、初戦を突破して92年夏以来の勝利を挙げた。池田の復活にネット裏のファンから「たたえよ池高」と校歌の大合唱が起こったくらいだ。それでも2回戦で敗れたあと、岡田康志監督(52)は、こう言った。
「やはり負けたら悔しいです。この悔しさを忘れず、また夏に来てこそ(本当の復活)です。ひとつ勝って満足していたらこのチームは終わりです」。池田は12日のチャレンジマッチ(四国特有のやり方で、センバツ出場校と春の県大会優勝校が対戦する順位決定戦)で、鳴門渦潮に快勝した。しかもセンバツで不振だった打線が13安打11得点で奮起したとなれば、かつての「やまびこ打線」がいよいよ目覚めたようだ。徳島1位で春の四国大会に臨む名門は、この段階で夏の最有力候補であることを印象付けた。センバツは池田にいいショック=刺激を与えたようである。