【京都市】上京区 江戸時代中期の皇族であり追尊天皇の「慶光天皇」の御陵が「盧山寺」に!
京都御苑のすぐ東にある「盧山寺」には、東山天皇皇孫であり追尊天皇「慶光天皇」陵があります。
現在とっても人気のある「紫式部」が「源氏物語」を執筆したところとしても知られています。
平安中期に元三大師によって船岡山に創建され、元亀2年(1571)、現在地に移動しました。
「盧山寺」の元三大師堂の前で、節分の日に行われる「節分会」にて鬼さんが出てくることなどでも知られるお寺さん。
実は「盧山寺」は、数多くの皇族関係の墓があります。
廬山寺の門から入り右側に慶光天皇陵参道の石碑があり奥に進んだ場所にあります。
中院家(なかのいんけ)の菩提所でもあり、その墓地は、慶光天皇廬山寺陵の東側に広がります。
中院家は、内大臣である源 通親(みなもと の みちちか)≡土御門(つちみかど)通親の五男・通方(みちたか)を家祖とするとされます。
天皇・皇族の陵墓群がある「盧山寺」さん。
「慶光天皇」盧山寺陵には、「慶光天皇」と15名の人たちの墓があり、その父の直仁親王、妃の成子内親王などが含まれています。
慶光天皇は、光格天皇の実父である閑院宮「典仁親王」のことです。
「閑院宮」は、四世襲親王家の一つで、江戸時代中期に直仁親王(東山天皇第六皇子・中御門天皇弟)が創設した宮家です。
慶光天皇とは江戸中期の皇族で、歴代天皇の名に列していません。
第113代である「慶光天皇」は、東山天皇皇孫であり、第119代「光格天皇」御尊父。
古今伝授伝承者に名を連ねる和歌の名手です。
光格天皇の実父であった典仁親王の御陵は、のちに「慶光天皇」陵と称されるように。
尊号一件とか尊号事件を通して、天皇の名をなかなか頂戴できなかった「典仁親王」の没後90年にあたる明治17年に、「典仁親王」に「太上天皇=上皇」を追諡することになりました。
慶光天皇は歴代天皇ではなく、明治時代に追尊された「追尊天皇」となります。
「盧山寺」で「源氏物語」ゆかりの勉強をしながらも、歴代天皇のあり方などを学べる墓所もあるのは素晴らしいですね♪
廬山寺 慶光天皇陵
所在 京都市上京区寺町通広小路上る北之辺町
見学 境内自由