硬骨の男が幕を下ろすとき。サガン鳥栖、谷口博之のサッカー人生
「がむしゃらに頑張って、というのがサガン鳥栖で。それが自分には合っていたと思います。あきらめずに走る、チームのために、みんなのために。そういうチームの居心地は良かった。周りの人もみんな優しくて。それが6年間、このチームで体感したことです」
サガン鳥栖のDF、谷口博之(34歳)はそう言って無骨な笑みを見せた。2019年12月、谷口は鳥栖でのプレーを最後に、現役引退を発表している。16シーズンに及ぶ長いプロ生活だった。
谷口とは、どんなサッカー選手だったのか?
どんなポジションでもプレーした選手
谷口は2004年に川崎フロンターレに入団し、身体能力の高さを生かしたダイナミックなプレーで脚光を浴びている。2006年にはヤマザキナビスコカップ(現行のルヴァンカップ)でニューヒーロー賞を受賞。ボランチながら得点力の高さを見せつけ、Jリーグベストイレブンにも選ばれた。2008年の北京五輪代表にも選出され、FWとしてプレーしている。
2011年に7シーズンを過ごした川崎を退団し、ユース時代を過ごした”古巣”横浜F・マリノスへ移籍。2シーズン、ボランチだけでなく、攻撃の切り札としてもプレーした。2013年からは、移籍した柏レイソルで今度はディフェンスも経験。そして2014年から6年にわたって在籍した鳥栖では、センターバックでプレーする機会が多くなった。
谷口はGK以外、DF、MF、FWといくつものポジションを経験してきた選手と言える。
「実は点を取れるポジションが、一番楽しかったです。いいところにいるな、と言われると嬉しくて。鳥栖でも(DFなのに)、コーナーキックではヘディングのポジショニングがFWのトヨ(豊田陽平)と被りましたね」
谷口はそう言って、頭をかいた。
サッカー少年時代の記憶
谷口がサッカーに出会ったのは、小1のときだったという。小3のときだった。Jリーグが華やかに開幕し、三浦知良のようなスターが出て、まばゆい光景を目にした。
「めちゃくちゃ格好いい!」
少年は単純にあこがれたという。
思い込むと一途な方だった。小5からはサッカー選手になると決心し、毎朝5時に起床、6時からトレーニング。学校でも暇さえあればボールを蹴り、夕方も日が暮れるまでボールを蹴った。とにかく走り続けたし、坂道ダッシュを繰り返し、リフティングに夢中になって、腿に痣を作るほどだった。住んでいた団地の傍に良さそうな壁を見つけてはボールを蹴り、たまに「うるさい」と叱られても、懲りずに続けた。
「練習はどんな時も続けました。大雨でも、嵐でも。やらないと気持ちが悪くて。自分で決めたんだから、言い訳したくないし、絶対にやるんだって。そこは頑固でした。良いと言われたことは何でもしたので、体を柔らかくしようと、ミツカン酢をごくごく飲んだりしましたよ(笑)」
谷口は言うが、その不器用さは彼らしい。サッカーの練習だけは、一度も裏切ったことはなかった。正直すぎるほど正直というのか。
「タニは信頼できる」
鳥栖のチームメイトたちは口をそろえて言う。仲間たちは真面目過ぎるほどの硬骨さを愛した。その信頼関係が、チームとしても力になった。
谷口はその実直な人生のおかげでプロになって、五輪を経験し、代表にも呼ばれ、J1の選手として400試合以上(カップ戦も含めて)もピッチに立てたのだ。
「自分は頭を使ってプレーするのが得意ではなかったと思います。でも、何も考えず、がむしゃらにボールを取って、そのままゴールを狙う。その瞬間はたまらなく楽しくて。本能のまま、というんですかね!」
楽しそうに語る谷口は、体一つでサッカーをしていたのだろう。局面で相手とぶつかり合う。ボールを挟んで、肉と骨がきしむ。その感覚を愛し、誰にも負けたくなかった。
男は行動で自分を示し、愚直に戦い続けてきた。
彼にはサッカーがあった
引退の引き金となったのは、2017年5月、試合中の接触で左ひざの軟骨を失ったことにあるだろう。全治5か月という診断で、自らの骨を削って軟骨を作ってつける手術などをしたが、何度メスを入れても、ひどい痛みは消えなかった。今シーズンは練習には戻り、リーグ戦で350試合出場の記録を達成したものの、引け際だった。
「後悔はないです。復帰するためにすべてをやったつもりなので。クラブも、それを何も言わず待ってくれました。感謝ですよ」
谷口は穏やかな顔で言う。
「ケガをして苦しんだ選手としては記憶してもらいたくないです。自分は、サッカーを楽しむことができました。ボランチとして成功することはできなかったかもしれないですが、最後はディフェンスとして50点以上もゴールできたし。自分には、”サッカーがあった”と思っています」
幼いころ、彼はシングルマザーの家庭に育っている。寂しさを覚え、ジレンマを感じることもあった。しかしサッカーに打ち込むことで、すさんでいきそうな感情は不思議と消えた。
―小3でJリーグに魅了された谷口少年にタイムマシンで出会えたら、なんと伝える?
そう訊ねると、谷口は即答した。
「(サッカー選手になるために)『そのまま行け』って。小学生の自分も、今の自分に『お前、後悔してないだろ?』って言ってくると思いますよ。きっと」
そう言って、戦い切った男だけが許される表情を浮かべた。あらゆるポジションをこなせるプレースタイルは、子供のころからの鍛錬のおかげだろう。そのサッカー人生は、最後まで一貫していた。
「自分は小学校の時、“サッカーに出会えて人生が変わった”と思っています。仲間がいて、恩師がいて、ライバルがいて、支えてくれる人がいて。今度は僕が、誰かのきっかけを作れたらいいですね」
谷口は言う。サッカーに人生を投じた男の誠実さと情熱。それは必ず人に伝わる。たとえ、どの場所でどんな仕事をするのだとしても。