TPPの国会審議紛糾と特捜部の甘利問題強制捜査のデジャブ
8日の衆議院TPP特別委員会は冒頭から紛糾し、民進党などが途中退席して6時間ほど審議は中断した。一方、この夜、東京地検特捜部は甘利明前経済再生担当大臣の金銭授受問題で都市再生機構(UR)の千葉業務部と、甘利氏側に現金を提供した「薩摩興業」、そしてこの問題を週刊誌に告発した「薩摩興業」の元総務担当の自宅をあっせん利得処罰法違反容疑で家宅捜索した。
野党の審議拒否と同時に着手された特捜部の強制捜査をどう捉えるか。そのいずれも権力側が仕掛けた動きと考えられるので、このシナリオを読み解くのは単純でない。これで安倍政権に不利になると思い込めば罠にはまる可能性がある。
私がそう思うのは、2004年の年金未納を巡る「小泉政権VS野党民主党」の攻防で、菅直人代表率いる民主党が無残な醜態をさらした記憶があるからだ。
あの時も後半国会の最重要課題である年金法改正案の審議の最中に東京地検特捜部が元社会保険庁長官を逮捕し、それに勢いづいた民主党が国会で審議拒否に入ると、小泉政権の閣僚に年金未納の事実が出てきて民主党はさらに追及を強め、すると菅代表の年金未納が明らかとなり、民主党が代表辞任に追い込まれたのである。
2004年の小泉政権のやり口を私の記憶から呼び戻してみる。その年は7月に参議院選挙が予定され、さらに4月25日に衆議院の補欠選挙が埼玉、広島、鹿児島で予定されていた。従って与野党とも選挙を意識しながら後半国会を迎えた。後半国会の最重要課題は年金法改正案で、年金の負担が増え給付が減るという国民には嬉しくない改正案である。
それをどんな方法でやり切るか私はそれを見ていた。すると小泉総理はまずメディアを利用した。3月28日、テレビ朝日の「サンデープロジェクト」に出演し、田原総一朗氏の単独インタビューに答えて、民主党が主張していた「年金一元化」の方針に賛成したのである。無論、年金法改正案の成立が前提となる。
自分たちの対案を先取りされて民主党は頭に血が上る。4月1日、衆議院本会議で年金法改正案の趣旨説明があり、小泉総理がそれを年金一元化につながると発言すると、民主党の枝野幹事長は強く反発、民主党の対案を本会議で趣旨説明する9日まで欠席戦術を決めた。国会は冒頭から荒れ模様になる。
そして民主党が審議に復帰すると、14日に東京地検特捜部が元社会保険庁長官を日本歯科医師連盟からの収賄容疑で逮捕した。年金を扱う社保庁の元長官逮捕に民主党は勢いづく。再び16日から20日まで審議拒否に入った。すると23日、小泉政権の麻生、中川、石破の3閣僚に年金未納の事実が明らかになったのである。
菅民主党代表は3閣僚を「未納3兄弟」と呼んで夏の参議院選挙の目玉にしようとした。ところが未納は3人で終わらない。次から次へと未納政治家の名前が出てくる。メディアは連日それを大々的に報道した。
私は未納の何が悪いのかと思いながらメディアの過熱報道を見ていたが、ついに福田康夫官房長官と菅民主党代表にも未納があった。すると福田氏が辞任して菅代表は逃げられなくなる。5月10日に辞任を表明、翌11日に年金法案は衆議院を通過した。
この間に行われた衆議院の補欠選挙は、スキャンダル報道に嫌気がさした有権者が投票所に行かなくなり、低投票率のおかげで自民党が3選挙区すべてで勝利する。そして未納はテレビキャスターの筑紫哲也氏や田原総一朗氏にもあることが分かり、そこまで来てようやく小泉総理にも未納のある事実が秘書官から発表された。
すると夢から覚めたように誰も小泉総理を非難しなくなった。国民に喜ばれない年金法改正案を成立させないために審議拒否とスキャンダル追及を強めた民主党は、代表の首を取られ、しかも法案を阻止する事が出来なかった。そこに特捜部の日歯連事件強制捜査のタイミングが影響を与えていると私は見ているのである。
この後半国会の最重要課題はTPPの批准である。しかし交渉を行った甘利前経済再生担当大臣は金銭スキャンダルの直撃を受けてすでに辞任している。そして後任の担当大臣には決して能力があるとは言えない石原伸晃氏が就いた。石原氏の役回りはひたすら「言えません」の一点張りを続けるところにある。それだけなら能力は必要とされず、しかも野党をイラつかせる事はできる。
そして特別委員会の西川公也委員長も去年2月にスキャンダルで大臣を辞任したばかりの人物である。野党から見れば攻撃の材料は満載に見える。特に旧民主党のメンバーの体質には、国民の支持を得るには強硬に出る事が不可欠と考える傾向があり、何としても安倍政権に打撃を与えようと意気込んでいるように見える。
2004年と同じく今年は4月24日に衆議院の補欠選挙が京都と北海道であり、7月には参議院選挙がある。しかも民進党という新党が誕生したばかりだからいやでも攻撃的にならざるを得ない。権力の側はそこを狙っている可能性がある。
私が検察を担当した経験で言えば、特捜部が捜査に着手するタイミングは十分に計算し尽くして決める。政治の動きや社会の動き、さらに新聞やテレビの扱いがどうなるかを見極めてから決める。甘利スキャンダルが炸裂し、甘利氏が辞任した時から、官邸はTPPの国会審議と特捜部の動きをどうするかを練りに練ってきた筈である。
そのタイミングが真っ黒の資料を提出して民進党の頭に血を上らせ、バカの一つ覚えの答弁を繰り返す事でさらに民進党を怒らせ、審議拒否の姿勢を見せるところまで挑発してから特捜部は強制捜査に入った。この強制捜査は野党を勢いづかせるところに目的があるように見える。甘利氏側の家宅捜索がないのだから私には徹底捜査の姿勢に見えない。
無論、安倍政権の側にもリスクはある。しかし黙って追い込まれるよりは、相手を挑発し頭に血を上らせ、相手の理性を麻痺させてから戦う方が勝機の確率は増える。いわば捨て身の戦法で、それが今回も考えられているのではないか。
絶体絶命の甘利氏を利用して野党を勢いづかせ、そこに隙を作らせて安倍政権のダメージを最小化する。それは2004年の経験から可能だと権力の側が思っているように見える。何せ当時の民主党幹事長は枝野幸男氏、国対委員長は野田佳彦氏で、代表の菅直人氏を含め、それらの人々は今も民進党の中枢に存在しているのだから。