日テレ・ベレーザのスタイルを支える育成チームの存在。メニーナ・寺谷真弓監督の指導哲学に迫る(1)
なでしこリーグは現在、10節を終えて中断期間に入っており、各地でなでしこリーグカップの予選リーグが行われている。その予選リーグも終盤に突入した。
現在、リーグで首位を走るのは、3連覇を目指す日テレ・ベレーザ(以下:ベレーザ)。
リーグカップの予選リーグでも着実に勝ち点を積み重ね、2連覇に向けて好調な戦いぶりを披露している。
自陣からパスを何本も繋いでゴールを目指すビルドアップに加えて、前線の守備からショートカウンターでゴールを決める形も得意としており、多様な攻撃パターンから点を獲れるのはベレーザの強みだ。
ピッチ上で選手同士がとっさに同じ絵を描ける連携の良さを支えているのは、下部組織の日テレ・メニーナ(以下:メニーナ)出身の選手たちである。
今シーズン、ベレーザはトップチーム登録メンバー21名のうち、メニーナ出身者が実に15名に上る。先発メンバーに至っては、毎試合、11人中8人以上をメニーナ出身の選手が占めている。
クラブ在籍17年目で、ベレーザの「イズム」を継承するキャプテンの岩清水梓を筆頭に、メニーナ時代からキャリアを共にしてきた選手が多く、試合の中での連動性は他のチームの追随を許さない。
攻撃陣は、昨シーズンのリーグ得点王であるFW田中美南を筆頭に、MF中里優、MF隅田凜、FW籾木結花、MF長谷川唯らが盤石の布陣で毎試合を戦っており、この選手たちは、なでしこジャパンでもその能力を発揮している。
MF阪口夢穂、GKの山下杏也加、DF有吉佐織(ケガでリハビリ中)、MF上辻佑実の4人はメニーナ出身ではないが、メニーナ出身のベレーザの選手たちと見事な調和を成している。そして、4人は空中戦の強さや展開力の良さ、高い身体能力といったそれぞれの強みを活かしながら、ショートパスを主体としたベレーザのサッカースタイルに「幅」をもたらした。
クラブ生え抜きの選手と外部から集められたタレントが互いを活かし合い、ここ数年は大きくメンバーを変えることなく、連携を熟成させてきた。それが、現在のベレーザの揺るぎない強さにつながっている。
【ベレーザのスタイルを支えるメニーナの指導】
現在、ベレーザで活躍する選手たちの足跡を辿ると、一人の指導者に行き当たる。それが、メニーナを率いる寺谷真弓監督だ。
代表や国内外のリーグで実績を残してきた永里優季(シカゴ・レッドスターズ)、宇津木瑠美(シアトル・レインFC)、岩渕真奈(FCバイエルン・ミュンヘンから、今シーズンINAC神戸レオネッサに移籍)も、寺谷監督の指導を受けた選手たちだ。
指導者に転身してから18年目を迎える寺谷監督の指導哲学は揺るぎなく、育成過程にいる選手たちには、トレーニングにおいて厳しさを要求しながらも、各々の選手たちの特徴を把握し、良い面を伸ばすためにきめ細かい指導を心がけている。
田中は寺谷監督の指導について、こう振り返った。
「いまだにテラ(寺谷監督のニックネーム)さんより怖い人には会ったことがないです。怒られたことは、数え切れないぐらいたくさんあります(笑)。そのおかげで、サッカーだけではなく、仕事でも打たれ強くなりました」(田中)
スラリとした長身と伸びた背筋は、Lリーグ(現なでしこリーグ)で、GKとして活躍した当時の面影を残す。腕を組み、選手たちを見つめる目は鋭い。寺谷監督の指導を受けた門下生たちは皆、「テラさんの厳しい指導があったから、今の自分がある」と、口々に感謝を込める。
思春期の心と体が最も成長する年代の指導において、寺谷監督はどのような哲学を基に指導を続けてきたのか。クラブハウスで話を聞いた。
寺谷真弓監督インタビュー(7月6日@東京ヴェルディクラブハウス)
【指導のきっかけ】
ーー寺谷監督は現役時代にGKとして、93年から97年まで読売ベレーザ(現日テレ・ベレーザ)でプレーし、その後、鈴与清水FCラブリーレディースで2年間プレーした後、27歳の若さで現役を引退し、指導者の道へと進まれました。引退する前から、指導者になることを考えていたのでしょうか。
実は、指導者の道は全く考えていなかったんです。当時は20代後半でサッカーをやめる人が多く、野田(朱美)さんも20代で引退されましたし、30歳を超えても現役でプレーしていたのは、高倉(麻子)さん(現・日本女子代表監督)がパイオニアですね。私はケガをしていたこともあり、キーパーとしてプレーを続けられず引退を決めました。東京に帰って就職活動をしている時に、当時、ベレーザの監督だった松田岳夫さん(現・INAC神戸レオネッサ監督)が、『ヴェルディの受付でアルバイトを探してるぞ』と。受付でサッカースクールの事務作業を1年間続けた後に、松田さんが『ボールを蹴れるならGKコーチの手伝いをやったら?』と言ってくださり、当時GKコーチだった中村和哉さんも『手伝ってよ』と。ただ、私は現役時代はゴールキーパーだったので、指導できるとは思っていませんでした。
ーー教える中で徐々に指導方法を学んでいく、という状況だったのでしょうか。
そうです。当時の選手には申し訳ないのですが、何も知らない状態で教えていました。イワシ(岩清水梓)が中学2年生で、永里(優季)が中1で入ってきた時でしたね。当時はベレーザのスポンサーが撤退して、経営が厳しい時だったんです。松田さんもベレーザから男子のジュニアユースの担当になって、ベレーザが潰れるかもしれない、というところまで行って。その時に、大須賀まきさん(現・ちふれASエルフェン埼玉の下部組織、マリ監督)がベレーザからメニーナまで一人で見ることになり、夕方から指導を手伝うことになりました。選択肢はなくて、やるしかない、という状況でした。
ーー当時から18年間、指導に関わってきた中で、ベレーザというクラブの変化を最も感じるのはどのようなことですか?
環境が良くなりましたね。ただ、良くなったら良くなったで、難しい問題もあります。簡単に言えばハングリー精神が失われてしまう。そのジレンマはずっと感じています。「プロ選手を目指したい」という選手もいます。ただ、「プロ」というのは、サッカーでお金をもらえる選手ではなく、お客さんを呼べる選手だと思うんです。難しいテーマですが、まずは、もっとスタジアムにお客さんが足を運んでくれるようなチームになることが大切だと思います。
ーーメニーナに所属する選手たちは中学・高校年代ですが、ベレーザに上がるまでにどのようなことを念頭に指導されていますか?
まず、してはいけないことは、学業をおろそかにすることです。親御さんが「うちの子はサッカーさえできればいいんです」と言われることもありますが、それでは難しいな、と。メニーナから上(ベレーザ)に上がっている選手は、サッカーだけという子は少ないですね。学業でトップレベルの成績を取れ、とは言いませんが、しっかり勉強して、学業とサッカーを両立していくように働きかけています。今、ベレーザとメニーナは夕方からの練習ですから、高校を卒業した後、大学に行ける子は行った方がいい、と話しています。サッカー以外の世界を知ることも良いと思うし、大学は高校よりも人間関係が広がります。30、40歳になった時に、そういった人と人のつながりがあると、その後の人生が広がるように思うので、大学に進学できるのならそうした方が良い、と私は思っています。
に続く