「ペップ・チーム」と「MSN」からの脱却は。針路を見失うバルサ理事会の迷走。
2014-15シーズン、チャンピオンズリーグ決勝でユヴェントスを下すと、ネイマールはひざから崩れ落ちた。リオネル・メッシは次々に祝福にくるチームメートと抱擁を交わし、ルイス・スアレスは持参した旗にくるまった。
メッシ、スアレス、ネイマールの「MSN」を中心に据えたバルセロナは、その圧倒的な攻撃力で欧州の頂点まで駆け上がった。2010-11シーズンにペップの愛称で親しまれるジョゼップ・グアルディオラ監督の下でビッグイヤーを獲得してから、4年が経過していた。
ペップ・チームとの決別。いつからか、それはバルセロナの至上命題となったように思う。シャビ・エルナンデス、アンドレス・イニエスタ、メッシを主軸にしたポゼッション・フットボールで、バルセロナはペップ政権の4年間で計14タイトルを獲得した。
■MSNの解体
だが、「MSN」解体の日は突如として訪れた。
ネイマールのフーグ(遁走)ーー。2017年夏に、すべてが変わった。パリ・サンジェルマンが契約解除金2億2200万ユーロを準備して、数週間の間にネイマールの獲得を決めてしまった。バルセロニスタの不満は募り、アグスティ・ベネディト氏主導で不信任動議を求める署名活動が行われた。
バルセロナでは、ソシオ(会員)に不信任投票を行う権利が与えられている。2017-18シーズン、リーガエスパニョーラ第3節エスパニョール戦で、本拠地カンプ・ノウに「史上最悪の理事会」と記された物騒な横断幕が掲げられた。
結局、エルネスト・バルベルデ監督の下で、バルセロナはネイマールの存在を忘れさせるような戦いぶりでリーガ開幕から6連勝(最終節レバンテ戦まで無敗を維持)、公式戦8連勝と連勝を重ね、怒りの炎は下火になっていった。不信任動議は出されず、バルトメウ会長の2021年夏までの続投が決定した。バルトメウ会長のクビを救ったのは、他ならぬバルベルデ監督である。
過去を振り返れば、ペップ・チームの下地を整えたジョアン・ラポルタ当時会長でさえ、一時は苦しい状況に追い込まれていた。ヨハン・クライフとチキ・ベギリスタインの助言でグアルディオラのBチーム監督就任を決めたラポルタだが、フランク・ライカールト当時監督とロナウジーニョを残留させた際に、不信任動議に向けた動きが活発化した。
2003年夏に会長職に就いたラポルタは2006年に紆余曲折を経て再選を果たしたが、2007-08シーズンにバルセロナが主要3大会で無冠に終わると、ソシオであるオリオル・ジラフト氏とクリスティアン・カステルビ氏が理事会の退陣を求め行動に出た。だが、不信任決定に必要だった投票権を持つソシオ66%の署名(当時の規約)には届かなかった。60.6%の署名が集まったが、ラポルタの2010年夏までの続投が決まった。
■バルトメウの解任ブースト
いま、チャンピオンズリーグのショッキングな敗戦を経て、批判の矛先はバルベルデ監督に向かっている。しかし、問われるべきはフロントの手腕だろう。
2014-15シーズン途中、暫定的に会長に就任したのがバルトメウだった。サンドロ・ロセイ当時会長が、ネイマール獲得時におけるオペレーションに不正があったと疑いをかけられ、それが裁判沙汰に発展したためである。しかしながら、そのシーズン、バルトメウ会長に待っていたのは試練だった。ルイス・エンリケ当時監督とリオネル・メッシの確執がフォーカスされ、チームは空中分解の危機に晒された。バルセロニスタの不満は爆発寸前であった。
やむなくバルトメウ会長はアンドニ・スビサレッタ当時スポーツディレクターの解任と会長選の前倒しを決断する。主将を務めていたシャビが仲を取り持つ形でルイス・エンリケ監督とメッシが和解して、一致団結したバルセロナは14-15シーズンにトリプレテ(3冠)を達成した。「解任ブースト」は十分過ぎる効果をあげたのだ。
だが、安定はもたらされなかった。まず、バルトメウ会長は人事に悉(ことごと)く失敗している。スポーツディレクター職に関して言えば、スビサレッタを解任した後、2015年夏にロベルト・フェルナンデスが就任。2018年夏にはペップ・セグラ、エリック・アビダル、ラモン・プラネスをスポーツ部門に据えて3人体制で盤石の構えを整えた。
2015年夏から2018年夏にかけて、6億1500万ユーロ(約750億円)を補強に投じた。だが、的確な選手獲得が行われているとは言い難い。
一度はバルベルデ監督に救われた身だ。勝利に近づく補強を敢行するのが、バルトメウ会長と、彼を含むフロントの果たすべき責務である。