京アニ放火殺人事件の「小説がパクられた」という主張 人ごとでないエンタメ企業の悩み
36人が亡くなった京都アニメーション(京アニ)放火殺人事件の裁判が始まりました。その中で検察は、青葉真司被告が「京アニに自作小説のアイデアを盗まれた」と思い込んだ恨みによる復讐(ふくしゅう)だったとし、メディアでも多く報じられています。可否は裁判に委ねるとして、コンテンツを「パクられた」という第三者からの主張は、エンタメの各社からすると悩みの一つだったりします。
◇「パクられた」という主張 記事では現状否定
公判では、被告が「小説をパクられた」と主張した音声データが公開されたこと、「パクられた」と主張する例についても具体的に報じられています。
斬新なテーマや独創的な設定、複雑なトリックなどの主張なら理解できますが、何気ないごく一部のシーンばかり。「学園ものの小説やマンガであれば、似た部分はあるのでは」と考えるのが普通の意見でしょうか。
実際、各メディアの記事も、「小説をパクられた」という被告の主張はカッコ内に入れたり、ツメのカッコに入れています。記事を書く側のセオリーからするとよく使う手法で、この流れであれば「あくまで被告の主張にすぎない」→「現状、事実ではない」という意味を込めています。つまり「被告の主張には無理がある」としっかり認識しているのです。
◇企業への企画売り込みは「ある」
ですが、被告がそう思い込み、犯行計画を実行して、多くの犠牲者が出たのです。
京アニは2020年に、同社が主催するライトノベルなどを顕彰する賞「京都アニメーション大賞」について、「当面の間、開催を休止」と発表しています。そこでは、アイデアや企画の売り込みについて受け入れないことに、わざわざ丁寧に、かつ明確に触れています。
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そして容疑者が事件直後に「小説(のネタを)を盗まれた」と言及した報道が出た段階から、アニメ業界の関係者から「人ごとでない」という話は聞きました。なぜならアニメ会社などに、第三者が企画やアイデアを一方的に送り付け、トラブルになる話は存在するからです。
ある大手アニメ会社の社員は「京アニさんのケースはレアではない。メールなどで一方的に企画の売り込みがあったりする。丁寧にサポート対応をしても、理解してもらえないケースがあるし、社会的に考えられない行動を取ったりする人もいる。しばらくして“抗議”が止まるケースもあるが、同じことを何度も言ってくる場合もある」と明かしています。
別の関係者も「会社の代表メールにアニメの企画書が添付されていたり、手紙で企画が勝手に届いたりする。その後『(企画を)取り入れてくれてありがとうございます』という“自己完結”したハガキが来て、(何を指すか分からず)ヒヤヒヤすることはあります」と話しています。
そして、ネタの一方的な売り込みは、ゲーム会社や出版社でもあります。「イベントで、来場者から突然企画書を渡されたケースもあった」(大手ゲーム会社社員)、「ネタの売り込みはあるし、自分の売り込んだエピソードが採用されたと思い込む人がいるのは本当。こちらは何もしてないのに、(知らない人から)お礼の電話が来たりする」(大手出版社社員)という声もありました。
受付での押し問答や、電話口のクレームも困りますが、放火のように実力行使に出たらと考えると、怖い話です。
◇プロでも大変な創作の世界
なぜ一方的な売り込みがあるのかといえば、売り込んだ本人に、アニメやマンガ、ゲームが大好きで、作り手になりたい、業界への憧れがあるからでしょう。
特にアニメやマンガ、ゲームと比べて、画力もプログラムも不要な小説は、ハードルが低いようにみえるかもしれません。
しかし当然ですが、ハードルが低ければライバルの数が増えますし、プロが求めるレベルは厳しいもの。力のある人は、賞を受賞する一方で、名前を伏せたネット小説でも編集者の目に留まったりするわけです。そんなスーパーな人がいる一方で、長年にわたって夢を追いかけたものの努力が報われないことの方が普通ですから、残酷な世界です。そもそも論で言えば、賞はあくまでもスタートラインにすぎません。プロとしてデビューし、生活していくことでも大変なのです。
そもそも商業作品が発表される一方で、ヒットするのはごく一部ですし、その陰には日の目を見なかった多くの屍(しかばね)があります。一度ヒットを当てて名前が売れたはずの作家やクリエーターであっても、次の作品がヒットしないことに悩むのですから。
京アニ放火事件の後に、作家の志茂田景樹さんがブログで「懸賞小説」に関する体験談をつづったことが話題になりました。新人のころ知らない人に「パクった」と何度も言われ、直木賞を受賞したころから言いがかりがピタッと止まったそうです。丁寧に説明したり、相手の主張の矛盾を指摘しても理解してもらえないのは、ある意味、企業への企画売り込みトラブルと似ています。
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エンタメ産業において、ブランドの知名度があるほど、人々の憧れも強いのも確かで、京アニはその筆頭の一つでしょう。
そして京アニの作品は、人の心を動かして感動させる力がありました。そうした作品が「好き」であったはずなのに、自らの思いがかなわないことが「憎しみ」に変わったのでしょうか。アニメやマンガ、ゲームは、多くの人を楽しませるもの。にもかかわらず、大勢の命を奪い、多くの家族を悲しみに追いやったことに、やりきれないものを感じるのです。