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ママごめん、楽にしてあげる 「植物人間となった母親を解放したかった」息子の犯行

シュピッツナーゲル典子在独ジャーナリスト
介護の悲劇は日常茶飯事(c)Helene Souza / pixelio.de

「ママごめん、今、楽にしてあげるから!」

こん睡状態で7年間も介護施設のベットに横たわる母親を見守ってきた息子Jさんは、母親の変わり果てた姿を見るに見かねて、最後の一線を越えてしまった。

Jさんは、殺人罪で懲役3年の実刑判決を科された。

なぜもっとはやく楽にしてあげなかったのか

2012年、年明けにその事件は起こった。朝10時に自宅を出たJさん(当時26歳)は、列車、バス、市電を乗り継いで、母親が生活する介護施設に向かった。施設に着いたのは午後2時ごろだった。

「強風で寒く、道のりは長かったけど、施設にたどり着くことだけを考えていた。あんなにきれいだったママが、身動きできない重度障害者となってしまった。

意識不明で寝たきりのママを見るのは、感情的にならないようにと心の準備がいつも必要だった。帰宅してから独りになって何時間も慟哭する日々が続いた」と、Jさんは振り返った。

7年前、母親は休暇先で落馬して頭を石に強打した。母親は開眼性こん睡状態となり、意識のないままずっと介護施設で過ごしていた。

母親を眺めているうちに、今日(1月3日)は逝った父親の誕生日だったことを思い出した。この日を母親の命日にしようと思った。

「ママ、その時が来たんだよ。ここから解放してあげる」

今しか(殺害する)チャンスはないと思った。最後の一線を越えることは誰にも伝えてなかった。Jさんは楽しかった子どもの頃を思い出し、母親の手を握りながら語り始めた。

どのくらい経ったのだろうか。室内は、母親に繋がれた器具からゼイゼイという音だけが響いていた。

「ママ、ごめん。もしかしたら、ちょっと苦しいかもしれないけど、すぐ楽になるからね」と言い、母親の額にキスをした。

J さんは泣きながら、すべての器具を取り外して母親の顔にタオルを押し付けた。身体の震えが止まらなかった。しばらくそのままにしていると母は息の根を止め、蒼白になった。

「ママ、やっと(苦しみから)抜け出せたね」

「7年間も意識不明の母を施設で生活させたことを後悔している。もっとはやくやる(殺す)べきだった。自分を産んでくれたママの命を奪うなんて、犯してはならないことだとわかっている。でもママを楽にしたかった」とJさん。

愛しているからやった

過去の色々な思い出や心の葛藤がJさんの頭に蘇ってきた。

「息をしなくなったママを見ながら、僕はパパがなくなった時のことを考えた。パパは僕が5歳の時、仕事中に事故にあい逝った。パパとママはとっても仲のよい夫婦だったんだ」(Jさん)。 

「ママが今も生きているとしたら、僕が先に死んでいたかもしれない。僕はもう限界だった。自分の愛する人がどうにもならない状態で生き延びるのを見守り続けることはどんなに孤独で辛いことか。ガールフレンドとも上手くいかなくなり別れたし、話相手は誰もいなかった」

Jさんは、「母親を少しでも楽にしてあげる方法はないのか」と、介護施設職員に相談を持ちかけた。また、母親の死亡幇助(安楽死)を依頼したが、きっぱり断られた。ドイツでは患者を痛みや苦しみから解放する薬物を投与することは非合法で殺人罪として刑法で裁かれる。

相談を受けた介護施設職員は、こう語った。

「あなたがどうしてもというなら、時間がかかりますが、法的な手続きをとって安楽死を選択する手立てが見つかるかもしれません。あるいは、安楽死が認められている介護施設を探すのもひとつの手です。

ただし、経菅栄養補給用のチューブがはずされた後、お母様は空腹と脱水で苦しむことになりますよ。そんな姿を見続けるのは、残酷極まりなく、あなたも顔を背けたくなるに違いありません」

ある日、友人と一緒に母親を見舞った。

「なんて悲惨なんだ。もう面会に来ない方がいい。お前が駄目になってしまう。母親のことは忘れろ」と友人は僕に忠告した。でも彼女は僕のママ。もう会いに来ないなんてできない。どうにもならない現実にJさんはやるせなさと怒りがこみ上げてきた。

悲しみと苦しみを紛らわせようと、アルコールやジョイント(大麻)でその場しのぎをする日々を送るJさんの生活は荒れていった。

Jさんは 「ママの意識はもう戻らない。万が一、意識が回復したとしても、残りの人生は動けないまま、口も聞けず、寝たきり生活が続くなんて拷問だ。ママを殺害する以外、僕にどんな選択があったというのだろう。ママを愛しているからやったんだ。ママが楽になるために刑務所行きを選んだ」と告白した。 

介護のモラルとは

「この先、ママがずっと意識が戻らず器具に繋がれて何年も生き続けるとしたら、介護施設は毎月4,000ユーロ(約45万円)にも上る介護費用を延々と得ることになる。言い方は悪いが、母を餌にしてお金儲けをすることが、本当のモラルなのだろうか。

それよりも患者を楽にしてあげた方がいいのではないか。植物人間として自分の意思では何もできないまま生き続ける、それがモラルなんだろうか?多くの器具に繋がれて生きながらえたママは、その生命線がなければ自然死したはず」とJさんはその矛盾を訴える。

Jさんは裁判官に詰責された。「お母様は、事前に万が一の場合を想定した医師の医療行為を明確にされていませんでした。その手続きをとることが出来たのでは」と。

母親が落馬事故にあったのは40歳の時。不慮の事故に備えて医療行為の指示書類を作成するほど高年齢ではなかった。しかも乗馬経験のある母親はそんな書類手続きをすることなど考えてもいなかったにちがいないとJさんは返答した。

だが、そのありえない惨事が母親の身に突然降りかかった。

ドイツでは2009年9月より、「事前医療指示法(Patientenverfuegung)」が導入された。この法律は、万が一に発生した医療処置について判断能力のあるうちに、自身の意志「延命治療を受けない、あるいは治療の打ち切りを希望するなど」の表示するためのものだ。

つまり、Jさんの母親のように、ある日突然不幸にあったことで機械に囲まれて延命する状態や、意志の疎通が出来なくなったり、植物人間と言われる状態になった場合に備えて、具体的な医療行為を明確に規定の書式に記載すれば、治療中止が法的概念として認められる。

さらにJさんは、裁判中に初めて介護施設では母親に「鎮痛剤」を使っていなかったことを知った。こん睡状態のため、鎮痛剤を使っても使わなくても外見ではわからないというのが施設側の見解らしい。

だが母親を見守ってきたJさんは、介護士がチューブ(経菅栄養補給用や痰をとる為)を取り替える処置中、母親の目頭に涙があふれ、頬を伝うのを見ている。また、硬直状態の手足のマッサージをする時に、母の表情がこわばったことも度々あった。その時、介護士は、「痛みではなく、単なるリアクション」と、そっけなく答えた。介護施設は鎮痛剤費用を節約しようとしていたのか、明らかなことはわからないままだ。

母親はもうこの世にいないが、今も悪夢に悩まされているというJさん。

「ママを殺そうとして、その行為中に見つかったらどうなっていたのだろう。僕は刑務所行きだけど、寝たきりのママはその後もずっと苦しみ続けなければならない。そんな夢ばかり見ていた」

今回紹介した例は、自宅介護で介護人が疲弊し犯した介護殺人とは少し背景が違う。だが、介護悲劇はドイツでも後を絶たない。

最新の統計(2013年)によると、ドイツの要介護人は263万人という。介護殺人の統計は見当たらないが、介護者の葛藤と殺人に至るまでのドラマは数多くある。

懲役3年の刑を受けたJさんは、情状酌量により18ヶ月刑務所で過ごした後、出所した。

参考記事

Stern 2015年Nr.24

Martina Rosenberg著「Anklage, Sterbehilfe」

介護殺人 当事者たちの告白

「母親に、死んでほしい…」 介護者の葛藤 

在独ジャーナリスト

ビジネス、社会・医療・教育・書籍業界・文化や旅をテーマに欧州の情報を発信中。TV 番組制作や独市場調査のリサーチ・コーディネート、展覧会や都市計画視察の企画及び通訳を手がける。ドイツ文化事典共著(丸善出版)国際ジャーナリスト連盟会員

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