夜間採血で真相を明らかに!奇病「バク」と人々の戦い
人類の歴史は病気との戦いの歴史と言っても過言ではありません。
日本でも八丈小島ではバクと呼ばれている奇病が蔓延しており、多くの島民を苦しめてきました。
この記事ではバクとの戦いの軌跡について紹介していきます。
真夜中の採血
佐々は八丈小島でのバク病の調査中、この病気がフィラリア症に似ていると考え、名主や長老たちに夜間の血液検査を提案しました。
フィラリア症はリンパ系に寄生するミクロフィラリアという幼虫によって引き起こされるため、血液中にミクロフィラリアを確認することが感染の有無を判別する鍵となります。
特にこの検査は夜間に行う必要があるのです。というのも、ミクロフィラリアは「夜間定期出現性」と呼ばれる特性を持ち、夜間に血液中に現れるからです。
この現象は19世紀後半、中国南部のアモイで研究を行っていたマンソンによって発見されました。
マンソンは当初、助手の昼間の採血でミクロフィラリアが確認できないことに疑問を持ち、昼夜交代で採血を繰り返したのです。
すると、午後から夜間にかけてミクロフィラリアが現れることが判明します。
彼はこの発見を「夜間定期出現性」と名付けて発表し、医学界に衝撃を与えたのです。
佐々が八丈小島を訪れた1948年当時、フィラリア症に対する有効な治療法はまだ確立されておらず、調査には多くの困難が伴いました。
しかし、このミクロフィラリアの特性を活かし、夜間の検査でバク病の正体に迫ろうとしたのです。
その夜、校庭で開かれた歓迎会には島の特産品や自家製芋焼酎が振る舞われ、島民たちは民謡を歌いながら2人をもてなしたのです。
しかし、佐々と加納には重要な任務が控えていました。
それは、夜間に行う採血作業です。
採血は午後9時過ぎから始まり、酔いが回った青年たちの耳たぶから少量の血液を採取し、スライドグラスに塗布していきました。
その後、名主や青年たちと共に村の家々を訪ね、女性や子供、老人からも採血を行ったのです。
採血作業が深夜まで続いたが、次々に青年たちが酔いつぶれていき、最終的に佐々と加納、そして名主の3人だけが最後まで残っていました。
その後、急いで宿舎へ戻り、採血した血液をギムザ染色し、100枚近いスライドグラスを乾燥させたのです。
翌日、顕微鏡で観察した結果、採血した37人のうち、7人の血液からミクロフィリアが見つかり、八丈小島のバク病がフィラリアによるものであることが判明しました。
佐々は、当初このミクロフィラリアをバンクロフト糸状虫と考えていたものの、象皮病の患者がいても陰嚢水腫や乳糜尿の症状がみられる人がいないことに疑問を感じたのです。
佐々はアメリカ留学のためにいったん東京に戻ることを決意したものの、名主や長老たちから「内地の先生は一度きりで、二度と来てくれない」と言われました。
これに対し、佐々は「バクがなくなるまで、何度でも訪れる」と約束したのです。
その言葉通り、佐々は何度も何度も島にやってきて研究と防圧を続け、バク病の最後を見届けることとなりました。