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「ラップじゃないんだ ヒップホップだ」Mummy-Dが初のソロアルバムに込めた幾つもの“愛”

内田正樹ライター 編集者 ディレクター
(Mummy-D。提供:スタープレイヤーズ)

ライムスターのメンバー、Mummy-D(マミー・ディー)がアルバム『Bars of My Life』をリリースした。ライムスターでデビューして35周年、53歳にして初のソロアルバムである。

(『Bars of My Life』ジャケット。提供:スタープレイヤーズ)
(『Bars of My Life』ジャケット。提供:スタープレイヤーズ)

ライムスターは、ラジオパーソナリティやテレビのバラエティ番組でも活躍しているMCの宇多丸、DJ、トラックメイカーを務めるDJ JIN、そしてやはりMCとトラックメイカーを務め、TBSドラマ『カルテット』(2017年)、映画『去年の冬、きみと別れ』(2018年) などにおいて俳優としての顔も持つMummy-Dによる三人組ヒップホップグループである。

(ライムスター 日本武道館公演より。Photo:cherry chill will. 提供:スタープレイヤーズ)
(ライムスター 日本武道館公演より。Photo:cherry chill will. 提供:スタープレイヤーズ)

彼らは今年2月16日、17年振りとなった日本武道館公演を大盛況のうちに終えたばかり。Mummy-Dはライムスターの“司令塔”を担い、グループを牽引してきた存在だ。

「ここ数年、司令塔として全力でライムスターを回してきました。その一方、自分のプライベートやヒップホップに抱いてきたパーソナルな思いを、どこかで形にしたいという思いがあった。総括と言うとちょっと大袈裟だけど、まだまだ先に進むために、自分の人生とヒップホップに一度“落とし前”をつけておきたかった」(Mummy-D)

現在の日本のヒップホップシーンにおいて、ライムスターよりも上の世代で、彼らのように頻繁な回数のライブとメジャーな活動規模を維持しているアーティストはほぼ見当たらない。つまり、50歳を超えてラッパーとしてのキャリアを更新していくことは、それ自体が日本のなかでは未知の領域と言っていい。

(Mummy-D。Photo:cherry chill will. 提供:スタープレイヤーズ)
(Mummy-D。Photo:cherry chill will. 提供:スタープレイヤーズ)

「気付けば『俺なんかがレジェンド扱い? なんじゃそりゃ』という感じ。自分はあまりビジネス的に向いていないし、どちらかと言うとカロッツェリア(職人肌)寄り。でも、それならそれで、一人のラッパーとしてリスナーに見せられる背中があるんじゃないのか、と思いました」(Mummy-D)

この思いから、2018年からソロアルバムの制作に着手。親交の深いトラックメイカー、DJ、ミュージシャンらを招き、楽曲を磨き続けた。途中、コロナ禍を挟み、6年の歳月を掛けて完成させたのが、本作『Bars of My Life』だ。

出揃った全12曲のリリックには、Mummy-Dが横浜で過ごした知られざる幼少期の経験から今日までの人生、その道中で恋い焦がれたヒップホップというカルチャーに対する憧憬、愛情や葛藤、そして最前線のラッパーとしてのヒップホップカルチャー/ラップへの姿勢についての私論が綴られている。つまり、まさにMummy-Dが送ってきたヒップホップ人生の“ドキュメンタリー”と言えるアルバムとなった。

「そうなるかもしれないとは薄々思ってはいたけど、ここまでリアルになるとは自分でも思っていなかった。横浜で生まれ、幼い頃に両親が離婚し、母子家庭となった事情から何度か転校をして、やがて東京に出てきた俺にとって、横浜という街には二律背反のような思いがある。そしてヒップホップも、クラブも、レコード屋巡りも、友だち付き合いも、そのほとんどは渋谷で覚えた。移り変わる渋谷の姿にも自分なりの感慨を覚えています」(Mummy-D)

(ライムスター日本武道館公演より。Photo:cherry chill will. 提供:スタープレイヤーズ)
(ライムスター日本武道館公演より。Photo:cherry chill will. 提供:スタープレイヤーズ)

1989年、早稲田大学在籍時代、同校のソウルミュージック研究会での出会いを通じて結成されたライムスターは、1993年のインディーズでのアルバムデビューを経て、2001年からメジャーレーベルに移籍。途中、約2年の活動休止期間もあったが、今日までシーンを代表するグループとして人気を博してきた。一方で、1990年代には、彼らと同時期に産声を上げたアーティストの多くは姿を消した。前述の通り、いまなお武道館公演を行えるメジャーな規模と継続的な活動を維持しているアーティストはライムスターぐらいだ。

「正直、ヒップホップというカルチャーがこんなにデカくなるとは思ってなかったし、自分たちが始めた頃は、ファンや理解者が生まれると思っていなかった。(自分たちが)生きている間に評価されることはないだろう、とさえ思っていました。メジャーデビュー後、シーンとしてはロックやポップスに押された冬の時代もあったけど、今では昔よりもさらに大きなカルチャーになって、アジア系のアーティストもアメリカのラッパーとコラボするようになった。だからといって、自分たちに先見の明があったというわけでもない。僕らの時代は曲が良くて目立てたら頭角を表せたし、パイオニアはずっとパイオニアのままだ。大変な時期もあったけど、ラッキーだったんだ、と今は思っています」(Mummy-D)

1970年代、アメリカはニューヨークのブロンクス地区で開かれたブロック・パーティーにルーツを持つヒップホップカルチャーは、音楽・ダンス・ファッション、グラフィティで構成される黒人のカルチャーだった。それから50年と少し。2023年2月5日に開催された第65回グラミー賞授賞式では、ヒップホップ生誕50周年を祝う壮大なトリビュート・ステージが繰り広げられた。

今回、Mummy-Dは『Bars of My Life』の1曲目「O.G.」でこう歌っている。

ラップじゃないんだ ヒップホップだ(「O.G.」より。Lyrics by Mummy-D)

「ヒップホップとはジャンルやテクニックではなく、文化であり生き方なんだ、という思いが半分。もう半分は、俺のなかでの違和感です。例えば、世間でこの種の音楽を軽視する人って、必ず“ヒップホップ”じゃなくて“ラップ”って言う。実は最近の世界的な傾向としても、音楽のジャンルを表す際に“Rap/HipHop”とラップが優位に立って、ヒップホップという言葉が徐々に使われなくなってきている。そこにすごく違和感があった。あくまでヒップホップであって、本来ラップはただの歌唱法ですから」(Mummy-D)

このリリックに、日本のヒップホップの代表的MCの一人であるZeebra(ジブラ)はXでこう賞賛を綴った。

また、アルバムの先行シングルとなった「虹色」という曲のリリックでは、今日のジェンダーやダイバーシティの在り方を全肯定するMummy-Dの眼差しが、ストリングスの音色とともに美しく、力強く鳴らされている。

キミは美しい 目眩しそうなほど美しい (「虹色」より。Lyrics by Mummy-D)

「自分を肯定すること。他人を肯定すること。どんな人間でも、その人なりの姿でいいんだということと、その多様性について。スマホのなかで全てが完結しそうなこの時代の子どもたちを、自分なりにどう勇気付けられるか――そこから発想して、ルッキズムやLGBTQについて歌っています。もっと言えば、いろんな人がいる世のなかの誰もが幸せであることが一番じゃん?ということ。ヒップホップって長年すごくマッチョな音楽だったんだけど、最近ではLGBTQを公言するラッパーも出てきている。俺はマイノリティと言われる人たちを冷遇するような態度は絶対に嫌なんです」(Mummy-D)

この「虹色」のリリックが象徴するように、私小説のような自分史とともにアルバム全体を貫いているのは、“愛”を全肯定する彼の姿勢だ。

「もういい歳だし、『開き直って愛を歌おう』という思いと、いまだ紛争や差別にあふれる世界への危機感からです。ライムスターでは宇多丸が冷静な批評眼を与えてくれる良さがある。ソロはあくまで俺個人から出てくる表現だから、もう“甘っちょろい”くらいの本音でいいかなって」(Mummy-D)

(ライムスター日本武道館公演より。Photo: オオイシユウスケ 提供:スタープレイヤーズ)
(ライムスター日本武道館公演より。Photo: オオイシユウスケ 提供:スタープレイヤーズ)

ライムスターの武道館公演の終盤、MCで語ったMummy-Dの言葉が多くの観客の心を打った。

「『日本にはラッパーという生涯をかけてやる職業がある』という状況にそろそろなってきていると思うんだよね。これで俺たちが潰れちゃうと、『ああ、やっぱりラッパーは50までなんだな』と思われちゃうけど、まだまだ曲作りたいし、もっと成長したいし。はっきり言って、もっとラップ上手くなりたいのよ」(ライムスター日本武道館公演時のMummy-DのMCより)

2月19日には神奈川県川崎市出身のヒップホップグループBAD HOP(バッド・ホップ)の解散ライブが東京ドームで行われた。日本のヒップホップアーティストによる単独公演としては初の東京ドーム公演だった。ラッパーは、今や「生涯をかける」価値があり、「プロとして食べていける」職業である。それをパイオニアの一人として、カロッツェリアの一人として、自分なりに体現していけたらとMummy-Dは語る。

「自分から若いラッパーに言えることは、『時間がかかってもいいんだよ』ということ。ラッパーは若者の特権と考えなくてもいい。じっくり時間をかけて取り組んでいいんだと思う。バトルやビーフ、インスピレーションもたしかにラップの魅力だけど、『こんな成熟もありなんだ』というひとつの形をこのアルバムで示したつもりです。ぜひ聴いてください」(Mummy-D)

Mummy-D『Bars of My Life』

  1. O.G. - Mummy-D Produced by Mr. Drunk
  2. マイク持つ者よ - Mummy-D Produced by Mr. Drunk
  3. Bxxxh Perfect (BACHLOGIC Remix) - Mummy-D, Yoshito Tanaka Produced by BACHLOGIC
  4. Bars Of My Life - Mummy-D Produced by DJ KRUSH
  5. 同じ月を見ていた feat. ILL-BOSSTINO - Mummy-D Produced by DJ WATARAI
  6. Free feat. H ZETTRIO - Mummy-D Produced by H ZETTRIO
  7. バックミラーの中の街 -Mummy-D Produced by NAOtheLAIZA
  8. Hardcore Hip Hop Star Part 3 - Mummy-D Produced by Sweet William
  9. 虹色 - Mummy-D Produced by Kaztake Takeuchi, Mr. Drunk
  10. Spread Love - Mummy-D Produced by SONPUB
  11. Be Alright (Mr. Drunk Remix) feat. ミッキー吉野 - Mummy-D, Nulbarich
  12. Produced by Mr. Drunk
  13. Kiss Your Life feat. さかいゆう - Mummy-D Produced by さかいゆう, Mr. Drunk

ライムスター オフィシャルサイト

スタープレイヤーズ オフィシャルYouTube

『Bars of My Life』主要配信メディアリンク

ライター 編集者 ディレクター

雑誌SWITCH編集長を経てフリーランス。音楽を中心に、映画、演劇、ファッションなど様々なジャンルのインタビューやコラムを手掛けている。各種パンフレットや宣伝制作の編集/テキスト/ディレクション/コピーライティングも担当。不定期でメディアへの出演やイベントのMCも務める。近年の執筆媒体はYahoo!ニュース特集、音楽ナタリー、リアルサウンド、SPICE、共同通信社(文化欄)、SWITCH、文春オンラインほか。編著書に『東京事変 チャンネルガイド』、『椎名林檎 音楽家のカルテ』などがある。

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