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トラックは「交通強者」なのか~死亡事故を起こしてもなお走り続けるあるトラックドライバーの話

橋本愛喜フリーライター
夜明けのサービスエリア(イメージ:読者提供)

トラックはその車体の大きさゆえに、パワーが他の車両よりもはるかに大きい。そのため道路上では常に「交通強者」とされ、ハンドルを握るドライバーたちにも他車両以上に「プロ」としての意識が求められる。

しかし、たとえプロ意識の高いトラックドライバーがどんなに安全運転しても、避けられない事故というのも残念ながら存在する。無論、先の理由から、犠牲になるのは大概相手のほうだ。

そんな「交通強者」たちのなかには、"過去の事故"を背負いながら走り続ける人も少なくなく、筆者のもとには、死亡事故を起こしたトラックドライバーや、その関係者たちからの懺悔のような声が届くことがある。

本稿では、自身の経験を「今後の交通安全の啓発として活用してほしい」としてくれた、ある現役大型トラックドライバーの経験を紹介したい。

※ご本人の声の温度をお伝えするべく、そのままの表現を使用します。

土地勘のない場所での事故

27年前のある日の深夜。4トントラックのドライバーをしていたA子さん(当時30代前半)は、他県にある食品倉庫で積み込み作業を終えた直後、事故を起こした。

「倉庫から道路に出ると、タイミングよく信号が青になりました。その信号に従い直進したんですが、その時、右から信号無視の原付バイクが法定速度を大きく超えて突っ込んで来たんです」

荷物を積んだトラックは、すぐには止まれない。とりわけ「加速態勢」にある状態だと、物理的にも、そして人間の反射神経の面においても車体を瞬時に停止させることは非常に難しいのだ。

「急ブレーキを踏みましたが、間に合いませんでした。原付は私のトラックの前で転倒。乗っていた人はガードレールのほうへ飛ばされ倒れていました。慌てて駆け寄り、声を掛けましたが無反応。耳から血が流れていたのを見て、全身から血の気が引き、私が倒れそうに。事故を目撃していた反対車線のドライバーさんがそばについていてくれたのが心の支えになったのを覚えています」

地元から遠く離れた土地勘のない場所。当時は、当然スマホもない。救急車を呼ぶにも現地の住所が分からず、付近の住民に聞いて救急車を呼び、その後110番にも連絡した。

「駆けつけた警察に『あと3秒早くブレーキ踏んでいれば』、と言われました。でも事故が起きたのは時速5kmも出ていない発進直後。どうすることもできませんでした」

原付の運転手は、40代半ばの男性。病院で死亡が確認されたという。

「被害者は免許証不携帯で原付も持ち主不明。ノーヘルメット、泥酔状態の信号無視でした。身元が分かったのは数日後。地方から出稼ぎに来ていたみたいです」

トラック内部(イメージ:読者提供)
トラック内部(イメージ:読者提供)

「人殺し」の手紙

結局A子さんは「過失なし」と判断され、逮捕も起訴もされることはなかったが、「自車で人の命を奪ってしまったことに変わりはない」と、以降、自責の念に苛まれることになる。

そんな状態の中で度々現場の警察署から事情聴取を受けていたのだが、ある日、警察から手渡された「一通の手紙」に、A子さんの心はさらに凍り付く。

「被害者の元奥さんからのものでした。そこには『人殺し』と書かれていて。『慰謝料払え』とも」

A子さんに降りかかった理不尽はこれだけでは終わらなかった。

「事故をきっかけに、育ての両親にも冷たい目で見られてしまい。"もらわれっ子"だったので、彼らからすれば、私は事故を起こした"厄介者"。当時、事情聴取のために現地の警察署に通う交通費がなく、お金を貸してほしいと頼んだんですが、『他人だから』と断られ。結局質屋に指輪を入れて、そのお金で通いました」

さらにA子さんはシングルマザーで、13歳、2歳、1歳の子どもがいた。事故当時、その育ての両親に預けていたという。

「両親は子どもとも会話をさせてくれず。すごく孤独でしたね。"人を殺した"という罪悪感から他に頼れる人もいなかったので。自殺してしまったほうが楽なのかなと思ったこともありました」

トラックから見た交差点(イメージ:読者提供)
トラックから見た交差点(イメージ:読者提供)

それでもトラックに乗る理由

所属していた運送会社には事故後も籍を置いていたが、A子さんはその日以来、恐怖からトラックに乗れなくなり、しばらくしてそのまま会社を辞めた。

「会社を辞めたあとは、家から自転車で通えるガソリンスタンドでアルバイトをしていました」

しかし、そんな生活が2年を過ぎたころ、A子さんは再びトラックのハンドルを握る決心をする。

「子ども3人を1人で育てるには、稼がないといけなかった。もう少し綺麗でスタイルもよければ、スナックや風俗などの仕事も考えていたかもしれませんけどね。当時はまだトラックドライバーの給料がよかったんです。育ての親とはわだかまりもあったけど、孫は可愛がってくれたので、3人を預け再び走り始めました」

一方、前を向くために、やめたこともあるという。

「『事故現場へ赴くこと』です。それまでは折に触れて花を供えに行っていましたが、やめました。もちろん事故のことを忘れることはないですが、いつまでも引きずってしまいそうなので。長距離ドライバーになり、その事故現場近くを通過した時は当時の記憶がフラッシュバックして辛かったですけどね」

あれから27年。A子さんは今でも大きなハンドルを握り続けている。

「強者」という名の「弱者」

事故というのは、「どちらに過失があるのか」で片づけられるほど単純なものではない。

A子さんのケースのような死亡事故は、たとえ自分に過失がなくても、自車によって誰かの命が消えてしまった時点で、心に大きな傷をつくる。

歩行者や自転車など、交通弱者の立場にある人の中には、「プロなんだからそっちがルールを守れ」や、「危険を回避するのは交通強者側の義務」と、責任を丸投げするかのような考えをもつ人が一定数存在する。

しかし、筆者のもとにやってくるこうした懺悔の思いに触れるたび、トラックという乗り物は、「時にトラックは『強者』という名の『弱者』となり得ること」、そして、改めて「安全運転は1人ではできないこと」を思い知らされるのだ。

「事故は被害者だけでなく、加害者も非常に辛い思いをする。道路を利用する人には、立場に限らずどうか安全に努めてほしいです」

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フリーライター

フリーライター。大阪府生まれ。元工場経営者、トラックドライバー、日本語教師。ブルーカラーの労働環境、災害対策、文化差異、ジェンダー、差別などに関する社会問題を中心に執筆・講演などを行っている。著書に『トラックドライバーにも言わせて』(新潮新書)。メディア研究

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