aikoのニューシングル『食べた愛/あたしたち』が写し出すもの
aikoの41枚目のニューシングル『食べた愛/あたしたち』が9月29日にリリースされる。前作「ハニーメモリー」から約1年振りのリリースとなる本作は表題曲の「食べた愛」「あたしたち」に「列車」を加えた3曲入り両A面シングルである。
歌い出しの秀逸な筆致
「食べた愛」は、9月20日からオンエア中のカルビー ポテトチップス「畑から、愛を込めて。」篇とじゃがいもチップス「素材のおいしさ」篇のCMソングに起用されている。「畑から、愛を込めて。」篇では、実に15年振りとなったCM出演とサウンドロゴも担当し、多くのファンを喜ばせた。
(カルビー ポテトチップス「畑から、愛を込めて。」篇)
軽快なアレンジに乗せて歌われているのは、恋心を抱く“あなた”との電話の最中のもどかしい“あたし”の心情だ。
タイトルの「食べた愛」というキャッチーな言葉は歌詞の中にも用いられている。aikoの楽曲やアルバムにはそれ自体が優れたキャッチコピーのようなタイトルが多々あるのだが、この「食べた愛」のインパクトもまさにそうした類の一つと言っていい。
ちなみに「食べた愛」のミュージックビデオでは、様々なシーンを通して“あなた”への想いを馳せるようなaikoの姿が楽しめる。
(aiko「食べた愛」music video)
本編中、部屋のシーンで散らばっている洋服たちは、過去のミュージックビデオやライブなどで使用された衣装が含まれているという。また車を運転するシーンの背景として、Twitterではこんなエピソードも披露されている。
2曲目の「あたしたち」は、現在放送中のNHKよるドラ「古見さんは、コミュ症です。」の主題歌である。
(aiko「食べた愛/あたしたち」つまみ食いmovie)
互いを信じ、未来へ進もうとする“あたし”と“あなた”の「あたしたち」の物語はスマートフォンのメッセージから始まる。さらにアップテンポな3曲目の「列車」では、変わり行く季節のなかで“僕”と同じ電車に乗り続けることができなかった“君”への手向けの言葉が歌われていく。
まず歌詞が浮かび、次にメロディへと着手するのがaikoのソングライティングの基本的な順序だが、彼女の曲はいずれも歌い出しで物語のシチュエーションが見える。しかも、どこか謎めいた短編小説の書き出しのような筆致で、続きを気にせずにはいられなくなるのだ。
もちろん秀逸なのは歌い出しだけではない。それぞれの歌詞に「どうしてこんな言い回しが思いつくのか?」と思わず溜め息が漏れるような箇所が幾つも存在する。
片思いのもどかしさ、共に進もうとする未来、手向けの言葉。異なるシチュエーションの3曲だが、浮かび上がってくるのは“あたし”と“あなた”、“僕”と“君”の“距離”である。
最新アルバムで見せた変化
aikoは今年3月に14枚目のフルアルバム『どうしたって伝えられないから』をリリースしている。
多くのアーティストが同じだったように、aikoの創作活動もまたコロナ禍の影響を受けた。特に、去年の最初の緊急事態宣言の頃は全く音楽が作れなくなった。そこで「このままじゃいけない」と自分を奮い立たせたて作った一曲が、前作のシングル「ハニーメモリー」だった。
(aiko「ハニーメモリー」music video)
『どうしたって伝えられないから』はデビューから23年に渡ってずっと恋愛の歌、つまり主にラブソングを描き歌い続けてきたaikoが、より新たな広がりと深みのある物語を描き出すことで新たなシーズンを迎えた一枚だった。特にその変化は、アルバムのラストで続いていく日々への慈しみと憧憬を描いた「いつもいる」という曲の歌詞に色濃く表れていた。
このアルバムのリリース時、筆者は初めてaikoのインタビューを担当した。その際、彼女は「ネットで「いつまで恋愛の曲を書いてんだ?」といった書き込みを目にする度に「あかんの?」って思ってしまう自分がいる」と言って小さく笑うと「でも、ずっと書き続けたいことだから」と力強く語っていた。
そもそもデビューから23年にわたって職人のように恋愛の繊細な機微を描いてこられた手腕自体が稀有な才能だし、むしろ胸を張ってもいいとさえ思ったが、あの時「ずっと書き続けたいことだから」と語った彼女の真っ直ぐな瞳の強さが今も忘れられない。
3つの物語の共通項
今回の『食べた愛/あたしたち』の3曲の歌詞にコロナ禍に関する直接的な表現は特にない。しかし『どうしたって伝えられないから』のリリース後、最初のシングルとなる本作の物語からそれぞれの“距離”が感じられた点は、筆者にとって非常に興味深かった。
彼女の歌詞は「こういう歌詞を書こう」と事前に決めて書かれるのではなく、自身の経験や感情の発露から、ある意味、突発的に生まれるものがほとんどだ。『食べた愛/あたしたち』の“距離”を「ずっと書きたいこと」の延長線上で自ずと写し出された“時代の空気”と捉えるのは深読みが過ぎるだろうか。
現在、aikoは5月から始まったライブツアー「Love Like Pop vol.22」を展開中だ。幾つかの公演は新型コロナウイルスの感染拡大の影響から延期を余儀なくされたものの、現時点では12月中旬まで全国を回る予定である(※振替公演を含む)。未だ困難な時世の中、aikoの歌物語にどんな不変や変化が刻まれていくのか興味が尽きない。