ベレーザ、日体大を経て現役引退、東京ヴェルディジュニアのコーチに。嶋田千秋が恩師の下で歩む第二の道
【現役引退の決断】
なでしこリーグ1部の日体大FIELDS横浜で、昨シーズン終了後に現役引退を発表した嶋田千秋は、今年2月から、東京ヴェルディアカデミーのジュニアチームでコーチのキャリアをスタートさせた。
28歳の若さで引退を決めた理由について、嶋田はその思いをこう語っている。
「シーズンが終わった後にいろいろ考えた中で、ここまでかな、と思いました。心身ともにきつい部分があったので、このまま日体大でプレーを続けても、サッカーを好きでいられるかな、と。やり残した思いもなかったので、矢野(晴之介)さん(日体大サッカー部部長)とも何度も話をして自分の気持ちを整理して、引退を決めました」
東京ヴェルディは、過去に「Jリーグ最優秀育成クラブ賞」を、昨季を含めて最多の3度受賞している。女子の日テレ・東京ヴェルディベレーザも、下部組織のメニーナから多数の選手をトップチームや代表に輩出してきた。
嶋田も、中学と高校の計6年間をメニーナで過ごした。当時のベレーザは、2005年からリーグ4連覇を達成した黄金期で、代表の主軸が揃い、メニーナにも、後に2015年から20年まで5連覇を導く黄金世代が揃っていた。その中で、嶋田は08年のU-17女子W杯(ベスト8)に出場するなど、FWとして活躍したが、高校卒業後はチャレンジリーグ(当時2部)に所属していた日本体育大学に進学した。
同大学は、1985年の創部以来、最多の大学日本一に輝いた、大学女子サッカー界きっての強豪だ。嶋田は2、3年生の時に全日本大学女子サッカー選手権大会(インカレ)で日本一に輝き、ユニバーシアード(国際学生競技大会)代表や、U−23代表候補などでも活躍する。
そして、日体大を卒業後の14年にはベレーザへの加入が発表され、同年の皇后杯優勝、15年のリーグ優勝を経験した。出場時間は限られていたが、嶋田にとって、中学の頃から憧れてきた常勝軍団でプレーできる喜びは大きかった。
転機は15年の冬に訪れる。母校の日体大が社会人選手の獲得に力を入れるようになり、当時の矢野晴之介監督からの熱烈オファーに心を動かされた嶋田は、社会人選手として母校に復帰した。決断の理由について嶋田は以前、自身が書いたコラム「想い」の中で、「『こんなにも自分を必要としてくれる事なんて、今後の人生ではもうない』と思ったからです」と綴っている。
以後、引退するまでの5年間は、学生時代とは異なる数多くの試練があった。1部の優勝チームから母校に復帰し、大学4年生以来、再び背負うこととなった背番号10とキャプテンマークはさらに重みを増した。
その中で、自分を必要としてくれたチームに、嶋田はそれ以上の熱意で応えた。
プレー面では技術力に加え、熱い闘争心と冷静なゲームコントロールで攻守の軸になり、毎年ほとんどの試合にフル出場。チームは17年になでしこリーグ2部で優勝し、18年からは代表クラスの選手も揃う1部で2シーズンを戦った。苦しい試合も多かったが、その中で鍛えられた若い選手たちが、大学リーグやインカレで成長を示し、日体大は年代別女子代表やユニバーシアード代表にもコンスタントに選手を送り出した。
嶋田は、「アマチュアでもプロと同じように、見ている人に伝わるようなプレーをしなければいけない」という信念を持ち、「グラウンドに何をしにきているのか?」「何のために戦っているのか?」と、若い選手たちに問い、諭すこともあった。
古巣となるベレーザとの試合では大敗することが多かったが、何点取られても下を向くまいと、周囲を鼓舞していた姿が印象に残っている。
「外部からいい選手を集めれば、強いチームになるのは当たり前だと思います。だから個人的には、自分たちのクラブの魂を持った選手たちがトップチームで活躍している形が理想です」
そう考える嶋田は、日体大の「良さ」を、次の世代の選手たちに繋げていくサイクルを作ろうとした。
「日体大の強さは、うまいとかそんなことじゃなくて
想いを揃えられる強さ、仲間を信じられる強さ、
誰かのために動ける強さだと思っています。
そのことを伝え続けるためにも自分自身が1番
そこの情熱を持っておかなければならない
と思っていますし、情熱を伝えられる学生が
増えて欲しいと思っています」
(コラム「想い」より)
そして、嶋田は4年生のFW李誠雅にキャプテンを引き継ぎ、昨年いっぱいで現役生活に区切りをつけた。引退セレモニーは、今年、4月4日のリーグ第2節の試合後に行われた。花束を受け取り、温かいサプライズに涙を見せた嶋田は、最後に選手たちの胴上げで3回、宙に舞った。
キャプテンを引き継いだ李は、理想のリーダー像について、「誰よりもチームのために行動できて、どんなことからも逃げず、迷わず、誰よりもチームを信じることができる。(試合に出てもそうでなくても)どのような立場でも、それが変わらない人です」と語っている。嶋田が日体大に捧げた5年間とその想いは、きっと、李やその後輩たちを通じて、これからも受け継がれていくだろう。
【再び恩師の下で指導者の道へ】
選手からコーチに肩書きを変えて、約7カ月が過ぎた。指導者としての道を歩み始めた感触を尋ねると、大きな瞳に光が宿った。
「日体大でプレーしていた頃も、監督のイメージを選手たちに伝える中でコーチのような感覚になることはあったのですが、実際にやってみると違う難しさがありますね。今はいろいろと模索しています」
嶋田にとって、「誰かに必要とされること」は、自らを奮い立たせる原動力になってきたのだろう。だからこそ、次のステージに進む決断に時間はかからなかった。きっかけは、東京ヴェルディのアカデミーダイレクターを務める寺谷真弓氏の一言だった。
「引退してからやりたいことの一つに指導者がありました。最初は日体大が頭に浮かんだのですが、寺谷さんに引退の報告をしたときに、『本気なら、(ヴェルディの)ジュニアでやってみないか』と言ってもらったんです」
寺谷氏は、かつてメニーナやベレーザでも監督を務めた育成のスペシャリストで、その指導を受けた選手たちは国内外に活躍の場を広げている。東京五輪に出場したFW岩渕真奈(アーセナル)やFW田中美南(INAC神戸レオネッサ)、MF長谷川唯(ウエストハム)やMF籾木結花(リンシェーピングFC)のほか、今季、ベレーザで19人中15人を占めるメニーナからの生え抜き選手たちも、寺谷氏の門下生である。
語り継がれるのは、甘えや妥協を許さない厳しい指導だ。真夏の走り込みでフィジカルとメンタルを鍛える、通称「フィジタル」トレーニング。育成年代でも「勝つことは絶対」というハングリー精神。うまくいかなかった試合では、選手自身がその要因を分析して自分の言葉で語ることを求めた。文武両道を求めていたため、成績チェックも恒例で、特大のカミナリが落ちることもあった。
心身ともに柔軟な中学・高校時代に、寺谷監督の下で心・技・体を鍛え抜かれた選手たちは打たれ強く、自分との向き合い方を知っている。嶋田もその一人だった。
コーチとして、再び寺谷氏の指導を受ける立場になったが、「現役の頃と違って、まったく怒られないので、逆に怖いぐらいなんです」と、可笑しそうに明かし、「自分自身が、まだ指導者としていろいろなことを発信できているわけではないので、見守ってくださっている感じがあります」と続けた。
4月からは、小学3、4年生の子供たちを担当するようになった。9、10歳といえば、一生のうちで最も運動神経が発達する、通称“ゴールデンエイジ(一般的には9歳から12歳)”と重なる。嶋田は精悍な表情をさらに引き締めて言う。
「大切な時期を任されている責任を感じています。コーチが練習の中に入って(プレーを)見せたり、ミニゲームの中で『こうやってやるんだよ』と駆け引きを見せたりして、子供たちが楽しみながら学べるようにすることも大切にしています」
ヴェルディやベレーザの育成の実績は、同クラブ出身の指導者たちの活躍にも表れている。今季、WEリーグでは、11チーム中4チームがヴェルディの前身の読売クラブ出身監督となった。連動した攻守でボールを支配し、攻撃的なサッカーを志向する監督が多く、そのベースには選手の技術力や個人戦術など、個の力を伸ばすことへの強いこだわりや情熱が見える。そのDNAを、嶋田もしっかりと受け継いでいる。
「ヴェルディがクラブとして大事にしている、『ボールを失わないこと』とか、『相手の逆をとる楽しさ』についても話しますが、この年代は基礎をしっかりと作ることが本当に大事だと思っています。選手としての幅が広がるようにしてあげたいので、今は技術的な面からアプローチすることが多いですね。子供たちがどんなプレーの選択をしても怒ることはないですが、片付けや挨拶ができているか、時間が守れているかといった、サッカーとの向き合い方や生活面の指導は大切にしています」
ジュニアの選手は全38名で、男の子が大半だが、5年生には女の子(GK)も一人いるという。昨年までU-17代表に入っていたMF大山愛笑(おおやま・あえむ)をはじめ、今のメニーナにも、U-10のジュニアチームから巣立っていった選手が数名いる。
頭も心も体も柔軟な年代の子供たちと向き合う日々は、嶋田自身の指導者としての可能性も広げているのだろう。どんな視点で子供たちを観察しているのか聞くと、嶋田は楽しそうに言った。
「子供たちは素直でわかりやすい面もありますが、本心が分からなくて、演技派だなー!と驚かされることもあります。今まで大学生と関わってきたので、小学生はまた新しい人種ですね(笑)」
【原点に立ち返って見えたもの】
選手時代の経験に加えて、さまざまな指導者と接してきた中で学んできたことも、新たな道の礎になっている。
「寺谷さんは厳しかったですが、自分たちができないことと向き合って、それを乗り越えるとまた違う景色が見えたし、(日体大の)矢野さんは相手をよく見て働きかけるので、哲学的な面もあって、いろいろな考え方を教わりました。楠瀬(直木)さん(現浦和レッズレディース監督)からは、サッカーに特化した技術や戦術を学びましたね。今は、そんないろいろな指導者の方の教え方を参考にしています」
五輪期間中は、ベレーザからも複数の選手が代表に選ばれていたため、練習の人数不足を補うためにベレーザの練習に参加した。そのことに話が及ぶと、嶋田は声を弾ませた。
「めちゃくちゃ楽しかったです!これまでのように背負うものがなくなり、自分が純粋に、サッカーを久々に楽しんでいるなと思いました。本来、こういう気持ちでサッカーをしなければいけなかったんだな、と気づけたことに感謝しています」
育成力のあるクラブで選手としてのエリートコースを進み、日体大では、高校や大学から頭角を現してきた選手たちとともに戦い、指導者の視点を身につけていった。そんな嶋田だからこそ、指導者の立場で伝えられることはたくさんあるだろう。
最後に、指導者としてどんな未来図を描いているのかと聞いた。
「今は自分(の指導者としてのスキル)を磨くことで精一杯です。一つのクラブでJリーグのトップチームからジュニア、女子まで見られる組織はなかなかないので、刺激だらけですよ。その中で指導できることを楽しんでいます」
女子サッカーのプロ化が進んだヨーロッパの強豪国では、女子サッカー選手が引退後に指導者の道に進むケースが多い。男子のビッグクラブの育成のノウハウを共有できる環境で、選手時代から指導者資格取得のための金銭的なサポートなどの制度もあると聞く。その中で、実力のある若い指導者が育っているのだ。その点、日本は制度面の充実に加えて、モデルケースとなる指導者の数も、これから増えていくことが期待される。
WEリーグは、そうした動きを促すために女性指導者の積極的な登用を推進しているが、トップリーグで活躍する指導者を増やすためには、Jリーグクラブと連携を図り、現場での知識や経験を積める環境を整えていくことも不可欠だろう。その点、嶋田は新たなモデルケースになる可能性がある。
「性別に関係なく、能力がある指導者が評価されるべきだと思いますし、女子サッカーだから女性指導者にこだわる必要もないと思います。ジュニアは男の子が多いですが、(自分自身が)指導する対象を男子、女子と決めているわけではないですし、いつかJリーグからオファーをもらえる日だって、来るかもしれませんから」
最後はおどけるように言ったが、これから指導者としての実力を磨き、その先の可能性にも目を向けている言葉が頼もしかった。
9月12日には、日本女子プロサッカーリーグ「WEリーグ」がスタートする。日本女子サッカー界が変化する節目の年に指導者のキャリアを歩みはじめた嶋田は、“第二の道”へ、力強い一歩を踏み出した。